18.目覚め
「ユキノ様がお怪我なされたというのは本当ですかっ!?」
とある住宅街から少し離れた家のドアをノックもせずに勢いよく開ける少女がいた。
たなびく金髪、豪華なドレスに身を包んだ少女はそのままずかずかと家の中に立ち入った。
「アリシアっ? あんたなんでここに?」
アイリスがなにごとか、と振り向くとそこには妹であるアリシアがいた。
「城の者から聞いたのです! なにやら怪我をされたらしいユキノ様が自宅へ運び込まれる姿を見たと!」とアリシアは言った。この城の者、というのはユキノを過剰なまでに慕うアリシアが自由に外を歩きまわれない自分に代わり、雪乃の日常素行を偵察させている城の兵士だというのはアイリスは知る由も無い。
「ああ、おいたわしやユキノ様。なんと生気のないお姿に……」
アリシアはそう言い、ベッドに横たわり眠る雪乃を見つけるといそいそと駆け寄りその頬を撫でた。
「ただ寝てるだけよ、騒がしくすると起きちゃうでしょうに」アイリスはため息をつきながら言った。
「かくなる上は、もはやユキノ様を目覚めさせる方法はただ一つ。接吻しかありませんわ!」
アイリスの言葉などまるで耳を貸さないアリシアは気分高揚といった様子で、自らの唇を雪乃の唇へと近づける。そして唇同士が触れ合おうとしたまさにその時――。
コンコン、と扉をノックする音が部屋内に響いた。
「後になさいっ。今は人命救助が先決ですわ!」邪魔が入った、と言わんばかりにアリシアが吐き捨てた。無論、少女の言う人命救助とは命を救うことにあらず。ただ憧れの女性と口付けをかわすチャンスを見逃すわけにはいけないという私利私欲の行動のことを言う。そしてそうすることが当然だという風に、ノックの主を出迎えることも決してしない。
「ただいま帰りました……って、妹様? どうしてここに?」
ドアが開くと、そこに居たのはイリアだった。よもやこんなところに居るはずがない人物を目の前にして、きょとんとした表情をしていた。
「あら、イリアでしたの。私、ユキノ様が心配で駆けつけてきたのです」どことなく自慢げに、ふんぞり返りながらアリシアが言った。
表情には出さないものの、イリアがあきれ返っていたことは言うまでもなかった。
***
「……それで、なんでみんな私のベッドの中にいるの?」
目覚めた雪乃の第一声がそれだった。ミンドラとの戦いで負傷し、自室のベッドに運び込まれたところまでは覚えていた。
しかし妙な狭苦しさから辺りを見回すと右隣にはイリアが、左隣にはアリシアが位置しており、双方が腕をがっしりと掴んでいた。
アイリスはというと、雪乃の頭上位置に座り込んでおり、雪乃の頬や髪を撫でていた。
「あら、ユキノ様。怪我人の見舞いをするのは、当然のことですわ」
雪乃の左隣の姫が楽しそうに言った。雪乃と密着することができて嬉しいのだろうか。
「イ、イリアは……その、妹様が介抱をするというから、一緒に……」
雪乃の右隣のメイドが恥ずかしそうに言った。顔を逸らし、あくまでも自分一人の意志ではないことを強調する。
「こんな二人にユキノを任せて置けないでしょ? だから私も参加したわけ」
雪乃の頭を太ももで挟み込むようにして座る元姫、現剣士が言った。この少女もアリシアと同じく、どこか楽しげな表情をしていた。
「いや、あの……意味分かんないんだけど……」
何ゆえ三人共こんなにも密着しているのか、そしてこれは果たして介抱と言えるのだろうか。いや言えない――雪乃は自分に密着する三人の少女を振り払うように、むくりとその身体を起き上がらせた。
***
「もう……一体なんなの……?」
心配する三人をなんとか宥め、家を出た雪乃は携帯電話とミナセから貰ったエーテル式充電器を握り締め外を歩いていた。
負傷したとはいえ、雪乃の身体はエーテル攻撃に関して何かしらの耐性と治癒能力があるらしく、それほど重要視するまでもない軽傷だった。とはいえ、少し一人にして欲しいと言うだけではあの三人を振り切ることはできず、こうして一人になれる状況を作るのに少々骨が折れた。(何故か最後にはあっさりと了承されたが)
いっそのこと、ミナセが何者なのか。それを探索する件について仲間に隠す必要もないのかもしれない――そんなことを思いながら、雪乃は携帯電話と充電器を繋げた。すると充電中のランプが赤く点灯した。
「ほんとに充電できるんだ……」
半信半疑の雪乃だったが、こうして実際に充電できるところを見ると、信じないわけにはいかなかった。電源ボタンを押すと、沈黙していた真っ暗な画面には妹、雪凪の姿が映し出された。中学校入学時に桜の木の前で撮ってやったものだ。よく似合う制服姿に、写真を撮られることが恥ずかしいのか、どことなく赤らめた頬は白い肌にはよく目立っていた。
雪凪は元気にしているだろうか? 一人ぼっちになっていないだろうか――?
