8.決戦の日
それから何度も言い合いが続いた。
雪乃はガーネットを助けたいという一心を話し続けた。ガーネットは頑なにそれを拒否し続けた。
「どうして分かってくれないのっ!? ガーネットさんが死んじゃうのは……嫌なんだよっ……」
雪乃は唇を噛み締めながら言った。声は振るえ、涙が出掛かっていたが、ガーネットはそれを受け入れようとしなかった。
「ガーネットさんが死んじゃったら……どれだけの人が悲しむと思って――」と雪乃が言いかけた、その時だった。
「……俺は聞き分けの悪い奴は、嫌いだ」
「――ッ!」
ガーネットの言葉に、雪乃はとうとう泣き出してしまった。今まで我慢していたが、それも限界が来てしまった。
精神的に幼い雪乃には、どうしてガーネットがそこまで自分を受け入れないのか、分からなかった。それに、助けに来たのに"嫌い"と言われるなどと、想像すらしていなかった。
「……今日はもう、帰れ」
ガーネットの一言がまた雪乃の胸に突き刺さった。
どうしてそんなに酷いことを言うのか、雪乃はもう涙を止めることはできなかった。嗚咽が漏れ、しゃっくりが止まらない。
「今のガーネットさんは、いつものガーネットさんじゃないっ!!」
そう言い放ち、雪乃は思わずガーネットの家を飛び出した。目の前に居たガーネットがいつもの優しいガーネットではなかった。まるで別人のように感じられてしまい、早急にその場を後にしてしまいたかった。悪い夢だと思いたかった。
夜の村を雪乃は駆けた。自分は嫌われてしまったのだろうか? 雪乃は不安で堪らなかった。涙で顔をくしゃくしゃにしながら、雪乃は走った。
もうガーネットの同意を得ることなどできない。期日は明日。こうなったら自分一人でなんとかするしかない――。
雪乃は息を切らし、呼吸を整えながら近くにあった木に身を預けた。
そして空を見上げ、以前変わりなく光を放つ月に"ある物"をかざした。
「なんとかするしかない……私が、やるしかない――」
それは翡翠色を帯びており、月の光と混じって美しく輝いていた。
"エメラルド"――それこそが雪乃が持ち出すことの出来たたった一つの物だった。
時の水により転移する瞬間、雪乃はこのエメラルドを両手で握っていたのだ。自分にエーテルを受け付けない力ががあるのなら、その身体でエメラルドを覆ってしまえば一緒に時間移動できるという考えの上での行動だった。
案の定、それは功を制し、エーテルは空っぽながらもこうして過去の世界へ持ち出すことが可能となっていた。
「(明日になれば多少は回復しているはず、後は……)」
後は、自分がどれだけ闘えるか、それが問題だった。
イリアのいない今、雪乃はエーテルを使うことができない。しかし雪乃はザクロの"ある言葉"を思い出していた。
それはザクロが時の水理論について語っていたときの言葉だった。
――「そしてこの小瓶の中に入っているのはただの水じゃない。物質のエーテルでない部分をエーテル化して別の場所へ送り込むことができるものなの。……そこに空間があるのなら、時さえも越えることができる」
"物質のエーテルでない部分のエーテル化"。
そして雪乃は元々エーテルを全く含まない体質である。つまり、今の雪乃の身体はエーテルによって構成されているのだ。自身にエーテルがあるのならば、イリア無しでもそれを使用することが出来るのではないか? 雪乃はそう考えていたのだった。
とはいえ、自分一人で大きな魔物と戦うことなど出来るのだろうか? 雪乃はエーテルの使用云々よりも、そちらが気がかりだった。
「なんにせよ、その時になるまで分からない……か」
今出来ることは、明日にそなえて身体を休めておくことだった。そう考えた雪乃はなるべく目立たない林の方へ足を向け、その中の一本の木に背中を預け、眠ることにした。
「(野宿なんて……アイリスやイリアちゃんと旅をしていた時以来だなぁ……)」
昔のことを思い出しながら、雪乃は眠った。この世界では悪環境で眠ることが多かった所為か、意外にも雪乃は深い眠りに付くことができたのだった――。
***
「痛ッ……やっぱりこんなところで寝るのは無理があったかなぁ……」
次の日。雪乃が目覚めると、まず感じたのは背中の痛みだった。背中を木に預けたまま眠った所為か、若干の痛みを感じていた。
こんなことで戦闘に差し支えがあってはいけない――そう思った雪乃はゆっくりと時間をかけて身体を入念にほぐすことにした。
「(魔物がやってくるまでにまだ時間がある……それまでにウォーミングアップを……)」
と、ストレッチをしながら考えていた雪乃だったが、身体を曲げたとたんに頼りのないお腹の音が鳴ってしまった。
「……その前に朝ご飯、かな」
立ち上がり、朝食の当てをを探しに行こうとしたその時、雪乃はあるものを発見した。
「……これは?」
それは皿に置かれたサンドイッチだった。こんなものが自然的に、それもこんな場所に置いてあるはずがない。
いぶかしみながらも皿を拾い上げると、添えてあった手紙らしきものが落ちた。雪乃は拾い上げ、それを読んだ。
「って、この世界の文字はまだ勉強していないんだよね……」
読めばこのサンドイッチの謎が分かるかもしれない――そう考えた雪乃だったが、肝心の内容を全く把握できないでいた。
しかし手紙の最後の行、短く綴られた文字には見覚えがあった。
「ガーネット、さん?」
そう、その文字は以前、ガーネットからの手紙を読んだときに書いてあった文字と同じ並びをしていた。
恐らく、ここにガーネットの名が記されているのだろう。思えば、昨夜ガーネットと会った時、話はできるが文字が読めないとは伝えていないことを雪乃はぼんやりと思い出していた。
「(私と話もせずに手紙だけだなんて……やっぱり私嫌われて……?)」
と雪乃は考えたが、その考えをすぐに切り捨てる。
「(いや、わざわざこんなことをしてくれるんだもの。そんなはずはないっ)」
とにかく、次に会った時にまた話をしよう。そしてその為にはまず魔物に打ち勝たなければ――。
雪乃は前向きに考えることにして、ありがたくサンドイッチを頬張るのだった。