6.少女同士
「なるほど……それは厄介な魔物ね」
その日の夕刻。自宅に戻った雪乃は訓練から帰って来たアイリスに今日会ったことを話した。
ルルリノの中に魔物がいるということ。そしてその魔物と戦うためには様々な制約があることを。
話を聞いたアイリスは、顎に指を当て考える素振りを見せるとふぅ、とため息をついた。
「要は、その精神世界……って言ったっけ? そこにユキノとイリアさえ揃えばいいのね。そのための時間稼ぎが私の役目になる……か。でも、戦ったことのない魔物だもの。絶対に成功するとは言えないわ」とアイリスが言った。
「とはいえ、こちとら伊達に経験を積んできちゃいないわ。そんな戦いを知らない魔物に負けたりなんてしないわ」という頼もしいアイリスの言葉に、雪乃はほっと胸を撫で下ろした。
「頼りにしてるよ、アイリス」何とかなるかもしれない――そう思うと、雪乃は自然と笑みがこぼれた。しかし、悩みの全てが解消されたわけではなかった。"何かを隠しているミナセ"のことを考えると、あまり楽観的ではいられなかった。
「ユキノ、どうかした?」そんな雪乃の様子を気遣ってか、アイリスが顔を覗き込むようにして言った。雪乃はすかさず「い、いや……なんでもないよ」と言うとアイリスに表情を悟られないように背を向けた。
聞くところによると、ミナセはアイリスとも気の知れた相手だと言っていた。それを自分の個人的な理由で怪しんでいるとはとても言えなかった。(イリアには既に感づかれている可能性があるが)
このことはいずれ一人で解決しよう――雪乃はそう決めたのだった。
「ふう、まあいいわ。どんなことでも私の手が必要だったら、いつでも協力するからね」とアイリスが言った。深い事情は分かっていなかったが、どうやら雪乃が話したくない理由があることを察したアイリスはそれ以上追求することはしなかった。
「……ありがと、アイリス」どうして彼女はこうも自分のことを気にかけてくれるのだろうか――? 常日頃から雪乃は疑問に思っていた。あまりにも真っ直ぐに優しさを向けられるので、雪乃は照れ隠しに顔を背けざるを得なかった。それは元の世界でそのような経験があまり無かったせいなのかもしれなかった。むしろこの世界の住人たちは陰湿な裏表というか、"与えた優しさに対する勘定"を要求しない節があった。見返りが欲しい等と言った事情ではなく、純粋な親切心に溢れていた。
「礼なら、ちゃんと目を合わせて言って欲しいな?」と顔を伏せる雪乃にアイリスが言った。気恥ずかしさから若干りんご色に染まった頬に触れながら、雪乃の顔を強引に自らの視線と向き合わせた。
「や、やっ……あのっ……でも」と雪乃はしどろもどろになりながら何とか言葉を発しようとするも、その口から意味のある言葉が発されることはなかった。頬がさらに赤くなっていくことが雪乃自身も気づいたが、自らの意思でそれを止めることはできなかった。
「なにも恥ずかしがることないじゃない? ほら、言ってごらん?」
これはアイリスが意地悪する時の目だ――っ。 無理やりに視線を合わせられた雪乃は思った。そう、アイリスは稀に雪乃をからかう為か、過度なスキンシップを取ることがあった。女同士なのだからと割り切れればそれで問題は無いのだが、如何せん雪乃はそうもいかなかった。
雪乃に"その手の気"は特に無いのだが、まるで空想に描いたかのように綺麗な顔立ちに見つめられてしまえば、自然と赤面してしまうのだ。そしてアイリスはそれが分かっていてこうして雪乃をからかうのだ。
そしてその度、雪乃は思うのだった。彼女の妹――アリシアの件を加味して考えてみれば、もしかするとアイリスにも同性愛の気があるのではないだろうか、と。
以前より、イリアから似たようなことを聞いていた。(かなり遠まわしな表現だったが)最初はどんな冗談かと笑い伏せていたが、これだけの判断材料があれば鈍感な雪乃も"もしかしたら"という可能性を捨てずにはいられなかった。
その強さ、生き様、綺麗な容姿。この世界に来てから密かに憧れとしていた人物がアイリスだった。
