14.速く、もっと速く
「(ユキノは立っているだけで精一杯……やっぱり私が行くしかッ!)」
アイリスは横目でちらりと雪乃を見る。辛うじて立ち上がり、剣をミンドラに向け戦いの意志を示しているようだが、遠めに見て分かるほどに呼吸が荒かった。
エーテル毒だけではなくその他の攻撃に対しても多少の耐性があるのか……アイリスには分からなかったが、たとえそうだとしても雪乃は大量に出血していたので動くことはきっと適わないだろう。
戦術的にどの作戦を取るべきかよりも、雪乃の身体を想ったアイリスは、やはり自分が闘おうという選択を取った。
二重強化魔法によって限界まで高められた脚力で、ミンドラへ接近する。
いくら速度を"学習"したからといって、対応できない速さならば攻撃を加えられると考えたのだ。まだ慣れない二重強化魔法で足が痛んだが、突進速度に陰りは見られない。
「ふっ!」
鋭く息を吐きながら、横凪に剣を一閃する。ミンドラは身体を捻らせて攻撃を避けた。恐らくそれは完全に反応できたわけではなく、覚えたスピードでタイミングを図り、斬撃の位置はアイリスの剣の握りから予測して回避行動を取ったのだろう。
「――ならっ!」
アイリスはぎりっと歯を食いしばり、振り払った剣を両手の力で抑えると最小限の動きで上に振り上げ、一気に振り下ろした。
「甘いッ!!」
二重強化魔法の掛かった"足を使用しない"攻撃方法では速さが足りなかったのか、ミンドラは両手の長い爪を交差させ剣を受け止める。
「なっ――!?」
そしてその瞬間、アイリスの視界が瞬間的に逆さまになった。剣と爪が重なり合った瞬間、ミンドラがアイリスに足払いをかけたのだ。
その攻撃はミンドラにとって"予想以上"の効き目があった。アイリスはあまりにも呆気なく、地に背中を付けてしまう。
追撃を避けるため、立ち上がるよりも先に手足を使って跳躍し、距離をとる。
「(なっ……なんで……? ただの足払いだったはずッ……!)」
先ほどの攻撃はアイリスにとってなんら障害となり得ない、ただの足払いだった。それを何故あんなにも綺麗に転ばされたのか?
ふとアイリスは視線を下に降ろし、自らの足を見る。
なんとその足は、"過剰に痙攣"していた。自分の足だというのに、目で確かめるまでまったく気づかなかったのだ。
――そう、アイリスの足は自分で気づかないほど疲労し、感覚が失われていたのだ。
二重強化魔法の長時間使用。そして空にいるミンドラを追うための大跳躍に加えかなりの高さからの着地。最後に、先ほどの踏み込みでアイリスの足はとうに限界を迎えていたのだ。
恐らくこの痙攣も随分前から始まっていたのだろう。
そしてミンドラはそれを"知っていた"。だからこそあの瞬間の足払いが有効手だと考えたのだ。
距離を取ってしまえば、足を利用したスピードで翻弄することができる。しかし、羽のように軽くなったはずのアイリスの足からは頼りのない筋肉の脈動しか見られなかった。
突進しようと前屈姿勢になるが、畳んだ足を思い通りに伸ばすことができない。目測のまったく違う地点までしか跳べなかったアイリスは、無常にも地面に身を預けてしまった。
「無様だなァ……人間」
アイリスが立ち上がれないことを知ったミンドラは、そう言って近づいてくる。
しかしアイリスにとってこの転倒はただの失態ではない。足には辛うじて感覚がある。こうして油断して近づいてきたあいつを斬ってやる――! アイリスは一歩、また一歩と近づくミンドラとの距離を測っていた。
「(もう少し……あと、一歩……!)」
ミンドラがあと一歩踏み出せば、高速の一撃を与えてやることができる。
そしてその足がまた一歩進もうとしたその時――。
「なーんてなァ。こんな油断は三下のすることだ、そうだろォ?」
ミンドラの足はぴたりと止まる。この魔物が身に着けているのは中途半端な自我ではなかった。
敗者を虐げる演出は必要ない。余裕を見せていれば必ずその隙を突かれる。それがわかっていたのだ。
「ま、倒れて動けないヤツが何を真剣に"顔だけ"上げてるんだァ? あァ、わかっているとも。距離を測ってるんだ。さっきからお前の視線を見りゃだいたい何が狙いなのか分かるんだ」
アイリスの策は失敗に終わった。全て読まれている。
このままでは射程外から攻撃されて、それで終わってしまう。
「ぐっ……!」
やはり、この状況では"これ"をユキノに渡すより他ない――そう考えたアイリスは、まずは注意を引き付けるため腰に提げたワイドニードルを一本ミンドラに向かって投げつけた。
「おっとォ、悪あがきかァ?」
いとも簡単にその攻撃は避けられてしまう。しかし、その瞬間にアイリスは感覚の無くなり始めた足でユキノ達のもとへ駆けた。
「ユキノーッ!!」
「アイリス!」
アイリスが何故こちらへ向かって来るのか、雪乃はすぐに理解することができた。
――魔宝石エメラルド。
恐らくそれを渡してくるに違いない。雪乃が使用することで力を限界まで引き出すことができるからだ。
「イリアちゃん、手を繋いで」
そして受け取ったら、すぐにそれを発動しなければならない。
イリアもこれから行う作戦の概要は察しているのか、無言で頷くと雪乃の手を握る。
「逃がすかァッ!!」
走るアイリスをミンドラが追う。
アイリスは初速こそ速かったが、徐々に速度が落ちていくのが目に見えて分かった。ミンドラがみるみるうちに追いついてきた。
「(速く……もっと速くっ!!)」
いくら脳が命令しても、足は思い通りには動かない。
ミンドラが後ろから迫り、そしてその爪がアイリスの首を掻っ切ろうとしたその瞬間――。
「三重強化魔法――ッ!」
アイリスは加速した。
今まで試してみたこともない三重強化魔法を力ずくで制御し、更なるエーテルを足に宿す。
「ぐっ……ぎぃ……ッ!!」
足には痛みが走る。足の筋肉にある細胞一つ一つがブチブチと音を立てて千切れていくような感覚だった。
そのような足では一歩跳ぶだけで限界だった。しかしその一歩はあまりにも速く、そしてとても大きな一歩だった。
「ユキノーッ!!」
これ以上は無理だ――そう察したアイリスは、懐からエメラルドを取り出し雪乃へと放り投げた。




