表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第二章.王都への散歩道
30/107

11.語るモノ

「ユキノ、様……?」とイリアが心配そうに雪乃を見つめた。対する雪乃はイリアの身体を優しく抱いた。


「イリアちゃん、怪我はない?」


「私はなんともないです。それよりもユキノ様が――ひゃぁっ」言葉の途中で、イリアは驚いた声をあげた。小さな少女が抱かれたまま雪乃が立ち上がり、その身体を持ち上げた。


「えっ……え? ユキノ様、どうして」


 アイリスはエーテル毒と言っていた。もしそれが本当なら、感覚はたちまちのうちに失われ立っていることすら困難なはず。

 エーテル毒を受けてしまうこと、それはすなわち死ぬことだと。それがイリアを含むこの世界の人々の常識だった。


「この前アイリスが言ってたよね。エーテル毒は"身体の中にあるエーテル"を抜かれて生命力が無くなることだって」と雪乃が言った。その言葉にイリアはあることに気づいた。


「だから、"元からエーテルがない"私にはエーテル毒は効かないんじゃないかって、思ってた」と抱いたイリアを見つめながら雪乃が言った。


「やっぱりね。まさかとは思ったけど、本当に効かないなんて」少し前にそのことに気づいたアイリスが驚いた様子で言った。


「とにかく無事でよかった、本当に。二人が無事で」アイリスは二人に覆い囲うように抱きついた。


 すると突如、地面が揺れ三人はバランスを崩し地面に倒れてしまう。


「な、なにっ!?」アイリスはすかさず立ち上がり、剣を構えた。


 激しい音と共に地面は揺れ続けた。どうやら音源は先ほど雪乃が開けた大穴――つまり、魔物のほうからだった。


「(そうか、まだ震感魔法(エーテルクエイク)をしていない……でも、あんな質量のエーテルを受けてまだ生きているっていうの?)」


 とにかく、魔物の様子を確かめなければならなかった。アイリスが大きく開いた穴を覗こうとしたその時、穴の底から大量の黒い霧(エーテル)が噴出した。

 やがて霧は先ほどの魔物を小さくしたような、一般的な亀よりも少し大きいくらいの姿を象った。


「やっぱりまだ生きていたのね……すぐ息の根を止めてやるわ」そういうとアイリスは剣先を小さくなった魔物に向けた。


「ま、待てっ!」と突如聞きなれない声が聞こえた。雪乃の声でも、イリアでもアイリスの声でもなかった。三人は顔を見合わせ首を傾げると、辺りを見回すが三人の他に人影は見られない。


 まさか、今の声は魔物が? と一番早く亀を見下ろしたのは雪乃だった。魔物に関して触れた知識が乏しい分、その考えに至ることができたのだろう。雪乃はしゃがみこみ「今の声はあなた?」と尋ねた。

 イリアとアイリスは頭の隅ではその可能性しかないと思ってはいたが、どうにも今まで生きてきた中での固定概念を捨て去ることができなかった。半信半疑ながら二人も亀を見下ろす。


「そうだ、俺だ。悪かった、謝るよ。だから見逃してくれ、頼む!」と亀が饒舌に喋った。それも流暢な日本語で。


「はぁ……? あんた、魔物じゃないの?」とアイリスが尋ねた。魔物であれ、亀であれ、よく分からない生物が日本語を話すという頭の痛くなるような出来事にため息をついた。


「そうだ、俺はお前らが言う魔物だ」と亀が言った。


「エーテルで構成されていたり、核があるのは確かにそうですが。しかし今まで魔物が喋ったという事例は聞いたことがありません」とジトーっと亀を睨みながらイリアが言った。


「当たり前だ。お前ら餌に喋りかける義理はないからな」と表情一つ変えずに亀が言った。アイリスが「誰が餌よ」と声を荒げた。


「餌は餌さ。今までは"掟"でお前らに話すことはなかった。でもちょっと事情が変わったんだな、これが」と得意げに亀が言う。「事情?」と雪乃が首を傾げるがそれには答えられない、と亀は首を横に振る。


