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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第四章.時の水(ビドロ)に乗って会いたい人がいる
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5.あの時の水飛沫

「……服を着たって意味ないわよ」


「う、上手くすればきっといける……はず!」描かれた魔方陣の中央に立った雪乃が言った。再三の忠告を受けたにも関わらず、その身にはいつかアイリスに買ってもらった防具と剣を携えていた。


「まあ、君の肉体だけが転移するわけだから服着たままでも大して問題ないけどね」ザクロはそう言うと時の水が入った小瓶を手に取り、その蓋を開けた。


「この数滴を調合するのに何年掛かったことか……。いい、ユキノ? 失敗は許されないんだからね? やるべきこと、ちゃんとわかってるよね?」


「うん、もちろんだよ。ガーネットさんが魔物に勝てるように上手く誘導する……でしょ?」


「やり方はあなたに任せるけど……チャンスは一回しかないから、行動は慎重にね?」とザクロが言った。時の水はとても密度の濃いエーテルによって構成されており、その一滴には法外な価値があるという。もちろん調合にも数年という時間が掛かってしまうため、この機会を逃してしまえばもうしばらく時の水を使うことはできなくなってしまうだろう。ザクロはそのことを危惧していた。


 雪乃は無言で頷いた。ザクロが時の水を指に垂らし、床に描かれた陣の一部へ塗りこむとそこに光が灯った。そして光は溝に水を流すように描かれた陣をなぞり、最後には陣全体が光輝いていた。


「制限時間は約三日。限界が来たらあなたは自動的にここに戻ってくる。時間の飛び先はイメージさえ上手くできれば自由だから」陣から灯る光に照らされ、ザクロが言った。「イメージ?」と雪乃が首を傾げる。


「なんというか、今まで見た景色が見えるというか。感覚的なものなんだけど、"この時、この場所へ"と強く念じることができたらいいわ。こう、揺れている振り子をタイミングよく狙った場所で掴むような感じ……って、説明が難しいよね」ザクロがこめかみを親指でぐりぐりと押しながら言った。どうやらこの仕草は彼女が何かしら頭を働かせている時の癖のようだった。


「この時、この場所へ強く――だね? 正直よく分かってはいないんだけど……なんとかやってみるよ」要するにぶっつけ本番でやるしかないのだ。と、雪乃はぐっと拳を握って見せた。その直後、雪乃の輪郭がぼやけ始め、やがて光の粒子へと変わっていく。


「じゃあ、そろそろ転移が始まるから……後は任せたわ。向こうでお父さんに会ったらよろしく言っておいてね」ザクロは数歩下がり、手を振った。


「ユキノ様、決して無理はなさらないで下さい……絶対、無事に帰ってきてくださいね」イリアは不安げな表情で、おずおずと手を振った。


「うん、絶対成功させてみせるから。それじゃ……いってきますっ」と雪乃が笑顔を二人に向けると、その姿は光となって四散していった。その両手はぎゅっと何かを握り締めたまま――。



***



 回る。視界が回る。ぐるぐる回る。いつもの"あの感覚"と一緒だった。

 当然慣れるものではなく、吐き気を催すほど三半規管を上下左右に揺さぶられた。


 ただいつもと違ったのは、視界の中に見覚えのある風景がちらりちらりと、フラッシュバックするように映りこんでいたことだった。

 市場でリンゴを買う雪乃、ガーネットから託された剣を直しに鍛冶屋へ足を運ぶ雪乃、王に呼び出されそして王女アリシアと知り合う雪乃。剣や言語の勉強をする雪乃。少女は自分が見てきた風景を体感していた。

