4.少女はどうして生きている?
「えっ、これが……?」
雪乃は首から提げたガーネットを手に取ってみせる。
色はただの黒ではなく、それに赤みを帯びさせた柘榴の色。それがアイリスの所有している宝石――魔水晶とは今まで思いもしなかった。
「そう、厳密に言うと少し違うんだけど。魔宝石って呼ばれて区別されたりする場合もあるらしいわ」
「魔宝石」と雪乃が言った。
「魔宝石に区別されるものは、基本的に魔水晶よりも希少なの。エーテルの貯蔵量が多いし、その他にも特別な力があると言われているわ」
アイリスが言った。
すると、外で使うための簡易椅子に座っていたイリアが立ち上がった。
「ガーネットの能力は確か――成長魔法。この石から解放されたエーテルは空気中で徐々に濃さを増していくと聞きます」とイリアが言った。
「エーテルを成長させる力ってこと?」
アイリスが首を傾げる。
「はい、ただし無理やり成長したエーテルはとても脆く、一度強い衝撃が加わるとエーテルは消えてしまうそうです」
「つまり、それで魔物と戦うなら一撃で仕留めろってことね」
「ある一定の濃さも超えてはいけないようですね。強いエネルギー拡散が起きてエーテルが消失してしまうようです」
「なんか、詳しいのね」
「ええ、本に書いてありますから」
イリアはそう言うと、分厚い本を掲げて見せた。小さなイリアが持つとただでさえ大きい本が余計に大きく見えた。
「もう、そんな本があるなら始めから言いなさいよ――っと、話がそれたわね。とにかく、まずはエーテルを解放してみましょ?」
アイリスが雪乃に振り返り、言った。
「で、でも私エーテルなんてどうしたらいいのか……」
雪乃が鞘を抱きかかえるようにして持ったまま、首を傾げた。
「解放するだけなら簡単よ。まず身体に流れてるエーテルがあるでしょ――」
「えっ? エーテルって身体の中にもあるの?」
雪乃がアイリスの言葉を遮るように尋ねた。
「え? そりゃあるでしょ? 無いと生きていられないわ」
「この世界の人たちに限った話じゃなくて?」
「ええ、エーテルって各々の世界で言葉の違いはあるけれど、身体に無いなんてことないはずよ。そもそもエーテルは生命の源でもあるはず」
「生命の源?」雪乃がまた首を傾げた。
「例えばエーテル毒って、身体からエーテルを抜かれて生命力が無くなることを言うのよ? エーテルがないのは死と同義よ」
「こっちの世界の人たちはそうかもしれないけど、少なくとも私の世界で"あんな黒い霧"は見たことないし聞いたこともないよ」
そう、雪乃の世界に物理力だとか、生命の源だとかいった不思議なものはなかった。
"身体から抜かれると死んでしまう"という点で雪乃は魂を想像したが、それも現実的に存在しているかと言われれば存在していないだろうし、そもそも黒い霧が体内に存在しているなんてありえない話だ。と、雪乃は考えていた。
「――エーテルのない世界?」
それまで静かに考えを廻らせていたイリアが、口を開いた。
「まさかそんな。だって異界人はたくさんいたけれど、エーテルのない世界から来た異界人なんて聞いたこと無いわ」
アイリスは信じられない、という様子だった。
「まあ……でも、ないならないでもいいんじゃないかな? それよりもエーテルの使い方を教えてよ」
難しい話は苦手だった上、早くエーテルを使ってみたい気持ちの雪乃は急かすように催促をした。
「……無理よ」
「えっ?」
「体外――つまり空気中や魔水晶内のエーテルを操る時は、自分の体内のエーテルを吐き出し、吸収して"エーテルを廻す"という過程を経て成立するの。体内にエーテルがないってことは――」
「エーテルを操ることができない……?」
アイリスの言葉に続けるようにして、イリアが言った。
「あ……はは、そうなんだ」
少しばかり楽しみにしていたエーテルは、体質的に使えない。
そう宣告された雪乃は乾いた笑みで返事をしてみせた。戦いのためにこの世界にいるわけではないのだから、状況が絶望的というわけではなかった。
しかし、先ほどから懸念されている自分だけかもしれない体質のことを考えると、不安にならざるを得なかった。なにしろエーテル扱うことはこの世界の人々にとっては至極普通のことらしい。
「うん、でも使えないなら仕方ないよね。なにか他のことで役に立てるように頑張るよ」
それでも前向きに考えることにした雪乃は、エーテルを使用した力仕事ではなく、その他の作業ができるようになろうと決心した。
「そうね、エーテルがないんだもの……仕方ないわ。でも、不思議ね。エーテルがないなら、雪乃はどうやって生命を維持しているのかしら?」
「エーテルの代わりになるものを体内に備えているか、または外見が私たちに似ていても内部の構造がまったく違っているとか……諸説はありますが、今ここで考えても答えは出ないでしょうね」
イリアは頭を悩ませながら、自らの考えを述べた。彼女らにとってエーテルとはそれほどまでなくてはならないものだった。
「王都に行ったら、一度検査を受けてみたほうがいいのかも――ねっ!」
アイリスはそう言いながら、少し力を込め少量のエーテルを纏わせた剣で太い木を割断してみせた。
いつ見てもびっくりする――雪乃はそう思った。
確かに便利そうで、戦いには欠かせないものなのかもしれないけれど、少し怖い。いっそ使えないと決められてしまっていた方が戦うこともなくていいかもしれない……と、雪乃は考えていた。
"善く生きる"というのは、なにも平和のために魔物と戦うことだけではないはずだ――。




