10.密かな戦術
しばらく馬車を走らせ、王都アルコスタを目前としたところにその魔物はいた。
大きな亀のようなシルエットをした魔物はゆっくりと王都へと迫っていた。動きは鈍いが、大きな身体の一歩一歩の歩幅はとても広く、このまま黙って歩かせているわけにはいかなかった。
少女ら一行は馬車を降り、亀の魔物と対立した。
「姫様、どうやらあの甲羅が核のようです」とトキの目を使用したイリアが魔物の情報を読み取り言った。
よりにもよって一番堅そうな部分か、とアイリスは下唇を噛んだ。しかし、戦う以外の選択肢は彼女にはなかった。剣を手に取り、魔物へと一直線に向かっていった。先ほどの魔物との戦闘で纏わせた黒い霧は随分と薄くなっていた。
しゅっ、と鋭い息を吐きながら魔物の甲羅を目掛けて剣を振り下ろした。だがその堅牢な甲羅を切り裂くことは適わず、剣は弾かれてしまう。
――やっぱり直接斬るのは無理か……!
やはりというべきか、剣での攻撃に勝機を見出せないと判断したアイリスは一つの方法を思いついた。剣を一度鞘に収めると、腰に提げた二本のワイドニードルを取り出す。
"破壊"が無理ならその身体から"切断"してやればいい――そう考えたのだった。
アイリスは魔物の懐に潜り込み、甲羅と身体の接続面である根の部分をニードルで狙った。そうはさせまいと魔物が大きな身を揺すり、足を上げるとアイリスを踏み潰そうとする。
危険を察知した彼女は間一髪、転がりながら攻撃を避けると一旦離れて体制を整える。
「(甲羅を叩き割ることも無理、切断するにも近づけない……どうすれば――!?)」
魔物と距離を離したアイリスは、荒んだ息を整える。幸い魔物は動きが鈍く、長いリーチを持っているわけではなかったので、立ち回りを冷静に行えば攻撃を受けずに体力を回復することは容易だ。とアイリスが考えていたその時。
「ゴオオオオオォォォッッ!!」
魔物は大きな叫びと共に、その口から鋭く尖った形に変容したエーテルを吐き出した。思いもよらぬ遠距離からの攻撃に、アイリスはほとんど反射的に身を折りなんとか避けることに成功する。
「(あれはまさか……エーテル毒?)」
アイリスは過去の魔物との戦いの経験から、先ほどの攻撃がエーテル毒なのではないかと考えた。基本的に魔物は大きな姿を象り、絶対的な打撃力で戦う。しかし、その魔物が牙や爪などといった鋭利な攻撃方法を用いた場合、それはエーテル毒の攻撃であることが多かったのだ。
先ほどの攻撃もエーテルの衝撃力をぶつけるにしては、不可解な鋭さをその先端に持っていた。
一度食らってしまえば死を逃れる手段はない――そんなエーテル毒の可能性がある攻撃を避け、アイリスはほっと息をついた。嫌な汗が頬を伝っていく。
魔物は口からあふれ出たエーテルを吸いながら、身体を上下に激しく揺らしながら呼吸をしていた。
そう何度も連射できるようではないようだった。
とはいえ遠距離でぐすぐすしている暇は無い、かといって近距離で効果的な攻撃ができるわけでもない。打つ手がない……アイリスはなんとか突破口を見出そうとしながら汗を拭う。
使える残りの魔法はあと一回。せめて二回あれば剣への二重強化魔法で甲羅を砕くこともできたかもしれない。しかし、一回の強化ではあの甲羅には弾かれてしまうだろう――と、アイリスは一撃目の手ごたえからそう感じ取っていた。
エーテルの絶対数が足りていない。打開策を考える彼女はそこである一つの結果にたどり着く。
それとほぼ同時に、アイリスは後方に気配を感じ振り向いた。
「……ユキノっ!?」
