9.飛んだ世界のその先は
そして雪乃たちはルルリノを病院へと招き入れ夜を待った。
表的にはお世話になった先生にお礼を言って、エーテル毒を克服したお祝いをしようということだった。
極小規模ながらもパーティ(いつもより少しばかり豪華な食事を取るだけのもの)を開き、一行は束の間の休息を得たのだった。
ルルリノも特に発作を起こすことは無く、常に笑顔であったことを振り返ると本来の目的の"ついで"ではあったが、パーティを行ってよかった――雪乃はそう考えていた。
そう、このパーティはいわば時間潰しのようなものだった。精神交換のための道具があるこの場所で、ルルリノが眠るまで待ち、そして本来の目的であるミンドラ討伐へと向かう伏線に過ぎなかったのだ。
そしてパーティもそろそろお開きというところで、ルルリノが眠そうに目を擦り始めた。
「どうしたの、ルリ? 眠い?」ルルリノの隣に座ったイリアが言った。ルルリノは頭が良く回っていないのか、ボーっとした表情のまま「うん……」と答えるだけだった。
「眠かったらこっちに寄りかかっていいよ」
イリアのその言葉を聞くと、ルルリノはふらっと身体を傾け、姉の肩に頭を乗せた。程なくすると小さな寝息が聞こえ始めた。
「どうやら眠ったみたいね」様子を見ていたミナセが言った。
「こんなにあっさり……。先生、後遺症とかはないんですか?」寄り添って眠る自分の妹の頭を撫でてやりながら、イリアは尋ねた。
「ルリちゃんの飲み物に混ぜたのは睡眠薬というよりも、その導入剤。要は覚醒状態から睡眠状態に至るまでのプロセスを助勢するだけのもの。だからそんなに強力な成分のものは入ってないよ」とミナセは言った。
もちろん、これも作戦の一環だった。
ミナセの説明によると、精神交換はその受け手側(精神受信者)が眠りの状態に入っていなければ行えないという制約があるらしい。
更には、精神送信の途中で目覚めてしまうと送信者の肉体は消失してしまうという条件もあることから、受信者には深い睡眠状態になってもらう必要があったのだった。
「さて、と……。準備が整ったところで作戦の最終確認と行きましょうか」ルルリノが眠ったことを確認したアイリスが言った。先ほどまでのパーティ気分から一転、声色も緊張の篭ったものとなっていた。
「まずは私がルリちゃんの精神世界に行く。現実世界側にいるミンドラの母体とは戦ったことあるけど、私一人なら時間稼ぎ程度はできるくらいの戦闘力だった。精神世界側のミンドラはその子供にあたるわけだから、ユキノたちが来るまでは私が持ちこたえる……と」アイリスは一度言葉を切り周りの仲間を見渡した。各々はそれに答えるように頷いた。
「そして次はユキノが精神世界に行く。こちらの人数は既に向こうに割れているから、精神送信にかかるらしい時間差を利用してミンドラは世界に現れた瞬間のユキノを遠距離から狙ってくるでしょう。その時は私が魔法無害化で守るから、安心して」
「魔法無害化……確か前にも使った、こちら側からエーテルをぶつけて、飛んできたエーテルを相殺する魔法……だっけ? それなら安心だね」と雪乃が言った。ルルリノを精神受信器へと運ぶために抱き上げ、別室へと移動する。
「便利な防御魔法ですが……エーテルと物理的な攻撃しか防げないのが欠点ですね。エーテル毒も防ぐことができたら便利なのですけど」と雪乃の後ろに着いて歩いていたイリアが呟いた。そしてその時、担がれたルルリノの人差し指がぴくっと動いた――イリアはそれを見逃さなかった。
「それは仕方ないね。エーテル毒は魔物達だけが持つ"得体の知れない物質攻撃"だから、今のところ私達が用意できる急場な対策はないんだよね……だからこそ私達人間が一番注意しなければならない攻撃なんだね」とミナセが言った。
「じゃあ後は"この間打ち合わせした通り"にお願いね。イリア、例の物の準備は?」とアイリスが尋ねた。
「はい、大丈夫です」とイリアが頷いた。その首には魔宝石――ガーネットがぼんやりと光を放っていた。
「ルリちゃんを精神受信器に寝かせたよ」と、準備を終えた雪乃が言った。
「よし、じゃあまずは私から行ってくるわ。ミナセ、道具の準備はいいのかしら?」
「完了してるわ、後はあなたが精神送信器に入るだけ」とミナセは答えた。その言葉を聞くや否や、早速アイリスは精神送信器の中に入ると横になった。思ったより中はふわふわとして心地が良かったが、防具を着込み剣を横に置いていたのでこのまま眠ってしまいたくはないな――とアイリスは暢気に考えていた。もしかすると、これは彼女なりの緊張のほぐし方なのかもしれない。
そんなことを考えている間に蓋は閉じられ、アイリスの視界は完全に黒一色となった。無理もない、この道具は酸素を取り入れる穴以外は中を完全密封しているのだから。
そして数秒後、身体が持ち上がるような、落とされるような、妙な重力感をアイリスが感じ声を発しようとした瞬間――その意識は途切れ、アイリス……正確には精神送信器の中身が空っぽになってしまった。
