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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第一章.始まりのラ・トゥ
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3.イリア

 下へ降り、雪乃は改めて周りを見渡した。

 地面は芝や土に覆われ、空を遮る都会のビルというものはまったくなく、どこまでも遠く澄んだ青色が見通せる。


 視線の先々に見える建屋は、その一つ一つが離れたところで建てられており、そのどれもが木造に藁の屋根といった造りのものだった。

 そして雪乃はその視界に、農作業に使うであろう道具を持った男性を発見した。


 先ほど上から見渡した時に発見した人々と同じような――民族衣装といえばいいのだろうか、身体全体に白い布を纏い、黒色のポンチョを着ていた。

 腰からはポンチョの下に着ている白い布に付随した細いヒラヒラが垂れている。

 雪乃はその男性に駆け寄ろうとして、足を止めた。


「言葉……通じるのかな?」


 雪乃は自分の姿を見る。

 学校用の制服姿は、この村の風景に溶け込むには相当無理があった。

 あきらかに日本ではない物の人々の衣装や村を見ると、雪乃は急に不安を覚えた。


「あ、あの……」


 だからといってこのままじっとしている訳にもいかず、雪乃はオドオドした様子のまま村人の男性に声をかける。

 しかし、その声は男性に届かなかったのだろうか、雪乃に気づかずさっさと歩いていってしまう。

 雪乃は緊張からか、きゅっと下唇を噛みながらどうしよう、どうしようと慌てふためいた。


「あ、あのっ……すみません!」


 結局、雪乃にできたことは男性に駆け寄り、少し声を大きくして話しかけることだけだった。

 男性は声に気づくとゆっくりと振り向き、雪乃の姿を目を見開き驚いた。


『あ、あんた……』


 農具らしきものを取り落とし雪乃を指差しながら、男性は雪乃が聞いたことも無い、少なくとも日本語ではない言葉を呟いた後、雪乃に近づき両肩をに手を置いた。


『あんた、異界人だな!?』


 雪乃には男性が何を話しているのかはわからなかったが、少なくとも自分の存在に驚いているんだろうということは理解できた。


『仕事なんて行ってる場合じゃねえや。嬢ちゃん、こっちに来な!』


「えっ……ちょ、ちょっと?」


 雪乃は男性に何語かもわからない言葉で早口で捲くし立てられると、手を引かれ小走りでどこかに連れて行かれる。

 どうやら遠くに見える、他の建屋より一際大きい建物に向かっているようだ。


 少し走った後、その建物に到着すると男性は雪乃の手を引いたまま建物の中に入っていった。

 建物の中は円形の大きなテーブルが鎮座してあり、そのテーブルの前にいかにもガラの悪そうな大男が腕を組みながら椅子に座っていた。


 大男は雪乃の姿に気づくと、少し驚いたような様子を見せた。

 そして、無言のまま空いている隣の椅子をバンバンと叩いた。


 雪乃はここまで自分を連れてきた村人の男性をちらりと見る。

 男性は椅子に座れ、と言わんばかりに手を椅子の方に差し伸べるようなジェスチャーをしていた。


 雪乃は怖そうな大男の隣に座りたくなかったが、ここまで露骨に「座れ」と分かるジェスチャーをされてしまえば、大人しく従うほかなかった。


『タジ、あれ持ってこい。なんだ……言辞録だっけか?』


『うっす、ちょっと待っててくだせえな』


 大男と村人の男性が何か会話をしていたが、雪乃には何を話しているのかさっぱりだった。

 言葉を交わした後、男性は奥の部屋へ消えていった。


 雪乃は両拳をぎゅっと握ったまま、黙って座り込んでいる。

 大男とは怖いのであまり喋りたくはなかった上、第一言葉が通じない。


 大男もそれが分かっているのか、雪乃に話しかけずただじっと座っていた。

 そんな沈黙の状態がしばらく続くと、さきほど部屋の奥へ行った男性が大きな木箱を持って帰ってきた。


