5.少女は悩み、少女は疑い
「――まだ終わったわけじゃない」とミナセが言った。
「ミンドラは魔物とはいえ、宿主を通じて知識を"学習"するわ。でもいくら知能があったとしても、こちらの敗北条件にすぐ気づけるとは思えない」
「なら、どうするんですか? まさか一瞬でミンドラを打ち倒せということですか?」とイリアが言った。ミンドラがどれほどの戦闘能力を有しているのかは定かではないが、仮にも魔物と呼ばれる存在である。そのようなことは不可能に思えた。
「私、街で聞いたんだ。半年前、滅びの剣で傷をつけることもなく、核を切り取ることもなく、たった一撃で魔物を退治した異界人のこと」
「それって――」雪乃は呟き、イリアと顔を合わせる。
「雪乃ちゃんのことでしょ」とミナセが言った。その瞳は真っ直ぐ雪乃を捉えていた。「えっ……ど、どうして?」と雪乃は呆気にとられた。確かに自分は異界人だが、この街にいる異界人は自分だけではないはず。何故ミナセはこうも"断定的"な口調で言うのだろうか。
「その首に提げてるガーネット――それを使ったんでしょう?」とミナセはガーネットを指差し言った。
「は、はい……そうですけど」と雪乃は腑に落ちない、と言った様子で頷いた。何せ、いくらガーネットが強力な魔宝石といえども、"あの時"のような力を発揮することはできないと王が言っていた。このガーネットを雪乃が魔物を打ち倒したという判断材料にすることはできないはずだ。
「私も同じだから分かるのよ。ねえ、"日本人"?」とミナセが言った。同じとは一体何のことなのだろうか? 雪乃は思考を廻らせる。
ミナセは日本人と言った。雪乃とミナセは使用する言葉や顔つきがよく似ているが、例の"元の世界に実在する水無瀬優紀問題"から同じ世界から来た保障はないと言っていた。
雪乃は何か特別な力があるはずだ――と王は言っていた。それも魔宝石の力に関係することだ。
異常な質量のエーテルを引き出したこと、身体にエーテルが存在しないことが雪乃の特異体質ではなく、"元の世界の住人である人物特有のもの"だったとしたら――?
そこまで考えた雪乃は、在る一つの答えにたどり着く。
「もしかしてミナセさん……魔宝石を使ったことありますか?」
雪乃の言葉に、ミナセはにやりと口角を吊り上げた。ここでその質問をするということは、概ね近い答えにたどり着いたのだろう――ミナセはそう考えた。
「ええ、そうよ。そしてその時は"とてつもない力"を発揮した」とミナセが言った。「なるほど」と雪乃は頷いた。どうやら思っていた通りの答えだったらしい。イリアも少し考えを廻らせた後、ようやくこの会話の意味を理解したようだった。
「どうしてか、私たちは自分でエーテルをコントロールすることができない。けれど、サポートする人物さえいれば魔宝石の使用に限り絶大な力を発揮することができる」とミナセが言った。
「エーテルが無いことと、何か関係してるんですか?」と雪乃が言った。「あるといえばある……ということになるかな」とミナセが少しばかり考える仕草を見せながら、そう言った。
「どうやら私たちの身体は"ろ過"の役割があるらしいの。エーテルが私たちの身体を通った時、それは純粋なエーテルに昇華する」とミナセが言った。そして更に言葉を続ける。
「エーテルが無い身体を通るわけだから、不純物が混じらないのかもしれない。だから関係があるといえばあるし、無いといえば無いというわけ」あくまで私の考察だけど――と言葉を付け足してミナセが言った。
「話を戻すわね。――つまり、こちらには"一撃必殺"の手段があるというわけ。決まりさえすれば相手の知能や作戦を根底から覆すことができる」
「このガーネットもその、精神世界……だっけ? それに持っていくことができるんですか?」と雪乃が言った。「ええ、そもそも私の持つ道具は簡単に言うと、物質……人間や武器のことね。それを一度エーテルに変換して生き物の"心"の中で再構成するものなの。なんていうかな、一言で言うとファイルの圧縮をした後解凍を――」とそこまで言ったミナセが急に口を閉じた。それは言葉に詰まったようには見えず、まるで"うっかり口を滑らせた"ような、そんな様子だった。
「再構成?」と雪乃は首を傾げた。本当に気になったのはその部分ではなかったが、世界の出身の話を含めミナセが何か隠していることを本能的に察した雪乃はあえてとぼけたフリをした。先ほどミナセが紡いだ言葉のことは後で考えてみることにした。
ファイル、圧縮、解凍――イリアは突発的に出た言葉に戸惑いながらも、雪乃の狙いを何となく察することが出来たので、口を開くことはなかった。
イリアから見た雪乃の横顔は決してとぼけたものではなく、時折見せる鋭い洞察力を働かせる時の表情であったからだ。それは四六時中、雪乃と行動を共にするイリアだからこそ分かる微妙な表情の変化だった。
「そうね、そっくりそのままのあなたと持ち物が精神世界に移動できるものと考えていいわ」とミナセが言った。先ほどの慌てた様子はいざ知らず、何事もなかったかのように雪乃の質問に答えた。すぐさま返ってきた会話のテンポから、雪乃の深読みによる行動を怪しんでいる様子は見られなかった。(あくまで雪乃やイリアから見たミナセの様子を判断した上でのことだが)