妹への思いを廻らせている内に、突如携帯電話が震えだした。
「着信――誰からっ?」通話相手の番号が表示される画面を見ると、番号が全て"-(ハイフン)"で埋め尽くされた、元の世界では見たことも聞いたことも無い番号(もはや数字すらないので番号とも呼べないもの)だった。
しかし、雪乃にはこの着信が誰からのものであるか、大体の見当はついていた。恐らく相手は"元の世界"のミナセであるはずだ――。そう考えて雪乃は生唾を飲み込み、携帯電話の通話ボタンを押した。
「――もしもし?」
「やあ、電話に出てくれたということは魔物に勝ったんだね。よかったよかった」
電話越しのくぐもった声でも、その主は誰だか分かる。とりあえず雪乃は、今感じている疑問を相手にぶつけることにした。
「ミナセさん」
「うん、なあに?」
「どうやってこの電話に掛けてるんです? ここ、異世界ですよね?」
そう、通信衛星がどうだの、電波がどうだのには詳しくない雪乃でも携帯電話がどのようにして他の端末と通信するかくらいはおぼろげにでも知っている。
「えっと、質問第一声がなんでそれ?」
もちろん雪乃としても聞きたいことはいくらでもあるのだが、時間もあり、冷静に物事を考えられる状況においては、ふと気になった事柄から質問してみたくなるものだ。
不思議なことが起こってもこのような考えに至るあたり、雪乃は少々の物事にたいしては驚きよりもまず考察するような、そんな一面がちらほらと見られる落ち着いた性格を手にしつつあった。
「いえ、なんでかなって……気になったものなので」
「それじゃ、とりあえず――」ふぅ、と息をついてミナセが言った。「また精神送信器の中に入ってくれる?」
「あの中ですか、"こっちの"ミナセさんは使わせてくれるんでしょうか?」
「そこは上手くやってくれ、としか言えないかな。私と、そっちの私は別人なわけだし」
簡単に言ってくれる――口にはしなかったが、雪乃はそう思った。
「じゃ、君が来るのを待ってるから。じゃあね」
「あっ、ちょ……」
雪乃が呼び止める前に、通話は切れてしまった。何となく、履歴から先ほどの番号に通話しようと試みるも、画面に表示された電波の具合を表すマークは"圏外"を示していた。
そのまま通話ボタンを押すも、落ち着いた女性の音声アナウンスが圏外を知らせてくれるだけで、電話を掛け直すことが出来なかった。どのような原理かは想像もつかないが、どうやらこちらから連絡を取ることは出来ないようだ。
「もう、便利なんだか、そうじゃないんだか……」
雪乃は呟きながら、ミナセ病院を目指し歩き始めた。途中、元の世界の人たちにいい土産になると思い、アルコスタの街並みを写真に写しながら――。