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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第四章.時の水(ビドロ)に乗って会いたい人がいる
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1.雪のような少女

 暗く静かな和式の部屋内で、一人の少女が座り込んでいた。

 少女の周りには黒い霧が薄っすらと滲んでおり、囲うように漂っていた。


「本当に、その国を滅ぼせば全て終わるんですか」と少女は言った。傍から見れば誰にともなく、独り言を呟いたかのようにも見えるが、そうではなかった。


「その通りです、姫。世界でもっとも偉い生命になるためには、その他の知的生命体を全て滅ぼしてしまえばいいのですから」と少女の言葉に対する返事が黒い霧より発せられた。その声は女性のもので、霞掛かったようなくぐもった声だった。


「もっとも偉くなる必要なんてあるんですか」姫、と呼ばれた少女は淡々と尋ねた。


「そうしなければ、我々は生きていけませんから。今日も沢山の同胞が殺されたそうです。このままではいずれこちらが滅ぼされてしまいます」


「自衛のために力を振るうことは、もちろん当然のことだと言えます。それができるような戦術を、私はあなた方に提供したつもりです」


「そう、姫のおかげで我々は忌々しい"ヤツら"との戦いに善戦し始めている。我々には"力"がありますが、"知能"がない。あなたの考える戦闘における作戦、奇策、論理はとても素晴らしい」黒い霧の揺らめきが、先ほどよりも少し早くなる。


「お褒めに預かりまして光栄ですが、私はそれらを"侵略"に使うために教えたわけではないんです」


「侵略はするなと?」


「はい、無闇やたらに生命を奪うのはよくないことだと思うんです」と少女は言った。直接目にしてきたわけではないが、"侵略"というのはとても残酷で、残忍で、決して行ってはいけない社会の禁忌だと思っていた。少なくとも平和な世界しか知らなかった彼女からしてみれば、だが。


「あなたの倫理ではそうなのでしょう。でも、我々には命が、未来がかかっているのです。殺さなければ、殺されてしまうんです」黒い霧は、より激しく揺らめいた。


 霧の言葉に、少女は反論することはできなかった。やれ戦争が駄目だとか、人権がどうだのと言っていられるのは、所詮そのようなことを言っている種族の命を脅かす他種族がいない場合に限られるのだ。


 長い時間少女は考えた。自分の倫理観と、自分の協力するこの"種族たちの命や未来"を天秤にかけた場合、重いのはどちらなのかと。

 もちろん答えは決まってはいた。自分の倫理観などなんの価値もないことは明白だからだ。ここで侵略を承諾して、相手の種族を滅ぼしてしまったとしても、少女が感じるのは罪悪感のみ。それだけでこの世界が平和になるのならば、代償としては安いものではないかと考える。


 しかし、だからといって簡単に承諾するわけにはいかなかった。天秤は明らかに片側に傾いていたとしても、少女は自分の考える作戦や戦略で一方的に他の生命を奪いたくなかった。相手が知力の無い、例えば少女が"元の世界の創作物"で見るような怪物ならばいざ知らず、侵略対象である種族はこちらと会話をすることができるらしいことを少女は知っていた。

 少女は、時間をかけて悩んだ。



「――この侵略が終われば、あなたを元の世界に帰してあげられますよ」



 黒い霧が言った。悩む少女の背中を後押しするには、十分な言葉だったのかもしれなかった。何故なら、この少女は総じて"元の世界に帰してもらうために"やむなくこの黒い霧の種族に協力しているのだ。そうでなければ"地球"、"現代"、"日本"――様々な言い方はあれど、平和である"元の世界"出身の少女は、戦いの為の論理を考えて、それを教示することなど絶対にしない。


 少女は返事をしなかった。それは逆に反論をしていないということでもあり、黒い霧の言葉に気持ちが揺らいでいる証拠だった。



「少し、時間をください」


 少女はそれだけ言うと立ち上がり、和室の引き戸を開けた。外に広がる景色は木で出来た廊下でも、古めかしい枯山水でもなく、幻想的な自然の風景だった。

 遠くには西洋的な建物もちらほらと見え、かつての少女が見たことも無い色鮮やかな動物が空を飛び交っていた。それも今となっては馴染みの風景ではあったが。


「(やっぱり、この世界は私がいるところじゃない……)」


 景色を見ながら少女は思った。倫理観の違いもそうだが、久方ぶりに当初の目的であった"元の世界に帰る"という言葉を聞けば、やはり故郷のことを思いださずにはいられなかった。

 板状の四角形――少女の世界で言うところの"携帯電話"を取り出すと、意味もなくそれを眺め、もの思いに耽った。


 侵略が成功すれば、元の世界に帰してもらえる。それは少女にとって願っても無い申し出だった。

 この世界から離れてしまえば、侵略してしまった相手のことも、手助けした"種族"のことも全て関係なくなる。全て忘れても良いものとなる。


 しかし、だからといってそんなことが許されて良いのか?

 冷静に考えてみれば、報酬のために殺しの手助けをしているといっても何の語弊もない。


「(せめて、もう少し世界を――相手のことを知ってみるのはどうだろう?)」と少女は思った。始めにこの世界に来たとき、黒い霧たちは形のまったく違う自分を受け入れてくれた。それと同じように、侵略相手がどのような姿をしていようと、自分を受け入れてくれる可能性もあるのではないだろうか?


 少女が他の霧から聞いた情報によると、相手の種族は非力だが知性に優れ、色々な道具を使って小さな身体というハンディを補って戦うのだという。

 また別の霧から聞いた情報では、彼らは霧の種族を見れば容赦なく襲い掛かってくるが、言葉が通じることが分かると会話を試みる固体もいるのだという。そして全てが戦いを望んでいるような残忍な種族ではないらしいことも聞いた。これは少女が新しく考案した作戦を始めに行った霧が言っていたことだ。



「(答えは、どちらの種族のことを知って、どっちが正しいかを検討してからでもきっと遅くないはず)」少女はそう思った。あわよくば第三者の種族である自分が和平の橋となることができるかもしれない――。


 胸の中に芽生えた小さな正義感が、少女の背中を押した。その正義感はちっぽけでご都合主義なものだったが、これこそが"人間"である少女の持つ倫理の原点だった。

 幻想の世界に吹いた風が、少女の二つ結びにされた髪を舞わせた。やがて世界は落ち着き、風が止むと雪のように白い髪は重力に従い凪いでいった。

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