「おっ、本当に出来てる」ミナセは一度蓋を開け、アイリスの送信完了を確認するとまるで成功したことが珍しいような声色でいった。
「(消えた……本当に消えたっ!?)」声に出すことはなかったが雪乃は呆然としてしまう。
「先生、"おっ"てなんですか。まるでこの道具の力に驚いているような節を見受けられましたが。まさかこれが初発動ではないでしょうね」じとーっとした目でミナセを見ながら、イリアが言った。
「いやいや……これは私が作ったんだよ? 驚くなんてまさか、あははっ……まあ初発動なんだけどね。そんなことより、イリアちゃんは驚かないわけ?」乾いた笑いでごまかしながらミナセは言った。
「いえ、この道具の効力にもさることながら、イリアは先生の行き当たりばったりを超えた人体実験に驚きを禁じえません」もしもミスがあって失敗していたらどうするつもりだったのだろうか――イリアは頭を抱えつつ言った。
「それよりも、雪乃ちゃんも早く入らないと」イリアの言葉をまるっきり無視したミナセは、アイリスが手品の様に消えてしまったことに思考停止していた雪乃に声をかけた。
「や、でも……これ、どうなって……?」まず感じたことは恐怖心だった。元の世界の現代機械。この異世界のエーテル技術。そのどちらもが雪乃にとってはある意味では魔法のように不思議なものだったが、この道具はどこかその一線を画しているように思えた。
「怖がってる場合じゃないよ、アイリスの送信は完了してるんだから。もうアイリスが戦い始めているはずよ」とミナセが言った。
「行きましょうユキノ様、姫様は時間稼ぎくらいならとおっしゃっていましたが、万が一相手の戦力が上だと言う事もありえます」と背中を押すようにイリアが言った。
「う……うん、分かったよ。これに入ればいいんだよね……」確かに二人の言うとおりだ、と意を決した雪乃は生唾を飲み込んだ後、精神送信器の中に入り込んだ。
程なくして蓋が閉じられ、視界は真っ暗になってしまう。目を開いているはずなのに目を閉じているのと何ら変わりのない妙な感覚に雪乃はまた少し怯えてしまう。
向こうに行った後の手はずは何だっけ――と雪乃は作戦を思い出しながら、どうやら精神の送信は始まったらしい。
まず感じたのは身体が浮かぶ感覚、そして重力による落下感。右に振り回されるような、左に引っ張られているような、三半規管をえぐる奇妙な感覚が雪乃を襲った。
そして雪乃ははっとした。この感じ、どこかで感じたことがある。
それはどこだったか――酔ってしまいそうな感覚の中、雪乃は必死に記憶を探る。
「(そうだ……これ、鏡の中の私と入れ替わった時と同じ感覚だっ――!!)」
似た感覚ではない。"まったく同じ感覚"だと、何故か雪乃はそう確信した。自分でもどうしてそこまではっきりと確信できるのか、分からなかった。
しばらくその感覚が続いた後、それは止んだ。
いつの間にか目をぎゅっと閉じていた雪乃がゆっくりと目を開いた。
「(もう、着いたのかな……?)」
そう思った刹那、雪乃はぼーっとする頭を強引に覚醒状態へと持っていき立ち上がる。ここが既にルルリノの精神世界だというのなら、魔物が襲い掛かってくるはず――。
雪乃は身構えたが、身体に衝撃が走ったり、戦闘の音も、アイリスの声も聞こえなかった。
構えた剣を降ろし、冷静に辺りを見渡した。そこはどこかの部屋のようだった。部屋とは言ってもそれは木の造りでもレンガの造りでもなく、未来的要素を感じさせる機械の部屋だった。
『ここが精神世界……? って、あれ?』雪乃は呟くが、それはどうしてか日本語ではなく異世界語だった。まるで日本語を取得した外人が怒ったときに母国語を叫んでしまうような――。なんというか、反射的、自然的に言葉を発してしまった。とは言うものの、雪乃はまだうっかり喋ってしまうほど異言語を取得しているわけではない。たかだか半年ちょっとの知識と馴染みしかない。
『"精神世界"……ね。その単語を発したということは、やっと私の会いたい"雪乃"が来てくれたということかな』
『誰っ!?』
不意に聞こえた声に雪乃は剣を身構え、声のするほうを振り返った。そこに居たのは――。
『ミナセ……さん?』
『おはよう……が適切な挨拶かな? まあいいや、"おはよう雪乃"』
そこに居たのは、紛れも無く雪乃が知るミナセ・ユウキだった。しかしそれと同時に、目の前の彼女が本人ではないことを感じ取る。
何故なら、ここがルルリノの精神世界内で、雪乃が送信完了されたのならミナセがここにいることはおかしいからだ。
「(どういうこと……? ここはまだ精神世界ではないの――?)」
雪乃は目の前にいる"あり得ない存在"がなんなのか、それを理解することが出来ない。
『ここは雪乃の来たかった世界ではないんだよ』とミナセ(?)が言った。雪乃は首を傾げるが、彼女は『いや……ある意味ではもっとも来たかった世界かな?』と不敵に笑いながら言った。
『ここは君の言うところの"元の世界"だよ』




