4.メイドとおうち
「ユキノ……ハツセ、ユキノ? ああ、この言語のファーストネームは後に来るのでしたね」
イリアと名乗った少女は口元に人差し指を当て首を傾げた後、自身の記憶していた日本語のルールを再確認すると両手をぽんっと合わせた。
「そう、だから私の名前は雪乃ってことになるんだよ。それにしても、日本語上手なんだね?」
「私たちグノーム族……小人族と言えば分かりやすいでしょうか? とにかく、私の種族は異言語の吸収力に長けているので」
イリアは雪乃に褒められても表情を変えず、じとーっとした目で雪乃の瞳を捕らえていた。
「へえ、そうなんだー……って、な……なに?」
イリアが雪乃の目を見つめるものだから、二人は自然と見つめあう形になる。
「いえ、異界人と会話をするのはなんだかんだで初めてな訳でして。どうもすみません」
ぺこりと頭を下げた後、イリアは大男の方へ視線をやった。
『では、これからは私が面倒を見ますので』
『おう、頼んだぜ』
何がなんだか分からずに「異界人? グノーム?」と首を傾げる雪乃をよそに、二人は異国語で会話を交わした後、イリアは雪乃の小指を掴んだ。
「行きましょうユキノ様。これからあなたが住むお部屋に案内します」
「あ、う……うん。……え、これから住む?」
てっきり雪乃はこれから家に帰してくれるのだとばかり思っていたのだが、そうではないらしい。
イリアに小指を掴まれ引かれるままに建物を出ると、他に転々としている建物より少し大きめの小屋へと案内された。
小屋は他の建物とは違い、壁部分から屋根までしっかりと木で覆われており、ちょっとしたログハウスのようにも見えた。
玄関部分には丸太の階段を設けてあり、実際の家の部分は地面とは離れた造りになってある。これは木材の腐敗や防虫対策の為だろうか。
しかし、他の家らしき建物はこのような造りにはなっていなかったはず。
ここだけ特別な造りにしてあるのはなぜだろう、と雪乃は考えながら小屋へと辿り着く。
「ユキノ様、ここが今日からあなたの家です」
イリアは雪乃の指から手を離し小さな身体でとてて、と小屋の入り口まで駆けていくと扉を開け、雪乃の方へ振り向きそう言った。
「ここに……私が?」
「どうぞ、こちらへ」
そう言うとイリアは家の中へと入っていき、ドアを開けたまま雪乃が来るのを待つ。
雪乃は状況がよく飲み込めておらず、考えもまとまらないままその場に立ち尽くしていた。
「ユキノ様、早く。イリアの手が痺れてしまいます」
「あ、ああ……ごめんっ」
ぼーっとして動く気配を見せない雪乃に見かねたイリアは、少しおどけて雪乃を促した。
そんなイリアの仕草にふと我に返った雪乃は小走りで玄関へ向かい、玄関先の丸太を一つ飛ばしで駆け上がった。
「ふふ、おかえりなさい。ユキノ様」
部屋へ入った雪乃に対し、イリアはくすっと笑いながら迎えの言葉を送った。
「そんなこと言って、イリアさんだって今ここに来たばっかりじゃない?」
「誰かに仕えることになるのは久しぶりなので、ついやってみたかったのですよ。……いえ、そんなことよりもユキノ様。イリアは"イリアさん"なんて呼び方は断固反対します」
イリアは雪乃から視線をそらすとツン、と拗ねた仕草を見せた。
「えっと……じ、じゃあ"イリアちゃん"……とか?」
雪乃はイリアの機嫌を悪くしてしまったのではないかと考え、これ以上相手の機嫌を損ねないようオドオドしながらも言葉を選んだ。
「はい、それでお願いします」
自分の所望していた呼び方と合致したのか、あまり変わらない表情ながらも満足そうな笑顔を雪乃へ向けた。
その小さな笑顔を見て、雪乃もつられて笑顔になると共に「ああ、これでよかったんだな」と、ちょっとした緊張から解放される。
とは言っても雪乃自身、最初から自分の胸の高さよりも小さなイリアに対して"イリアさん"なんて似合わないな、と考えていた。
だからと言って小さな子供に対して使うような呼び方だと、逆にイリアの機嫌を悪くしてしまうのではないか、とも考えていた。
やはり初対面の人の内面ばかりを気にしていてはコミュニケーションも何もあったものじゃないなと、雪乃は改めて反省する。
知らない人ばかりのこの場所で、ちょっとは自身の人見知りもマシになったらいいなと、雪乃は前向きに考えることにした。
「それではユキノ様、そろそろこれからのあなたのことについて、少しお話ししておきます」
小さな笑顔から普段のぼーっとしたような、ジトっとした目に戻ると部屋に備え付けてある木製の椅子を引き、雪乃に座るよう促した。
「私の、これからって?」
促されるまま椅子に座った雪乃は、後ろに立つイリアに振り返りながら尋ねた。
なにせすぐに自分の家に帰れるとばかり思っていたのだから、これからも何もないと思っていたのだ。
それが先ほどから、今日からここが自分の家だとか、イリアはどうやらこれから自分に仕えることになったような話もしているし、雪乃はまるで自分が"これから長い間ここに滞在する"ような話になっている気がしていた。
「ユキノ様は、元の場所へ簡単に帰れるとお思いですか?」
「うん。だって来たところから帰ればいいんじゃ……?」
「そんな簡単な話ではありません。ユキノ様、あなたはただ通り抜けるだけのドアをくぐってきたわけではないのですよ。あなたは言わば"落ちるように"ここへやって来たようなもの。元の場所に帰るには"昇るように"帰らなければならない」
現状をあまりに楽観視している雪乃の背中に触れながら、イリアは諭すように言った。
「空に続く階段だって、足を引っ掛ける壁だってありません。あなたは……簡単なことでは戻ることはできない」
雪乃はこれまでのことを前向きに考えすぎていた。
そして嫌な予感がするものからは目を背けていたのだ。
鏡の自分と入れ替わって、見知らぬ土地に来た。
ここはどこかの外国で、元来た場所から帰れるだろう、そうじゃないなら船とかで送ってもらえばいい。
でも、事はそんなに単純ではなかった。
鏡の自分と入れ替わった?
そんな超常現象を認めてしまうのならば"ここ"がどんな場所なのか、雪乃自身も実は頭のどこかでわかっていたのかもしれない。
それを認めてしまえば――あるいは、誰かから指摘されてしまえば。
自分はきっと不安で、怖くて泣いてしまうから。
だから考えないようにしていた。
しかし現実は現実、どんなに後回しにしてもそれは変わらない。
「ここはあなたのいた世界とは"別の世界"なんですよ」
そんなことはなんとなく分かっていた。
それでも雪乃はまだ夢かもしれないとか、どこかの番組が仕掛けたドッキリ企画かもしれないとか、自分の都合の良いようになるはずだと思いたかった。