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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第四章.時の水(ビドロ)に乗って会いたい人がいる
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15.世界再現率アンノウン

「はぁっ……はぁ……」


 息を切らしながら雪乃は瓦礫に身を預けた。

 荒んだ息を整えていると、瓦礫の向こうから声が聞こえた。


「ユキノか……逃げろって言っただろうが」


 ガーネットの声だった。無論、この言葉は自分に向けられたものではなく、同じく瓦礫の向こうにいるであろうもう一人の自分に向けられたものだ。雪乃はそう思った。


「そんなの……できるわけないよ」


 と、案の定もう一人の雪乃の声がした。


「(時間は……正しい時間を辿ってる……)」


 ここまでくればもう世界の出来事がずれることはないだろう。

 後はガーネットの最後を看取ればこの世界にはもう用はない。


 雪乃は一息をついた。瓦礫の向こうからもう一人の自分の嗚咽が聞こえた。

 恐らく魔物に無残にも殺されてしまった村人の姿を見たのだろう。

 一瞬しか見ていないのでもう覚えてはいないが、とても衝撃的な惨劇だったということは何となく覚えていた。


 いつまで経っても自分は弱いままだ――雪乃は砂塵で汚れた顔を服の袖で拭いながらそう思った。

 一年足らずでは、自分が実感できるほどの成長はなかったと雪乃は自覚していた。


「(思えば、ここで教わったんだっけ。あの言葉――)」


 そう、ガーネットが死に際に言った言葉。

 あれこそが雪乃を奮い立たせ、そして勇気付けた言葉だった。


「(……あれ、ちょっと待てよ――?)」


 ふと雪乃は気づいた。

 ガーネットが死に際に言った言葉はそれだけだっただろうか?


 雪乃は記憶を探った。

 ガーネットは他に何と言っていただろうか?


 雪乃の思考はガーネットの言葉で遮られた。


「ユキノ、そこにいるのか」


 酷く弱々しい声だった。この時のガーネットは既にエーテル毒を受けており、既に致命的だったことを雪乃は思い出していた。


「ここにいるよ、ガーネットさん」


 二人の雪乃の声が重なった。二人ともが、同じ返事をした。


「細い小さな手だ。娘もこんな風なのだろうか。思えば手を繋いでやった思い出もない」とガーネットが言った。


 瓦礫の向こうでは二人は手を繋いでいるのだろう。雪乃はふと自分の手のひらを眺めた。

 度重なる訓練で手のひらには肉刺(まめ)やタコが出来ており、以前よりもたくましい印象を覚えた。


 いつまでも華奢な自分のままではいられない――雪乃はそう思った。


「ユキノ……俺はな」


 ガーネットは大きく息を吐いた。

 そして雪乃はここであることに気づいた。それは"ここから先、ガーネットが話すことは昔の自分は聞き取れなかった部分"であることを。


 今の自分ならば聞き取ることが出来る――そう考えた雪乃はより瓦礫に身を寄せた。その隙間からガーネットの言葉が聞こえた。



「こんな結末でも、後悔はしていない。俺が生きている間に娘とは理解し合えないままだったが、ユキノが記録してくれた俺の声が、娘に届くことを祈っている。それが駄目だった親の、クソみてぇな男の、唯一の幸福だよ」


 後悔はない。死に際なのに、彼はそう言った。

 面と向かって話し合うだけが、最善の方法ではない。ガーネットはそういう考えなのだろう。


 しかし、一方的に言葉を投げかけられたザクロはどんな気持ちになるのだろう?

 それを考えた雪乃は、少し不安な気持ちになった。


「ユキノよ、何故か俺は今、何でお前がここにいるか分かったような気がするよ。お前がこの世界に来たこと。それは"何かを成し遂げる為"だと思う。その何かがどんなものかは分からない。そしてお前は何かを忘れてしまっているんだ」


 とガーネットは言った。どういう根拠があるのかは分からない。死に際の虚ろな意識の中でうわ言を呟いているだけなのかもしれない。

 それでも、雪乃はガーネットの言葉を真剣に聞き取った。


「思い出すんだ、雪乃。お前は素晴らしい思考力と、閃きを持っている。でもそれは瞬間的なものでしかない。それはなぜだ。心当たりがあるはずだ」


 そういわれて、雪乃はこれまでの自分について思い返した。


 思えば、自分でも不可思議な部分はいくつもあった。

 奇妙な程、勘が冴えることがあった。不思議なくらい思考を組み立てることが出来た。可笑しなくらい思考を遮られることがあった。それも、重要なことを考えている時に限って。


 ガーネットに後押しされることで、それらの疑念は確信へと変わっていった。


 自分には、何かしら人為的な操作が加えられているのではないのか?――と。


「その何かに気づくことが出来れば、きっとお前は元の世界に帰れる。俺はそう思うんだ」とガーネットはそう言った後、大きく咳き込んだ。


「どうやらもう俺は駄目らしい。ユキノ、俺はお前がいてくれたおかげで、助かった。娘に言葉を残すことが出来て、嬉しいよ。ありがとうユキノ」


 不思議と、涙は出なかった。正真正銘、これが最後の別れのはずだったが、雪乃は涙を流さなかった。

 毅然とした態度を貫く雪乃は、もう弱くなんて無い、弱い自分は、もういない。その証明の表れのようだった。


「最後にユキノ」


 掠れた声でガーネットが言った。


「怖い世界だ。過酷だろう。だが、辛い思いをして生きるのに必死になって欲しくない」


 あの時と同じように、その言葉はもう一人の雪乃に聞き取れるくらい簡素で、ゆったりとしていた。


「この世界でのお前の生き甲斐とか、そういうものを見つけて、そいつに必死になって欲しい」


 雪乃はまだその生き甲斐を見つけたわけではなかった。

 この言葉は雪乃、そしてもう一人の雪乃。二人に向けられていたものだったのだ。



「ただ生きるのではなく、善く生きる――この言葉を忘れないでいてくれ」



「ただ生きるのではなく、善く生きる」


 二人の雪乃の声が、重なった。

 一人は、目の前の窮地を脱するため。もう一人はこれからの未来を過ごしていくため。


 二人の少女がその言葉に、強く頷いた。


「頑張れるか?」


 だから、ガーネットのそんな問いに対する答えも、既に決まっていた。


「――頑張ります!」


 一人は泣きそうで、上ずった声で。もう一人は毅然とした、決意を秘めた声で。



 そして雪乃の身体は突如、光に包まれた。

 どうやら時の水の効力が切れたらしい。


「(この世界での私の役目も終わり……か)」


 光は徐々に雪乃の全身を包んでいき、いつもの感覚に囚われる。


「(さようなら、ガーネットさん。私、未来でも頑張るよ――)」


 やがて光は濃さを増し、それが弾けて消えた頃には雪乃の姿は消えてなくなっていた――。






***






「……そういう、経緯でしたか」


 魔物との戦いが終わり、平穏になった村の中を、小さな影が歩いていた。

 その影は瓦礫の中から衣服を取り出すと、泥や砂を払った。


 その衣服はこの世界ではあまり見ない作りをしていた。


「確かこれ、学生服――でしたっけ? ふふ、最後の最後で詰めが甘いんですね。"ユキノ様"」


 小さな影は笑うと、衣服を脇に抱え、そのまま静かな村の中へと消えていった。




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