もし、彼女に本気で迫られることがあったら――あったら、私はどうするのだろうか? 過度なスキンシップの度、常に雪乃の頭にはそんなことが思い浮かんでいた。
そうして、雪乃は彼女を無碍にすることはできなかったし、また内心どうしたものかと悩んでいた。
「(もうアイリス……勘弁してよー……)」
結局雪乃ができることと言えば、泣き言は内心に留めたまま、アイリスの愛情なのか友情なのかよく分からない馴れ合いを甘んじて受けることだった――。
***
一方、イリアは実家で夕ご飯を済ませ、その片づけを行っている最中だった。
何の気無しに窓から街の様子を見てみると、すっかり辺りは夜の闇に包まれ、各々の家の窓から照らされる光が点々としていた。そして視線は自然と雪乃の住む家へと向けられた。
今は暗闇に包まれた市場から、住宅の並びを三つばかり通り過ぎた先にある、白い柵で囲まれた庭付きの赤い屋根が目印の少々目立つ家だった。辺りは暗いと言えども、住宅街より少し離れぽつりと建った家はイリアの家からでも見ることができた。
「ユキノ様……」
イリアはため息をつきながら、雪乃の名を呟いた。思えば雪乃がこの世界に着てからというもの、寝床を別にしたことはラ・トゥの村が魔物に襲われた一夜を除き、なかったのだ。通りでこんなにも心配になるはずだ、とイリアは自ら納得の理由を思い浮かべた。
姫様がいるから安全ではないのか――いや、"むしろ危険"だ。イリアは小さなころからのアイリスの性格を知っていた。
この世界では、王族の生まれだということはあまり重要視されておらず(アイリスが比較的自由奔放に行動しているのもそれに起因している)、幼児の頃から教育は周りの同年代の子供たちと同じ席で受けることになっていた。
王族である血筋の影響からか、アイリスは小さな頃から妙にリーダーシップを取りたがっていた。勉学や運動力も豊富だったので、人を惹きつける要素は十分に持ち合わせており、周りの子供達の憧れの的であったことをイリアはよく覚えていた。微笑ましい記憶に、イリアはふっと笑顔を浮かべた。
そして子供達が成長期を迎えた頃だっただろうか、アイリスを囲う子供達の男女比の割合が偏りだしたのだ。(無論、女子の割合が大の比率である)
とは言えイリアはそれほど気になるわけではなかったので、その理由を何の気無しにアイリスに尋ねたことがあった。そうして返ってきた答えが――。
「ああ、あれ? みんな私の恋人よ」
この始末である。記憶の中は微笑ましい状況から一転、一気に頭を抱えたくなるような事態になっていた。
どこで教育を間違ってしまったのだろうか。未だにイリアは思う。
妹であるアリシアのことも踏まえると、教育方針よりもむしろ血筋を疑いたくなっていた。
とにかく、そう言った理由であまり雪乃と二人きりにさせたくはなかったのだが、今はなにより妹を優先しなければならなかった。
ルルリノと話をするため、そして何よりたくさん甘えさせてやるためにこうして自宅にいるのだが、生憎ルルリノは昼寝からまだ起きないらしい。
こうして窓を見つめていれば少しは時間も潰せるものかと思ったが、思い出すのはアイリスの衝撃の一言のみだった。イリアはまた一つため息をついた。
「――灯り、もう消えてる?」
ふと、雪乃の家を眺めていたイリアは異変に気づいた。
先ほどまでぼんやりと光っていた雪乃の家の灯りがふっと消えてしまったのだ。いくらなんでも就寝するには早すぎる時間であったし、外出する時間でもなかった。
一体なにがあったというのだろうか? 何か危険なことに巻き込まれていなければ良いのだが――とイリアは雪乃の貞操よりも身の危険が気になり始めていた。
「ふぁー……? あ、お姉ちゃんだ。おかえりなさい」
とその時、タイミングが良いのか悪いのか、目を覚ましたルルリノが寝ぼけ眼でイリアの姿を見つけるなりそう言った。
「ええ、ただいま。ルリ」
とてとてと駆け寄り抱きつくルルリノの頭を撫でてやりながら、イリアが言った。
さて、何と話を切り出せば良いものか――。イリアは妹の屈託ない笑顔を眺めながら、頭を悩ませていた。