「とにかく見逃してくれよ。"俺は"もう人間を襲わないからさ。その辺の動物で我慢する」とどこか自分を指す言葉だけを強調して亀が言った。


「駄目よ。いくら喋るからって魔物は魔物でしょう? あんたたちを滅ぼすために私みたいな剣士がいるんだから」


「ふざけんなよ。魔物だからってなんで殺されなきゃいけないんだ。もう俺は人間を襲わないって言っているだろう」


「あんたが襲わなくても他の魔物が襲うでしょうが」


「そんなの俺が知るかよ。同胞全員と知り合いなわけないんだから、俺一匹殺したってなんにもならないだろう」


「それにあんた今"その辺の動物で我慢する"って言ったでしょうが。それも駄目に決まってるでしょう。どうして他の生き物の領域を侵害するのよ」


 声を荒げた二人の口論が続いた。イリアは喋る魔物に興味があるが、まったくもって同情の余地なし。魔物は悪なのだから許すことはないという考えだった。

 しかし、雪乃は違った。イリアとはまた別のことを考えていた。しかもそれは"とても嫌な予感"を感じさせるものだった。


「お前らだって動物を殺して餌にしてるだろうが! お前らが良くて、なんで俺が駄目なんだ! 他の生き物の領域を侵害してるのはお前ら人間だってやってることだろう!?」と亀が大きな声をあげた。


「そ、それはっ……生きるために必要なことだから……」とアイリスが口ごもる。言われてみればそうだ。魔物は絶対悪という生まれてきてからの思想で反論をしようとするが、言葉が見つからない。


「俺達だって生きるために生き物を食べなくちゃいけないんだよ! それともなにか!? 俺達に餓死しろっていうのかよ?」と亀は更に声を荒げた。


「あーあ、やっぱり人間と話すべきじゃなかった。"リーダー"の考えだからやってみたけど、てめぇら人間はやっぱりクズだ。すっかり自然界の頂点になった気でいやがる」と亀は毒を吐きつけるように言うと、その姿を霧に変え始めた。


「あ、こらっ! 待ちなさいッ!!」とアイリスが霧になって消えかかる亀に剣を振るった。


「殺されなかったことは感謝する。でも、お前らの傲慢な考えは賛成できない。みんなにもそう伝えておく」と完全に消える直前にそう言い残すと亀は消えていった。アイリスの剣は虚しく空を斬った。


「……どういう、ことよ」アイリスは剣先を地面に振り下ろした。行き場のない怒りをそこにぶつけるかのように。


 魔物たちはただ愉快犯的に人間を襲っているわけではなかった。生存するために必要なことだったと言っていた。それにあの亀の魔物の口ぶりからすると、基本的に魔物たちは人語を解することができるらしい。なぜこの世界の言葉ではなく、日本語だったのかは分からないが。

 アイリスはわけがわからなくなった。幼少のころから魔物は絶対悪。打ち倒すべき相手だと教えられ、そしてそれは世界の常識だった。


「……最悪だ」アイリスは剣を鞘に収めて呟いた。今まで生きてきた道が否定されたような気がした。たかが魔物が喋れることと、私たちを食料にしているということが分かっただけじゃないか――そう考えるが、彼女は非情になりきることはできなかった。







***





 暗い部屋で、一人の少女が座っていた。床には畳が敷かれ、部屋を囲っているのは襖という、いかにも和室という風な部屋だった。

 彼女は目を閉じていた。眠っているわけではなく、時を待っているようだった。


 外から足音が聞こえると、少女はすっと目を開けた。それと同時に襖が開かれる。


「おいおい、どういうことだよリーダー! あいつら全然聞く耳もたねえじゃねーか!」と静かな部屋に怒鳴り散らしながら入ってきたのはただの黒い霧だった。


「最初の作戦はなかなかよかった。やつら戦う術を無くしてたからな。でも最後にあいつらと喋る必要性が感じられない」と霧は続けて言った。


「思っていることは、伝えた?」とリーダーと呼ばれた少女が静かに尋ねた。


「ああ、ぶちまけてやったよ。そのせいか知らないけど、こうして生きて帰ってこれた。なあリーダー、この作戦になんの意味があるんだ? "殺されそうになったら喋って命乞いをしろ"だなんて」


「そのうちわかるよ」と少女が言った。


「ちぇ、もったいぶっちゃって。でもま、俺はしばらく動けねぇからこれからどうなるか観察しとくよ」そう言うと霧は静かに部屋を出て行った。


 少女はまた目を閉じて、静かに時を待った。

 時折目を開いては、どこか哀愁漂わせる表情でため息をついた。


 その度、白い二つ結びの髪が揺れた。ふわふわと、まるで雪が散るように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