8.第二の魔物
少女らの馬車はとうとう王都を目視できる距離まで近づいていた。
しかし馬車は一旦そこで止まる。これより現れる魔物に対処するためだった。
「最後に作戦を確認しておくわ」と馬から降りたアイリスが言った。
「イリア、あなたは魔物が出現したらトキの目を使って魔物の核がどこにあるか調べて。分かったら合図をお願い」
アイリスの言葉にイリアは頷いた。その手にはトキの目が入った小瓶がしっかり握られている。
「そしてユキノ、核の場所が分かったら私が魔物をギリギリまでひきつけるから"目くらましの法"を使って」
「魔物が来たらこれを地面に叩きつければいいんだよね?」
そう言って雪乃は淡い緑色の光を放つビー玉ほどの大きさの球体を取り出した。
「そう、それで魔物の視界を奪うことができるわ。ただし人間の目にも少なからず影響があるから、使うときは絶対に目を閉じておくこと、いい?」
「うん、わかったよ」と雪乃は頷いた。
「震感魔法以外で使う魔法の数は三回。剣に纏わせるのに一つ、身体能力向上に一つ、魔物をひきつけた時、万が一攻撃を受けないように張っておく"エーテルの壁"に一つ。残りの二回は非常事態の時に使用する。これでいいかしら?」
「はい、依存はありません」
「私も、それでいいと思う」
アイリスの作戦に、二人はそれが現状で最善の方法だと考えた。
「よし、なら早く戦闘準備に入りましょう。霧がどんどん濃くなってる。"奴"はもうすぐ来るはず」
そう言ったアイリスは馬車を離れ、王都とは逆の道を歩き始めた。その方向にはじわじわと濃くなり、その姿を魔物のものへと変えようとしている黒い霧があった。
後から着いて来るようにして雪乃とイリアも歩き始める。
雪乃は酷く緊張していた。魔物をひきつけて緑色の球体――目くらましの法を地面に叩きつける。
ただそれだけのことだが、それは十分に命に関わる危険なことだった。
自分は怯えずにそれを実行することができるのだろうか? と雪乃はどうしても不安な心を拭うことができない。
「大丈夫、ユキノ」と不意に雪乃は肩に手の感触を感じた。
「きっとできる。それに、私がユキノを守ってるから。だから、怖がらないで」とアイリスが言った。
雪乃はアイリスの名前を呟きながら彼女を見つめた。アイリスが側にいる、力強い言葉をかけてくれる――それがこんなにも頼もしいことは他にない、と雪乃は思った。
「さあ、もう来るわ」とアイリスの言葉に雪乃とイリアは身構える。
エーテルは確かな獣の形を獲得し、ついにその実態を現した。
「――先手必勝!」
アイリスが飛び出した。瞬間、腕の魔水晶が輝き彼女の剣と足にエーテルが纏う。それは戦いの基本であり、そしてアイリスの得意とする強化の魔法だった。
人間の速さを大きく上回る速度で、魔物へと斬りかかった。
しかし魔物はいち早くアイリスの存在に気づくと、大きく発達した足で跳躍し攻撃を避けた。
アイリスは魔物に距離をとられると、遠めにその姿を観察する。
白き毛に覆われたその獣は狼を思わせる四足の魔物だった。大きさは村に現れた魔物よりも小さかったが、それでもアイリスより二回り以上も大きかった。
先ほどの跳躍から見るに、相当な素早さも持っているらしい。堅そうな外見をしているわけではないので一度捕らえさえすればその身を切り裂くことは容易に見えたが、どうやら捕らえるまでが苦労しそうだ――アイリスはふっと口角を吊り上げると剣先を魔物へと向ける。
「(イリアが核を見抜くまでに傷くらい負わせたいものね)」
魔物を打ち倒すには手順がある。その中で一番ネックとなるのが"滅びの剣で傷をつけ、それが開くまで待つ"ということだった。
核は部位さえ見抜けば割断すれば良いだけだが、この待つという時間制限だけはこれ以外に方法がなく、どうにもならない。巨大な力で無理やりこじ開けるというのも出来なくは無いが、それにはいくつものエーテルが必要になる。
アイリスは核を取り除いた後、すぐさま震感魔法でとどめを刺したいと考えていたので、どうにかして魔物に剣の一撃を負わせる必要があった。