 男性はその木箱からなにやら記号のようなものがたくさん書かれた紙を取り出すと、テーブルの上に広げた。

 その紙はとても大きく、その内容を全て見るためには身を乗り出す必要があるくらいだった。


『嬢ちゃん、これ分かるか?』


 男性は何か喋りながら、テーブルの上にリンゴを置くと、紙に書かれた記号の羅列とそのリンゴを交互に指差した。


「えっ……あの、なにをしたらいいの?」


 その行動の意味が分からず、雪乃は困った顔をした。

 しかし、男性は雪乃のそんな表情を見ると、また別の記号の羅列とリンゴを交互に指差した。


「あれ……これもしかして?」


 雪乃は、この男性の行動の意味になんとなくだが、気づいた。

 恐らくこの村ではリンゴのことを、この記号の羅列で書くということを教えてくれているのではないか、と。


 しかしそれだと一度目と二度目の記号の羅列はまったく違うものであったので、雪乃はやはり混乱する。

 男性はまたも雪乃の表情を見ると、更に別の記号の羅列とリンゴを交互に指差した。


 そんなやり取りを長い間続けた後、ようやく状況に転機が訪れた。


 男性が指差した記号の羅列――否、そこには平仮名で「りんご」と書かれており、男性はそれとリンゴを交互に指差した。


「リンゴっ! リンゴだ!」


 雪乃は椅子から立ち上がり、紙に書かれた「りんご」の文字を指差す。

 そして、この瞬間雪乃はようやく男性の行動を理解した。


 この紙に書かれた記号たちは恐らく、それら全てが色んな国の「りんご」という意味の言葉であるということ。

 そして男性は「この中で知っている言葉はあるか?」ということを尋ねたかったのだということを。


『タジ! この言葉だ、これが分かる翻訳士をすぐに呼べ!』


『うっす、今すぐに!』


 大男はよし来た、と言わんばかりに声を張り上げると男性もそれに答え、走って外に出て行った。


 また、雪乃と大男との沈黙の時間が始まった。


『……こいつは俺達の世界で「リンゴ」っていうんだ。「リンゴ」だ』


 しばらくそれが続いた後、大男がリンゴを持って雪乃に話しかける。

 やはり雪乃には何を言っているのか分からず、首を傾げると大男は何度も同じ言葉を続けた。


『リンゴ、リンゴ』大男は繰り返し言った。


 聞いたことの無いその言葉を何度も言われるうちに、それが大男達の言葉でリンゴのことを言うのだということを雪乃は理解した。


『リンゴ?』


 雪乃はリンゴを指差しながら、大男の発音を真似て言ってみた。


『そうだ、なかなか上手いじゃねえか』


 大男は二カッっと雪乃に笑顔を向けた。

 正しく言えたようだ、と嬉しくなった雪乃は今度は日本語を教えてあげようと、リンゴを指差し日本語で何度も「リンゴ、リンゴ」と繰り返した。


「り、んーご?」あどけない発音で、大男が言った。


「そうっ、りーんーご、リンゴ!」


「リンゴ、リンゴ」


「上手い上手い!」


 何がおかしいのか、二人で何度もリンゴ、リンゴと繰り返し、お互い笑いあった。

 それから少しして、外に出て行った男性が息を切らしながら帰ってきた。


『アニキ、連れてきやしたぜ!』


『おう、悪いな走らせちまってよ』


 大男は椅子から立ち上がり、男性の肩を叩き労い、建物の入り口を見やる。

 雪乃もなんとなく椅子から立ち上がると、大男の視線の先を見つめる。


「誰か、来るのかな?」


 雪乃は首を傾げながらそう呟いた時、入り口の扉が開いた。


 そこには身長1メートルちょっと程の大きさの、ヒラヒラのメイド服に身を包んだ少女がいた。

 癖のない長い銀の髪に、白い肌をした少女はその不自然といってもいい身体の大きさも相まって、人形を思わせる。


「イリアと言います、どうぞよろしく」


 スカートの裾を両手でつまみ、片足のかかとをあげると、少女は日本語でそう言った。


「あ、わ……私、雪乃! 初瀬雪乃って言います!」


 やっと言葉の通じる人がいた――と、喜びと安心で緊張の解けた雪乃は笑顔で挨拶をした。

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