7.過去を変えるということは、そんなに悪いことですか?
「失敗作ってどういうこと? 現に私はこうして……」
「研究としては成功と言えるだろう。だがそうじゃないんだ、ユキノ」雪乃の言葉を遮って、ガーネットが言った。
「そうだな……まずユキノには聞いておきたいことがある」
「私に……?」
「ああ、お前は"過去に行って事実を無かったことにする"ことができると聞いて、どう思った?」ガーネットの視線はしっかりと雪乃を捉えていた。深刻な表情がこの問いかけはいかに重いかを物語っていた。
「私、は……」ガーネットに問い詰められるように感じた雪乃は、少したじろいだ。ガーネットの表情から、もしかしたら自分はとても悪いことをしてしまったかのようにも感じた雪乃は本能的に視線を逸らしてしまう。
「私は、ガーネットさんを助けたかったから。"助けられる手段があるならやるべき"かなって……思ったり……」雪乃はアイリスの言葉を思い出しながら言った。嘘は言っていない。ガーネットを助けることが目的なのは変わらない。しかしそれは嘘ではないが"本心"ではなかった。徐々に言葉は小さくなってしまっていた。
「俺を助けるだって?」ガーネットが眉を潜めて言った。
「……何かが起きるんだな? 俺に」ガーネットは少し思考を廻らせた後、そう言った。言葉に迷いはなく、確信できる答えを導き出したようだった。
「死か、それに近い何かが俺に起こる。そしてお前はそれを止めに来たのだとしよう。一度聞いておくが、それがユキノの感じた"本心"なんだな?」
雪乃はガーネットに全て見透かされているかのような錯覚さえ感じた。ガーネットが死んでしまう未来のことも、先ほど言った言葉は本心ではないことも、悟られてしまっているようだった。
「……本当は」
だから、雪乃はこれ以上後ろめたさから口を濁したくないと思った。こんなにも真剣にガーネットが話をしてくれているというのに、"何となく言いづらい"という理由でうやむやな受け答えをしてはいけないと感じた。
「本当は、とても悪いことなんじゃないかって思ってた。この世界に来てから沢山の不思議を体験したけれど、時間移動は一線を越えているというか、私や周りの皆が思っている以上にとんでもないことなんじゃないかって。そう思ってた。事実をなかったことにすることを一度でも体験してしまったら、これからの一日一日を大事に出来なくなってしまうかもしれないって」
雪乃はぎゅっと目を閉じて本心を言った。そう思ってるならどうしてこんなことしたんだ、などと怒られるかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。
しかし、予想に反してガーネットの怒声が聞こえてくることはなかった。
「……上出来だ。その歳でそんな考えができるのは、立派だと思う」
肯定的なガーネットの返事に安心した雪乃は目を開いた。目の前には、あまり見ることのないガーネットの笑顔が見えた。
「さっき言ったのはね、アイリス――友達が私を後押しするために言ってくれた言葉なの」
「助けられる手段があるならやるべき……だったか? 確かにその通りだ。人助けに見返りを期待しない、純粋な親切心を持つ人間の言葉だろうな。良い友達を持ったもんだ」
憧れの存在であり、親しい間柄でもあるアイリスを褒められ、雪乃はとても嬉しくなった。ただの一言でここまで持ち上げられるとは、やはりアイリスの影響力というのは大したものだ――と雪乃は思った。
「だが、友人の言葉を鵜呑みにして迷っている問題から目を離しては駄目だ。何故なら、万が一今回の件で予測不可能なとんでもないことが起こってしまった時、自分で反省するんじゃなくて"友人があんなことを言っていたからやったのに"と他人の所為にしてしまうからだ」
確かにそうだ、と雪乃は思った。結局のところ自分は"アイリスが言ったから"今ここに居るのだ。思えば"手段があるならやるべき"という言葉を何度口走っただろうか? 尊敬するアイリスの言葉だからと言って、それを盾にしているようにも思えた。