 それと同時に、その視界にある世界へ手を伸ばせば、そこに入り込めることにも何となく気づいた。それは"知った"というよりも"感じた"と表現するほうが正しかった。


 しかし自分が行くべき場所はまだまだ先。もっと時間を遡る。頭の中でとろとろのスープをかき混ぜるように、視界が記憶の中を漂う。


 道中、初めて魔物と向き合った雪乃。勇気を振り絞ってアイリスの言うとおりに行動をした雪乃。村から街への旅の途中、色んなことをイリアやアイリスから学んだ雪乃。

 もう少し先、悲劇が起きる"生誕祭"はもうすぐだった。


 息絶えそうなガーネットと向かい合う雪乃。そしてあの言葉と共に宝石を託された雪乃。時計塔の上り下りに怯えていた雪乃。

 目的の場所は目と鼻の先だった。


 夜、ガーネットの家を訪ねる雪乃。イリアと共に入浴をする雪乃――。


「(ここだ――ッ!)」


 雪乃は手を伸ばした。自分の望む時、自分の望む場所。静かに動き続ける世界の一ページに雪乃は飛び込んだ――。



***



「あ痛ッ……!!」


 まず感じたのは冷たさ。身体を急速に冷やす何かが身体に触れていた。


「ほ、本当に来れた……? ここが、過去……?」


 どうやらラ・トゥの村に住んでいた頃の自宅近くの小川に転移したらしい。それも若干落ちるようにしてやってきたのか、水面には大きな波紋が広がっていた。川のせせらぎ以外の音はまるで聞こえないくらいの静寂だった。

 時間を越えたなどにわかには信じられないことだったが、それ以上かもしれない程の超常現象を体験してきた雪乃は、ここにいるということはとりあえず時間転移は成功したのだろうという考えしか浮かばなかった。


「(それにしても音、結構響いた……? いや、誰かが聞いていてもきっと魚が跳ねた音だと思うよね)」とりあえずあたりに人がいないかを確認した雪乃はほっと胸を撫で下ろした。転移の瞬間を誰かに見られていたらきっと怪しまれるだろう。それにこの世界にはもう一人の自分がいるはずだった。いくらなんでも自分が二人存在しているなどと簡単に知られていいわけがないと思った雪乃はそう言った意味でも一先ずは安心した。


「(というか、まずは服をなんとかしないと――)」そう、転移前は服を着ていたのだが、案の定今は生まれたままの姿をしていた。エーテルを含まないものしか持ち込めないというのはやはり本当だったようだ。


 立ち上がり岸に上がった雪乃は何かしら衣服を調達するため過去の自分が住む自宅へと向かうことにした。距離からしても三分と歩かない程の距離なのでそれくらいの間は丸裸でも我慢はできた。

 それというのも、夜のラ・トゥの村は元の世界のように外灯があるわけでもなく、僅かな月の光を頼りにしなければならないくらい暗かったので、それも少しは羞恥心を和らげる要因になっているのかもしれなかった。


「(……ん? というか、月――?)」


 今更になりこの世界にも月はあるのだな、と雪乃は歩きながらなんとなく思った。

 もちろん、今まで月があることに気づかなかったわけではない。元の世界で"普通にあるもの"がこちらにも我が物顔で存在していることに今になって少し不思議に思ったのだった。

 注意を向けていないものにはまったく考えがいかないものだな――と、そんなことを考えながら歩いていると、いつしか自宅の前に到着していた。


 雪乃は聞き耳を立てると、風呂場のほうから水の音とイリアの声、そして過去の自分の声を聞いた。

 どうやらまだ入浴中らしい。


「(そういや、この日に限って一緒に入ることになったんだっけ。まさかこんな形で役に立つなんてね)」


 このころ、この住居には実質雪乃とイリアしか住んでおらず、その二人が入浴中ということは今は無人も同然だった。

 この機を逃すまいと雪乃は出来るだけ音を立てずに家内へ進入した。


「(確か二人でお風呂に入った後はガーネットさんの家を訪ねるはず……過去の私達が来るよりも先に、ガーネットさんと会わなきゃ)」


 過去の自分の行動を思い出しながら、雪乃はクローゼットを漁った。

 幸い、この頃の雪乃には私物は少なく、目当てのものはすぐに見つかった。雪乃がラ・トゥの民族衣装以外に所持していた服――元の世界から着てきた学校の制服である。


「(ちょっと借りるね、昔の私)」昔の自分に断りを入れるのもなんだか変なものだ、と雪乃は思った。


 そしてさっさと制服を身に纏おうとして、雪乃は止まった。今ここで着るべきか、少しの恥じを我慢してでも外に出てから着替えるか。

 一瞬迷ったが、雪乃は後者を選択した。この場に留まることがどれほど危険かは理解していたのだ。


 早々にその場を退散し、住居の影で着替えを済ませた雪乃はとりあえず一安心したのか、ほっと胸をなでおろした。


「(よし……急ごうっ)」


 緊張が解けたのも束の間、雪乃はガーネットの家へ向かって駆け出した。

 未来から来た自分の話を受け入れてくれるだろうか――? 雪乃はそれを心配しながらもかつて世話になった人物にもう一度会うことを楽しみにしていた。



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