9.知略
「姫様!」
そんな時、声をあげたのは魔物の核を探知していたイリアだった。
その一言でアイリスは全てを察し、痛む足を省みず雪乃たちの元へと走った。イリアが核の位置を探知し終えたのだ。
そして三人纏まることを好機とみたか、魔物はアイリスを追うように駆け始めた。
身体の大きさに比例して長い手足から生み出される脚力で、たちまちの内にアイリスは追いつかれてしまう。
彼女は滑り込むように二人と合流すると、すかさず魔水晶を輝かせる。
「魔法無害化――!」
魔物が大きな爪で雪乃たちを引き裂くよりも一瞬早く、アイリスが叫び黒く濃いエーテルを散布した。魔物はそれに触れると弾かれるようにのけぞった。どうやらこの魔法には俗に言うバリアのような効果があるらしかった。
これで五回の内、四回の魔法使用権を浪費してしまった。使える魔法はあと一度だけ……でも、まだ許容範囲――! とアイリスは状況を確認するとすぐさま次の行動に移った。
「イリア、あいつの核は!?」
「尻尾です! やっちゃってください姫様っ!」とイリアが叫んだ。
「よし、今よユキノっ!」とアイリスに呼ばれた雪乃は、はっとした。いくら魔法の壁に守られているとはいえ、目の前に巨大な魔物がいるのだ。恐怖で気を集中していられなかった。
足や手は震えていたが意志は強く持っていた。村でもっと怖い思いをしたからだろうか、あの時に比べればまだ状況は良い方に決まっている――!
そう思い込み、半ば自棄になりながらも目くらましの法を地面に叩き付けた。
球体状のそれは地面に当たる衝撃により砕け散り、翠色の光を放った。(この時雪乃はアイリスの忠告を忘れていたが、運よくというべきか、反射的にぎゅっと目を閉じていた)
光を直視した魔物は強い痛覚と共に、一時的に視界を失う。まずは一時退こうという考えなのか、跳躍するために前足を屈伸させた頃にはもう遅かった。
アイリスは雪乃が目くらましの法を発動させる時にはもう魔物の裏に回りこんでいた。目くらましの法が効いている間に、少しでも早く魔物の核を取り除く――そのためにこの役を雪乃に任せたのだ。
「はあぁぁぁっっ!!」
叫びと共に核である尻尾を一刀両断。生々しい血が飛び散り、ボトッと音を立てて大きな尻尾が地面に落ちた。
ついでと言わんばかりに魔物の背中に駆け上がり、先ほどつけた傷へ剣を突き立て震感魔法を発動しようとしたその時――。
「グオォォォォッッ!!」
尻尾を斬られた痛みによるものか、それとも生存本能によるものなのか。
魔物は激しい雄たけびと共に暴れると、アイリスはたちまち振り落とされてしまう。
「しぶっといわねっ!」
アイリスは衝撃を上手く受け流しながら着地すると、悪態をつきながら剣を構えた。
足の痛みは消えていないが、ダメージを負っているのは魔物とて同じこと。ここが正念場だ、とアイリスが踏み込もうとぐっと足に力を込めたときだった。
「……えっ?」
魔物は不意に背を向けると、そのまま走り去ってしまった。それはどうも怯えによる逃走には見えなかった。去り際に一瞬表情を見せたがどこか余裕を感じられた。(アイリスには魔物の表情など分からないがあくまで感覚的にではあるが)
そして視界の遠くで、魔物は原型を歪め霧になるとそのまま薄れていき、最後には消えてしまった。
「逃げた……?」とイリアが不可思議に呟いた。
「逃げる魔物なんて初めて見たわ。そもそもそういうことを考える"知"があるなんて」とアイリスが言った。
「でも、最後の魔物の表情……なんか怖かった。まだ余力があるというか、まるで"最初から逃げることを決めていた"ような……」と雪乃が言いかけたその時。
「っ!? 待ってください! あの魔物は消えたはずなのに、まだ魔物の気配があります!」と不意にイリアが驚愕の声をあげた。おそらくまだ効力の残った"トキの目"で情報を感じ取ったのだろう。
「どういうこと!? まだあいつが近くにいるの?」
「いえ、これはっ……。別の魔物のものです! 場所は、ここから更に王都の近くです!」とイリアが言った。
「――まさか、囮っ!?」とアイリスが魔物の狙いに感づいた。
先ほどまでの獣の魔物はこちらの気を引くための囮だったのだ。本命は王都の近くに居るという、件の魔物なのだろう。
「そ、そんなまさかっ……魔物にそのような連携を行う知能などっ……」とイリアが言った。
「私も、そんなことありえないと思う。でも、今回の戦いはどこか違和感を感じることがあった。今までの魔物にしては、そんなことありえないって思うことが」と戦いを振り返りながらアイリスが言った。
「でも、認めるしかない――"奴ら"、知能を持ち始めた……それも、意地の悪い知恵よ」信じられない、とアイリスは心の中で思う。しかし、今回の戦いに限っては妙な部分がありすぎた。魔物が知能を持った――そう考えるほうがむしろ自然なくらいだった。
「と、とにかくその魔物を追いかけなきゃ! 王都に向かってるんでしょ!?」と慌てた様子の雪乃が言った。彼女が指差した先には王都があり、そして空には薄い黒があった。
「二人とも、馬車に乗って。急いで!」とアイリスが言った。その言葉に雪乃、イリアの二人はすぐさま馬車に乗り込んだ。馬車は王都に向かい駆け始めた。
「(エーテルがもう残り少ない……! まさか、これも奴らの狙いだったっていうの……!?)」
馬を走らせながらアイリスは下唇を噛んだ。魔水晶の数は残り一つ――すなわち、とどめである震感魔法の分を抜いてしまえば残り一回分しか残っていなかった。
次の魔物がどのようなものかは分からないが、一回の魔法で勝利条件を満たすことは不可能に思えた。
「いや――、それでもやるしかないのよ!」とアイリスは自分に言い聞かせるようにしながら馬を走らせる。
一方、馬車内ではイリアが深刻な表情を浮かべていた。雪乃の様子をちらちらと、何度もうかがっていた。
「イリアちゃん……? どうしたの?」とさすがに視線に気づいた雪乃が心配そうに声をかけた。
「……ユキノ様」
「ん、なあに?」
イリアが何か言いたげにしていた。なかなか言い出せずに沈黙が続く。
やがてイリアは何かを決心したように、顔をあげ雪乃の目を見つめながら口を開いた。
「ユキノ様、お願いがあります」
「……お願い?」と雪乃が首を傾げた。
その後、イリアの口から伝えられた"お願い"は、今の雪乃の勇気が試される、とても重い言葉だった――。