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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第四章.時の水(ビドロ)に乗って会いたい人がいる
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12.世界の穴

「そりゃあ一体、どういうことだ?」とガーネットは言った。雪乃の思惑はもちろん、今まさに目の前に掲げられている携帯電話のことなど彼には知る由もなかった。


「これを使うんだよ、これ。携帯電話っていうんだけど……」


「ケイタイデンワ? そりゃ一体どんな道具なんだ?」


「これはねぇ、私の世界だと、遠くにいる人と会話が出来る道具なんだよ」と雪乃は自慢げに折りたたみ式の携帯電話の開けて見せた。薄っすらとライトが照らされ、そして待ち受け画面にしている雪凪の姿が映し出された。


「なんだなんだぁ? 小さな箱の中に人……いや、これは絵……なのか? それに、遠くにいる人と会話ってどういうことだ? 話したい奴がその場に居なくても声が届くってことか?」とガーネットは興味津々の様子で尋ねた。


「あはは、ここに映ってるのは私の妹の写真だよ。写真っていうのは、うーん……そうだなぁ……この世界でいうと人物画よりもっともっとそっくりそのまま写した絵のことだよ。声が届くっていうのは、多分ガーネットさんの思っている通りの感じかな」物珍しい表情をするガーネットがどこか面白くて、雪乃も笑顔で答えた。


「なるほどなぁ……ということは、今王都にいるザクロに俺の言葉を伝えられるってことか?」


「ああ、ごめんごめん。それは出来ないの。これと同じものを持っている人同士じゃないと駄目なの」より厳密に言うと電波を通信するための設備等が必要であるが、この場で説明をする必要はないと雪乃は判断したので簡潔な説明で済ましたのだった。更に言えば、雪乃自身もどのような原理で電波を通信しているのか、詳しく知らなかった。


「そうなのか……。それで、ユキノはこれを使ってどうしようって言うんだ? それは二つないと意味がないんだろう?」とガーネットは当然の疑問を口にした。


「ふふ、これはね。電話――遠くにいる人と会話することだけを目的とした道具じゃないんだよ」


「他にもなにか出来るのか?」


「そう、さっき見せた画面があるでしょ? 私の妹が映った奴」


「ああ、シャシン……っていうんだっけか」


「そうそう、それはこの携帯電話の機能で写したものなんだよ」そう言って雪乃は携帯電話を操作し、カメラ機能を起動すると目の前に居るガーネットを撮影した。突然携帯電話から鳴った甲高い撮影時の音にガーネットは眉を寄せた。


「そんなことまで出来るのか……。それで、今の音は一体なんだ?」


「今の音はねぇ……ほら見て、ガーネットさんっ」そう言うと雪乃は携帯電話をガーネットの前へ掲げた。そこに映し出されていたのは、紛れも無くガーネット本人の写真だった。


「これは俺……? 今この瞬間にこのシャシンってのが完成したのか!?」信じられない、というような表情でガーネットが言った。驚く度に表情がころころ変わるガーネットを見て、雪乃は楽しくなった。


「そうだよ、凄いでしょ。この携帯電話はただ遠くの人とお話しするだけじゃなくって、他にも色々なことが出来るの。例えば、ガーネットさんが声をザクロちゃんに残してあげたいっていうなら、その声を携帯電話の中に入れることができるんだよ」


「声も切り取ることが出来るのか? こりゃたまげたぜ……こんなものが異世界には存在しているなんてな」


「うんっ、後は動画――えっと……なんて言ったらいいのかな。例えば、ガーネットさんの姿を写しながら声を残してあげるなんてことも出来るよ」


「写しながら? さっきのシャシンってやつとは違うのか?」


「ええっとね、ほら、写真ってその瞬間を切り取ったものだから、動かないじゃない? そうじゃなくって、動画は動いている物や音も一緒に記憶することが出来るんだよ」雪乃は自身の説明不足に頭を悩ませた。機械をまったく知らない者にその説明をするのは思っていたよりも難しい――雪乃はそう思った。


「ああ、分かったぞ。シャシンはその瞬間を、ドーガはその状況を記録できる……ということか?」


「あー……うん。そういうことになる、のかな」写真と動画の違いなど、言葉にしてみればこれほど不可思議なものとは雪乃自身思っていなかった。近代的、機械的な言葉を用いずにその違いを表すとなれば、やはりガーネットの表現が正しいのだろう。


「ザクロちゃんに残してあげるなら、手紙よりも動いているガーネットさんとその声、言葉をそのまま伝えてあげられたほうがいいかなって思ってさ」


「それは妙案だが……記録したものはそのケイタイデンワの中に入るんだろう? どうやって未来へ持って帰るつもりなんだ?」とガーネットは腕組しながら言った。



「"持って帰る必要は無い"んだよ、ガーネットさん。だって私はこの世界に来てから携帯電話の中の動画を一度も確認していないんだから。私はただ未来に帰って自分の携帯電話を見ればいい」



