9.エーテルソード
雪乃は大きな木に登り、その太い枝に腰を掛け空を見上げていた。
じわりじわりと動く雲を見つめては、この世界の空が元居た世界の空とそう変わらないことを実感していた。
「お母さんや雪凪は……元気かな」
ふと、雪乃はポケットの中に入った携帯電話を取り出して、保存された画像を一枚一枚表示させていく。
そこには元居た世界の名残が沢山記録されていた。
一番新しい画像は、妹の雪凪が中学校の制服に身を包み桜の木の下に立っているものだった。これは入学式に雪凪の晴れ姿を撮ってやろうと雪乃が誘い、半ば無理やりに撮ったものだった。
普段は大人しく、あまり写真にも興味はない雪凪だったので、そこに写る表情は万遍の笑み、というわけでもなかった。
しかし雪乃はそんな写真でさえ、眺めているだけでどこか心が温かくなるような気がした。そしてそれと同時に、元の世界に帰りたいという気持ちが湧き上がっていた。
「(私は……なにがしたいんだろう?)」と雪乃は思った。この一年間、確かに元の世界に帰りたいという気持ちはあった。しかしそれはそれほどまで熱心なものではなく、ただ漠然とそう思っていただけだった。
帰るための努力――例えば、その方法の調査の試みなどは、殆どしてこなかった。環境の違いに毎日が忙しかったというのもあるが、決してそれが全てではない。
雪乃は徐々にこの世界に馴染んでいた。居心地の良ささえ感じていた。だから帰るために何の行動も起こさなかったのかもしれない。
それが今はどうか。この世界の住人の為に時を超え、命を危険に晒そうとしている。そしてその行動に対する熱意は直線的で、決して中途半端なものではなかった。
人の役に立つこと、人を助けることに生き甲斐を感じているのかもしれない――雪乃は自己をそう判断していた。同時に、これが自分に合った"善く生きること"なのかもしれないと思うようになっていた。
そうして物思いに更けていたのも束の間、不穏な色が空を包み始めていた。
「(黒い空……魔物の前触れッ……?)」
それを察知した雪乃はすぐさま木の枝から飛び降り、走り出した。
握り締めたエメラルドからは淡い輝きが放たれていた。そして雪乃が少し念を込めると、その輝きが微かに揺れた。どうやら今の雪乃ならば、エーテルを扱うことが出来るようだった。
「(行ける……後は、私がほんの少し勇気を振り絞るだけッ!)」
空は更に黒く染まっていき、ある一点に向かって収束しつつあった。
雪乃はそこに向かってただひたすら駆けた。
***
黒い霧が動きを止めた。恐らくその地点が魔物の出現位置なのだろう。
「(前に出てきた時とちょっとずれてるような……気のせい?)」
雪乃には、今のこの状況は"前回"と少し違っているように感じられた。
黒い霧は収束し、徐々に魔物の形に変わっていく。しかしその位置がどうも雪乃自身の記憶と違っていた。
気のせいかもしれないし、少しくらい位置が違うからといって何かが決定的に変わるわけではない――雪乃は感じた違和感を早々に振り払うことにした。
村の人々は変質した空を見て、ざわめいていた。恐怖する者、指差し首を傾げる者、それらは前回と変わっていなかった。
「(ガーネットさんはもちろん、村の人達を犠牲にしちゃいけない……絶対に、守るッ!)」
物陰から様子を見ていた雪乃は右手に握ったエメラルドに意識を集中させる。それに答えるように宝石は輝き、指の間から光が漏れた。
「(意識を集中して……エーテルを制御するんだッ……)」
いつもなら、エメラルド内にあるエーテルを剣に纏わせるだけなのだが、今はその対象となる剣を持っていない。
しかし雪乃は考えた。コーティングさせるようにエーテルを操ることが出来るなら、それをもっと凝縮して、エーテルだけで剣を作ることが出来るのではないか――と。
「――はッ!」
雪乃は気合を右手に込めると、より一層エメラルドが輝きを増した。そして親指と人差し指の間から高濃度のエーテルが伸びるように形成され、それは雪乃のイメージ通り、剣を象っていた。
一振り、雪乃が腕を振るとエーテルの剣はその残滓を散らしながら空を裂いた。
「(――出来たッ!)」
雪乃は心の中で安堵した。初めての試みに成功するかどうかも分からなかったが、どうやら考え通りに上手くいったらしい。
この技術は魔法剣生成と呼ばれる魔法の一種で、大量のエーテルを制御する技術や体質を持っていなければ不可能な高等技術だということをこの時の雪乃はまったく知らなかった。
エーテル技術は一般人にも及ばない雪乃だが、規格外に大量のエーテルを制御できる体質がこの魔法を可能としていた。むしろ相性の良い魔法だといえるだろう。
そしてエーテルソードが完成して間もなく、黒い霧は完全に魔物の形となり、村の地に足を踏み入れていた。
雪乃はすかさず物陰から飛び出した。村の人々や魔物が雪乃に注意を引かれたその時。
「エメラルド発動ッ!!」
雪乃が叫ぶと、エーテルソードから翡翠色の光が発せられた。そしてその光を見た人々や魔物は一時的に視界を奪われてしまう。"索敵能力の欠落"――それこそがミンドラとの戦いで使用したエメラルドの能力だった。
全員の視界を奪った今ならば、村の人々にも姿を見られずに戦うことが出来る――そう考えた雪乃は好機は今この瞬間と捉え、魔物に向かって駆け出した。
「はあぁぁぁぁぁッ!!」
まずは無防備な魔物の足に向かってエーテルソードを横凪に振るった。
斬れたような手ごたえはまったくなかった。ただ腕を空に振っただけのような、そんな感覚だった。
しかし魔物の足は見事に両断され、その大きな身体を支えきれなくなった魔物は大きな音を立て、地響きと共に地面にひれ伏したのだった。
雪乃は一瞬なにが起こったのかを理解出来なかった。実際に起こった現状を目の当たりにして、ようやく一つの答えにたどり着く。
「(エーテルが凝縮されすぎて、簡単に斬れてしまう……ってこと?)」
それが正解かどうかは分からないが、とにかくこのエーテルソードが恐ろしいまでの切れ味を秘めているということは分かった雪乃は、間髪入れずに魔物に攻撃を開始した。
「(あいつの核は……確か牙、だったよね)」
前回アイリスが真っ二つにした牙に向けて、雪乃はエーテルソードを振るった。これもまた先ほどと同様に手ごたえがまったくなかったが、太く大きな牙は簡単に両断されていた。
雪乃は以前、アイリスが言っていた魔物を打ち倒すための定石を思い出していた。
「(核を取り除く……大きな傷を付ける……そしてそこから震感魔法を流し込む……)」
三つの内二つの条件は整った。しかし最後の一つ――震感魔法の使い方を雪乃は知らなかった。
「(でも、今までだって震感魔法無しで魔物を倒したことがある……エーテルを最大限まで引き出すことが出来たらッ!)」
雪乃がより強い意識の力を右手に注ぐとエメラルドはそれに答え、エーテルソードは魔物の身の丈を超えるほど大きな剣の形になっていた。
「これでっ……やあぁぁぁぁぁッ!!」
雪乃は大きな声をあげながら、巨大なエーテルソードを魔物に向かって振り下ろした――!