「あの魔物……凄いね」と遠目にアイリスを見守る雪乃が呟いた。隣で魔物の核を探知するイリアが思わず「えっ?」と声を漏らす。
「だって魔物が出現した瞬間にアイリスが斬りかかったのに、すぐ反応して避けてたよね。私は寝起きにあんな素早い判断はできないよ」と雪乃が言った。魔物の出現を"寝起き"とどこか抜けた比喩をした彼女は決して余裕を見せているわけではなく、ただ純粋に不思議に思っていた。
前回の魔物の時から感じていたことだが、どうも"彼ら"は相応の知能を持ち合わせているというか、今回に限ってはまるで出現前から奇襲を受けることがわかっていたような気がする――と言葉には出さないが、雪乃はそう考えていた。
一方、イリアも探知を続けながらも雪乃と似たようなことを考えていた。はっきりとはしないが、妙な違和感が頭の中から離れない。
そんな二人の不安を他所に、アイリスはどうにか魔物に一撃を与えようと立ち回っていた。
魔法での身体強化を用いた踏み込みで接近するも、あと一息というところで避けられてしまう。そんなやり取りを二度ほど続けた時、アイリスはふと違和感を感じる。
「(どうして攻撃してこないのかしら……?)」
そう、先ほどから魔物は攻撃を避けるばかりでこちらに攻撃してくる様子を見せない。そればかりか、"雪乃たちからアイリスが離れるように"立ち位置を誘導されているような気がしていた。
無意識に彼女らを守ろうとしているアイリスはある一定のラインを超えて魔物を追うことはなかったが、二度も同じようなことをされると薄々魔物の狙いに感づくことができた。
「結構、露骨なのね」舌打ちながらアイリスは呟いた。
魔物は凶暴な見た目をしておきながら、この戦いにおける強者弱者の立ち位置を理解して立ち回っているらしい。
雪乃やイリアに襲い掛かればアイリスに隙ができることを知っている。恐らくは。
「できれば使いたくないけど……」ならばこちらも一つ手を打ってやる、と言わんばかりに一つの魔水晶が輝いた。使用できる五回の内、三回目の魔法だった。
「二重強化魔法――!」
アイリスが叫ぶと、更なるエーテルが彼女の足に付与された。身体能力を向上させる強化魔法にもう一度魔法を重ねる高等技術だった。アイリスがぐっと剣を握り直すと魔物の懐に踏み込んだ。
予想外の速度に魔物は戸惑った様子を見せつつも、間一髪後ろに跳躍して少女の斬撃を避けた。
しかし、彼女の攻撃はそれだけではなかった。むしろ一撃目は挨拶代わりのフェイクだった。踏み込みの速度もまだ本気を出していない。
元より当てるつもりもなく、力の篭っていない攻撃で体制を崩すことの無かったアイリスはすぐさま跳躍した魔物を追うように続けて飛んだ。
「ふっ!」
仮にも魔物は地の生き物の姿をしている生物だった。空中で自由の利かない大きな身体にアイリスは鋭い息を吐きながら、魔物の足を狙って剣を振るった。
無理やりにその身体を捻って斬撃を避けようとした魔物だったが、完全に避けることは適わなかった。どうやらその持ち前の機動力を奪われまいと足ではなく背中でアイリスの剣を受けたらしい。
一回転、地面を転がりなんとか受身を取った着地をしたアイリスは魔物に追撃をしようとした。しかしその足は一度そこで動きを止めてしまう。
「(やっぱり二重強化は無理があった……!)」
二重強化魔法による人間のそれを大きく超えた動きは、やはり身体にかかる負担も大きかった。
足は少し痛む程度だったが、それではエーテルの制御に集中できない。魔法二回分のエーテルを足にかけているが、それを使用することができない――アイリスはそんなジレンマを抱えてしまった。
しかし、それと引き換えに魔物に傷を与えることができた。背中という再び攻撃を加えるのは少し狙いにくい位置とはいえ、そこは魔物の牙や足といった攻撃を受けない位置でもあった。
更に言えば、魔物の背中は比較的柔らかな肉質であったので、エーテルを纏わせた剣で大きな傷を与えることもできた。これならば長い時間をかけずとも震感魔法を使うことができるだろう。
とどめのための一手としては重畳だ、とアイリスは思った。
彼女は支払ったコストは多少あったものの、大きなリターンを得ることに成功したのだった――。