「なんだと? そりゃ一体どういう――」言いかけて、ガーネットは気づいた。今雪乃が実践しようとしていることは、未来から過去へ干渉を起こしたにも拘らず、過去に一切変化をもたらさない方法だということを。


「今まで私が体験したこと以外の出来事を起こしてしまうと未来は大きく変わる――そうだったよね? でも、私は携帯電話の中に動画が入っているかどうかを一度も確認していない。つまり、"動画があるかないかなんて見ていない"んだよ」と雪乃は言った。


「誰も観測していない場所に物が増えたとしても、誰かが観測しない限りその場所には何も変化はないと同義……観測されて始めてそこに"物が増えた"という事実が発生する。粒子論や哲学論に似たような話があったな」


「そう、それと同じ。私は未来に帰ってそこで初めて携帯電話の中の動画を"観る"ことになり、そしてガーネットさんの映った動画があることを確認することになる。動画はずっと中に入っていたけれど、初めて確認された時間が私が未来に帰った後……ということなら、世界に矛盾や違いは発生しないと思うの」


「……なんてことだ、ユキノ。まさかお前がそんな世界の穴に気づくとは、素晴らしい洞察力だ。確かに、それなら矛盾も違いもありはしない」とガーネットは雪乃を賞賛した。時間の概念に多少は精通した自分ならまだしも、このような一介の少女がそこまで思考することが出来るとは……とガーネットは思った。


「ほんとっ? えへへ、私も少しは考えるようになったでしょ?」ガーネットに褒められて嬉しいのか、雪乃ははにかみながら言った。


「(……ユキノの思考能力はもはや"少し"という規模ではなくなっている……。何かがユキノを変えた……ということか?)」一方で、ガーネットはその異常といえるほど冴えている雪乃の思考について少々疑問に思うところがあった。まるで時間や世界の原理について一脱している知識を持っているような、そんな節さえガーネットには感じられた。


「ほら、さっそくガーネットさんの動画を撮ろうよ? さ、早く準備準備っ」


「あ、ああ……」雪乃に促されるまま、ガーネットは椅子に座り、ザクロに残す言葉を考えさせられた。そうしている間にガーネットは雪乃への勘繰りなど忘れてしまっていた。



***



「準備は出来た?」


「ああ、いつでも始めてくれ」


「それじゃあいくよ……はい、スタートっ」


 数十分後、準備も終わりとうとう録画が始まった。誰もいない空間に向かって話すということに全く慣れていないガーネットは最初は不器用に、徐々に自然に話すことができていた。

 その言葉の一つ一つの温かさに雪乃は少し涙ぐんでしまっていた。

 死んでしまうと分かっている命、そしてそこから伝えられる言葉には確かな重みがあった。


 自分がこの世界に来てから約一年、元の世界の雪凪や母にこうしてメッセージを送ることが出来たら……と雪乃は考えていた。


「(いや……出来るんじゃないかな……?)」


 雪乃はまた思考する。まったく可能性がないわけではなかった。ミナセの精神送信器を使えば、一時的に元の世界に帰ることが出来る。その時の自分は日本語を喋ることが出来ないが、あらかじめこちら側の世界でメールを作成しておけば、雪凪や母にメールを送ることが出来るはずだ。


「(でも……向こうの世界には"私"がいる。私は行方不明になったわけじゃないし……)」


 そう、自分はこの世界に"ただ来た"わけではない。鏡の中に居た自分と入れ替わることでここに来たのだ。自分がここにいるように、元の世界には鏡の中に居た自分が生活しているに違いない。

 ということは、自分は行方不明になったわけではないし、家族に心配されていることもないだろう。

 むしろ現在の状況を説明したメールを送ったところで逆に不安を与えることになりかねない――雪乃がそこまで考えた時だった。


「ユキノ、終わったぞ。これ、どうすればいいんだ?」


 ガーネットの声に雪乃が振り向くと、どうやら録画が終わったらしいガーネットが携帯電話を手にして立ち尽くしてしまっていた。


「あ、もう終わったんだ。じゃあ保存するから、ちょっと貸して」


 雪乃はガーネットから携帯電話を受け取ると、動画を端末に保存した。長さにして約五分強、携帯で撮影するにしては随分長い動画ファイルが完成した。


「まったく……お前は変わらないな。すぐに自分の世界に入って帰ってこなくなっちまう」イリアにも再三注意されただろうに、と付け加えるようにガーネットは言った。


「あ、はは……ごめんなさい」悪気はないのだが、どうしても思考するときは周りを蔑ろにしてしまう癖をなんとかしなければ……と雪乃はいつも思っていた。思ってはいるのだが、どうしてもそれは治らなかった。

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