そこに立っていたのは折れた剣を持つ雪乃と、イリアだった。二人は指を絡めるように握りあっていた。
剣の折れた部分から先には、見ているだけで吸い込まれそうになるほど濃いエーテルが纏っていた。その色はあまりにも濃く、霧特有のぼんやりとした輪郭がまったくなかったので、一瞬そういう色合いの剣なのかと錯覚してしまうほどだった。
「エーテルを使えないはずのユキノが、どうして」
「私が制御しています。こうして手を繋げば、ユキノ様をエーテルの通り道にすることができるようです」とイリアが言った。
「アイリス、私も戦うよ。このガーネットで!」そう言った雪乃の首に提げられたガーネットは、淡く発光し続けていた。
「ガーネットの能力……覚えていますよね? さきほどの移動中、ガーネットからエーテルを呼び出して"成長させ続けて"いたのです」と多量のエーテル制御が難しいのか、表情をゆがめながらイリアが言った。
「そろそろ成長限界が近いです。放出してやらないと暴発してしまいます」とイリアが言うと同時に、剣に纏ったエーテルが不気味にゆらっと揺れた。
「わかったわ。私が隙を作る。その後ユキノ……あなたに任せる。できる?」
「う、うんっ……やってみる!」
「じゃあ、あとに着いてきなさいっ!」とアイリスが言うと魔物に向かって駆けていった。
後を追おうと雪乃が走りかけるが、手を繋いだイリアの足が動かない。
「イリアちゃん?」雪乃が心配そうにイリアを振り返る。
「成長が早い……っ! 押さえ……られないっ!!」イリアが苦しそうな声を出したのもつかの間、剣に纏わりつくエーテルは破裂と言う言葉を思わせるように弾け、剣先から一直線に伸びていった。
折れた剣先から伸びたエーテルは、巨大な剣を思わせた。なんとか形を維持するため、イリアは制御をするが多量のエーテルが身体を駆け回り、元の大きさに戻すことは適わない。
そんな時、魔物が口を大きく開けた。二射目のエーテル毒攻撃か――。
「ユキノっ!? イリア!」異変に気づいたアイリスが二人を呼ぶが、声は届かない。魔法無害化を散布しようにも距離が遠すぎる。
「カオォォォォォォッッ!!」
魔物の雄たけびと共に、凄まじい質量のエーテルが発射される。細く鋭く制御されたそれは一直線に雪乃を目掛け――。
シィィン――という超音波に近い音と共に、エーテルは雪乃の胸に刺さり貫通していった。
「ユキノ様っ!!」イリアが悲痛な声をあげた。
雪乃の身体はゆらっと揺れ、倒れそうになるがしっかりと足で持ちこたえる。
「あああああぁぁぁぁっ!!」突如雪乃は叫びながら剣を振り上げると、巨大なエーテルの塊をそのまま魔物へと叩きつける。
いくら堅い甲羅でもそれを防ぎきることはできず、驚くほど簡単に核を粉砕していった。地面には巨大な穴が開き、遙か底に魔物の砕け散った残骸があった。
あまりにも瞬間的に、決着がついた。巨大なエーテルは急速に薄れ、やがて消えていった。
雪乃は力が抜けたように地面に倒れ、身体の小さなイリアも巻き込まれる形で地面に倒れた。
「ユキノーっ!!」
魔物の生死はまだ確認していないが、今はとにかく仲間の少女が心配だったアイリスは倒れた雪乃とイリアの元へ駆けつける。
「ユキノ、あなたエーテル毒をっ――」
「え、へへっ……私、ちゃんとできたかな」駆けつけたアイリスに対して、雪乃は笑顔を向けた。
まともにエーテル毒を受けたならば、やがてその命は尽きてしまう。
それが分かっているだけに、笑顔を向けられたアイリスは何も言わず雪乃を抱きしめた。笑顔が見たくなかった。
そして、ふとアイリスは何かに気づく。そうだ、確か――。