「ならば、考えられる作戦は一つしかありませんね。ガーネットの成長効果を事前に発動させておき――臨界点突破の直前に精神世界に入りミンドラへ放つ……ですよね?」とイリアが言った。雪乃もそれしかないとばかりにうんうんと頷いた。
「それはちょっと難しいわ。何せ私の道具は一回の発動につき一人しか精神世界に送り込むことができないの」とミナセが言った。しかしイリアはそれを特に重要だとは思わなかった。それよりも、これ以上ルルリノを救う障害となる事情を知りたくなかったというのが本心だった。
「ならば、イリアかユキノ様が後から入れば良いだけなのでは?」
「そうなんだけど……身体を送信する時、瞬間的にできるわけじゃないの。精神世界内でじわじわと身体が再構成されるわけだから……相手が無警戒である一人目はともかく、二人目は間違いなく攻撃を食らうことになるわ」とミナセが言った。その言葉に雪乃は頭を悩ませた。何しろこちらには一撃必殺の攻撃ができる者と、それを握る"トリガー"が別々の人間なのだ。二人揃わなければ意味が無い。
「正直、私はあなたたちの戦力を把握しているわけじゃないから作戦についてはこれ以上なんとも言えないわ。この条件の中で……何かできそう?」とミナセが言った。後はどのような道具や武器、味方を保有しているかを知る当の二人に判断を委ねるしかなかったのだ。
「アイリス……アイリスがいればなんとかなる。かもしれない」と雪乃は少し考えた後言った。まだ具体的な根拠や作戦を考えついたわけではないが、今までの脅威をどれだけ彼女の力で退けることができただろうか。相談すればきっと何か有力な一手を切ってくれるに違いない。そう考えていた。
「へぇ、イリアと一緒にいるからまさかとは思ってたけど、やっぱりアイリスとも知り合いなんだね」とミナセが驚いた様子で言った。
「でもね、これだけはちゃんと理解しておいて。このままミンドラをそっとしておけば、ルリちゃんはまだ生きていられる。でも、あなたたちが戦ってやられてしまえばヤツはその分のエーテルを一気に吸収して強力になる。そうなったらルリちゃんの身体をすぐにでも蝕んでしまうわ」とミナセが言った。その言葉にイリアははっと口を噤んだ。救えなかった場合のこと――それは最悪の結末を意味しているからだった。
「このタイミングでなに言ってるんだって、そう言われても仕方ない。でも、このままミンドラを見送ってルリちゃんに残された時間をみんなで楽しく過ごす――そんな選択肢もありなのよ」申し訳無さそうに、ミナセは言った。三人の間を静かな空間が支配した。ルルリノの身体に関わることに雪乃は口出しできない、かといってイリアもどうすればいいのか分からなかった。妹を心から想うのならば、どちらを選択することが正解なのだろうか。イリアは考えた。
「少し――考えさせてください。イリアは、私はルリ本人に聞いてみたいです」イリアはしばらく考えを廻らせたが、答えは出なかった。この場で決めることはできなかったのだ。
イリアはルルリノに直接聞きたいと思った。リスクを負ってでも病気を治したいか、このまま安全に――しかし病気を抱えたまま生きるか。きっと小さなルルリノには難しい問題だろう。ミンドラにも聞かれ、こちらが不利になるようなことを考え始めるかもしれない。それでもイリアは本人の口から聞きたかった。
「正直あんまりおすすめしないけど……やっぱりそうだよね。私も、本人に聞くのがいいと思う」とミナセが言った。もし本気で、徹底してミンドラに情報戦から勝利したいのならばこのようなことは避けるべきだ。だが今天秤にかけられているのは他でもない、ルルリノの命なのだ。いくら年端もゆかぬ少女とはいえ、自らの命の在り方を決定する権利はあるはずだ――ミナセはそう思っていた。
「うん、急ぐことはないから。ゆっくり話し合って決めておいで。まだルリちゃんとまともに話したり、遊んであげたりしてないでしょ?」
「はい、そうします。……今日はありがとうございました」イリアはそう言うと、ぺこりと頭を下げた。雪乃も慌てて立ち上がり同様にお辞儀をした。
「ルリちゃんね、ずっとお姉ちゃん――イリアに甘えたかったみたいだよ。沢山わがまま聞いてあげな」とミナセはひじをテーブルに載せたまま手を振り、少しおどけて言ってみせた。
「ふふ、そうですね。うんと甘えさせてあげるつもりですよ」イリアは軽く笑った表情をミナセに向けると、軽く手を振り雪乃の手を取った。
「行きましょう、ユキノ様」
「う、うん……」
雪乃はイリアに手を引かれながら、病院を後にした。歩きながら振り返り、雪乃は思う。
「(あの人はなにか隠している……いい人なの? それとも……?)」
と、そこまで思考していつしか考えが纏まらなくなる。ぼろぼろと欠片が崩れ去っていくように思考を停止させてしまう。
重要なこと――主に自分の世界や存在に関わるようなこと――を考える時はいつもそうだった。
どこか不自然な形で、自分は無知でいることを何らかの作用によって強制されているのでは――?。雪乃は最近そう感じるようになっていた。