1.雪凪
初瀬雪凪は聡明な少女だった。
歳は15、家柄が特別なわけではないがその身にまとう雰囲気がどこか周りの知人友人とは違っていた。
学校での成績は常に上から数えて一桁台(一位になった経験はない)をキープし、スポーツや美術、音楽も飛びぬけた才を発揮していたわけではないが、周りから一目置かれる程度には素晴らしい実績を誇った。
これらのことから教師陣は彼女を「上の中、とりわけ何か突出したセンスを持つわけではないが優秀な生徒」と評価していた。
だが、実際は違っていた。少女は天賦の才と呼べるほどの恵まれたセンスの持ち主だった。
どの科目も真剣に打ち込めば、恐らくはトップの成績をたたき出すことも出来るだろう。しかし、少女はそれを望まなかった。
少女は一番上になることが怖かった。一番上まで登り詰めた後、上を見上げても何も見えないことに恐怖していた。
母親にこのことを話したときは「たかが勉強のことで何を大げさな」と一笑されてしまったという。
しかし少女は知っていた。
"一番"はとても危険だということを。
気づいたのは小学校5年生の時だった。そのころはただひたすらに良い得点を目指して頑張っていた。
少女のポテンシャルならば、小学校の科目で一番を取ることはさほどの苦ではなかった。ただ少し多めに努力しさえすれば、すぐに一番になれた。
小学校低学年の頃から一番であり続けた少女は、ある時大きな虚無感に襲われた。
「私はいま、なにをがんばっているんだろう?」
テストを頑張れば、100点を取ることができた。しかしその先が無い。
死ぬ気で頑張ったわけではない、ただちょっとの努力で最高得点を取ることが出来るのだ。
理由は分からなかった。最初は嬉しかった一番が急に怖くなったのだ。
その時から少女は周りと、自ら一歩引いて接するようになった。
周りを見下しているわけではもちろんなかった。ただ、自分はここにいるべきなのだろうか? と、少女はいつも考えていた。
そんな少女が唯一素のままで接していられたのは、姉の雪乃だった。
少々気の弱い姉だったが、とても優しい姉が少女は好きだった。
ある日のこと、そんな姉の様子に違和感を感じた。
どこか決定的な違いを感じたわけではなく、それは勘に近いものだった。しかし母親に聞いても、特になにも感じないと一点張りだった。
とにかくどこかおかしい。
会話の受け答え、行動が"どこか自然ではなく"、まるで台本に書かれた台詞と演技を行っているかのような、そんな違和感だった。
あれはいつからだったか。雪凪は記憶を廻らせる。
そう、一番初めに妙な行動を見かけたのは約二週間前の放課後、確か週の初め……月曜日だった気がする。
「あの時、お姉ちゃんは鏡を触って何をしていたんだろ?」
雪凪が思い出したのは、姉が鏡に触れてしばらくそのままの体制であった光景。
ただそれだけだと何事も無さそうだが、よくよく考えてみれば変なことだった。じっと鏡に向かい手を伸ばし、何をしていたというのだろうか。
思い立ったが吉日、雪凪は雪乃の部屋へと向かった。先ほど「今日は出かけてくるから夕飯はいらない」という旨のメールを"姉のアドレスから受信した"のでしばらくは帰ってこないだろうと雪凪は考えた。
部屋内に入ってまず目を引くのが大きな姿見の鏡だった。例の鏡だ。
今は埃避けのシーツが被せられており、雪凪の姿を反射することはない。
「あの時は確か……こんな感じにしてたっけ」
呟きながら雪凪はシーツを外し、鏡に手をかざす。
そこには自分と寸分違わぬ姿が反射されているだけだった。
こんなことをしても得られるものは何も無いと分かっていたが、これ以上調査する要因も見つからず途方にくれてしまう。
「こうなったら、直接聞いてみたほうがいいかな」
少女はそう決めると姉の帰りを待つことにした。しかし就寝時間になっても姉は帰ってくることは無かった。
姉がどこかに泊まりなんて初めてだな……などと考えながら、雪凪は眠ることにした。
その日、雪凪はどこか知らない土地で、大勢の人たちに何かをお願いされる夢を見た。
夢にしては珍しく、情景を鮮明に記憶することができていた。
あの夢は一体なんだったのだろうか――。