ガーネットの言うとおり、自分は悪いことが起きたときに"だってアイリスがこう言ったからやったのに……"と逃げてしまうという可能性を否定できなかった。自分はこんなにも責任感のない人間だったのか、と雪乃は自己嫌悪に陥ってしまった。
「とはいえ、お前はまだ子供だ。誰かがこう言ったからやった。誰かがあれをやったから自分もやってみた。それでもいいんだ、相手が大人だったらな。それで悪いことが起きたらその大人の所為にしちまえばいいのさ。大人って子供の見本だからよ」とガーネットは言った。
「でも罪を親しい友人に摩り替えてしまうのはよくないことだから、そんなことはしないようにな?」そう言ってガーネットは大きな指で雪乃の額を小突いた。叱られているような、冗談も交えているような。そんな可笑しな雰囲気に雪乃ははにかみながら「はい、ガーネットさん」と笑顔を向け返事をした。
「……それでユキノ、聞かせてくれないか? お前が時間を越えてまで俺に会いに来た、その理由を」しばしの間二人で笑いあった後、ガーネットが尋ねた――。
***
「俺が魔物に殺される?」
雪乃は一年前、村で起こった惨劇についてガーネットに話した。それと同時に、自分が今までどんな日々を送ってきたかも伝えたのだった。
話の間、終始ガーネットは何かを考えるように、眉を潜め口元を手のひらで覆っていた。
「そう、だからガーネットさんを助けるためにやって来たの。事前に教えておけば、あんな出来事を回避できると思ったから……」
「……そうか」ガーネットは雪乃の言葉に対して多くを語らなかった。ただ一言頷いただけだった。
「ユキノ、世界にありとあらゆる"起こる出来事"っていうのはその前の行動によっていとも簡単に変わってしまうんだ。いいか、"今ここにいる自分"は"今まで身の回りで起きた全ての出来事が関わって"出来たものだ。知り合った人間の数、経験した出来事の数、呼吸の一つでさえ全て関係しているんだ」
「呼吸の一つでさえも?」雪乃は首を傾げた。
「例えば、ユキノがこの世界にやって来るのが後三日も遅ければ、今のお前はここにいないだろう」
「たった三日で? どうして?」
「あの日から三日後というのは、元々イリアが故郷へ帰省するはずだった日だ。あの時、村にはお前が使っていた言語を取得している翻訳士はイリアしかいなかった。だからイリアは王都への帰省をお前の教育期間が終わるまで引き伸ばしたんだ。翻訳士がいなければお前はまともに言語を取得できないまま王都へ行くことになり、俺やイリアと親しくなることもないまま、王都で平凡な雑用係に任命されていた……かもしれないな」まあ、あくまでも想像での話だ、とガーネットは付け加えて言った。
「少しの変化が、後になって大きな変化になる……ってこと?」イリアと出会わなかった自分。それはとても想像できなかった。
「そういうことだ。だからユキノ……これはとても言いづらいことなんだが――」ガーネットは一度口を噤んだ。なぜなら、これから言う一言が雪乃を酷く傷つけることを分かっていたからだ。それでもガーネットは大人として、"子供にとって正しい教育者"になるために、その一言を伝えなければならなかった。
「――ユキノ、俺を助けるな」
「……えっ……」
雪乃は一瞬耳を疑った。聴いた言葉をそのまま頭の中で再生する。確かにガーネットは"俺を助けるな"といった。何故? どうして? 雪乃には何故そんなことを言うのか、分からなかった。
「どうしてっ? 小さなことで未来が変わってしまうことは分かるよ。でも、"変わることってそんなに駄目"かな? 死ぬはずだった人が生きている未来に変わる。それは"良い変化"だよっ? そんなんじゃまるで――」雪乃はガーネットの意図が分からない以上に、彼に拒絶されたように思えたことが酷くその心を惑わせていた。
未来が必ずしも変わってはいけないということはないはずだ。人の命を救うほどの改変に悪い変化もあるかもしれないが、きっと良い変化の方が多いはずだ、と雪乃は思っていた。
それでもなお、ガーネットが助けを望まないということはまるで――。
「――まるで、ガーネットさんが生きてちゃいけないみたいじゃない……ッ」掠れた声で雪乃が言った。ガーネットは何も返事をしなかった。