19.さようなら、ラ・トゥ
「ユキノ、準備はできたかしら?」
「ち、ちょっと待って!」
ガーネットの弔いを終えた雪乃は王都へ出発する準備を進めていた。
既に準備を終えているアイリスが外からかける。
「えっと……ガーネットさんから貰った宝石と、元の世界の制服と……」
雪乃はこの世界に来て早々、今までクローゼットに仕舞われていた学校の制服を取り出し、暫くそれを眺めていた。
もう一月にもなるのか、と色々な想いを馳せていたその時ゴトッという少々鈍い音が鳴った。何かが床に落ちたようだった。
「……あ、これっ!」
床に落ちたそれを拾い上げると、雪乃は大きな声をあげた。
手のひらに乗せた機械的な物体はまさしく元の世界で雪乃が使っていた携帯電話だった。
どうやら今まで制服のポケットに入ったままだったらしい。
「ユキノー! もう出発するわよー!」
「うん! すぐ行くよ!」
荷物を全て麻袋へと詰め込んだ雪乃は、アイリスに呼ばれるままログハウスを飛び出した。
丸太で作られた階段を一気に駆け下りると、振り返り今まで寝泊りした家を眺めた。
すっかり住み馴染んだ家を離れることを考えると、少しばかり感慨深い。
「もう、なにしてたのユキノ?」
「ごめんごめん、ちょっと荷物の整理に手間取っちゃって」
待ちわびた、と言わんばかりの様子でアイリスが言った。
その言葉に雪乃が振り返ると、そこには立派な灰色の馬と、それに繋がれた馬車があった。
アイリスは馬の上にいたようだった。
「ユキノ様、こちらへ」
馬車のカーテンを開き、イリアが顔を覗かせ手招きをした。
雪乃は駆け寄ると麻袋を持ち上げイリアに手渡すと、自らも馬車に乗り込もうとするが意外と高さがありなかなか上手くいかない。
「ほら、危ないわよ」
見かねたアイリスが馬から降りると雪乃を抱きかかえると、人一人を抱えているとは思えないほど身軽に、雪乃を馬車の中へ入れてみせた。
「あ、ありがと……」
「いつまでも手は貸してあげられないからね。次からは自分で乗れるようにするのよ?」
そういい残したアイリスは馬車から降りて馬の方へと向かっていった。
一方、雪乃は馬車一つ上手く乗れない自分に辟易した。
「大丈夫ですよ、ユキノ様。小さなことから出来るようにしていけば良いのです」
雪乃がついたため息に、イリアは励ましの言葉を言った。
「うん、頑張るよ……」
経験が無いとはいえ、あまりに駄目な部分が露呈すると呆れられてしまうのではないだろうか。雪乃は少し不安だった。
しかしそれと同時に、これからは自分の出来ないことを出来るようにしていこうと考え、ぐっと拳を握った。
「流されてなんとなく生きるのは駄目! ただ生きるんじゃなくて善く生きる!」
雪乃は自分に言い聞かせるように言った。イリアはニコニコと笑っていた。
「それじゃあ出発するわよ!」
馬車の外、馬の方からアイリスの声が聞こえた。後ほど、馬の鳴き声と共に馬車が揺らぎ始めた。
馬の蹄が奏でる軽快な音と、馬車の車輪が奏でるゴツゴツとした音は、雪乃が元の世界で想像したことのある中世の音そのものだった。
馬車のカーテンを開くと、どんどん村の外へと向かっていくのが分かった。
しばらくゆっくりと進む風景と中世の音に酔いしれている時だった。
「ユキノ! 外をよく見てごらんなさい!」
アイリスの声が聞こえた。
急にどうしたんだろう、と疑問に思いながらも雪乃は身体を乗り出し馬車から顔を出した。
そこには百人はいるのではないかと言うほどの数のラ・トゥの村人達がいた。
皆が手を振り、何か叫んでいるようだった。
「……あれ? 異界語、じゃない?」
耳を済ませてみれば、村人達は異界語を発しているわけではないようだった。
もっとよく耳を済ませてみる。
「ユキノー! ガンバレー!」
「マケルナ、ユキノ!」
「ガンバレー!!」
彼らが発していたのは片言だったが、雪乃のよく知る日本語だった。
雪乃は馬車から飛び降りた。
『みなさんっ!!』
大勢の村人を前にして、雪乃が異界語で叫んだ。アイリスが気を利かせ馬車を止める。
『今までお世話になりました! 本当に、本当に――』
涙ぐみそうに熱くなった目頭を、ぐっと手で押さえる。
『ありがとうございましたっ!!』
手のひらで両目を押さえながら、雪乃は頭を下げた。
指の間から涙がにじみ出ていた。
「ガンバレー!!」
「ユキノ、ガンバレー!!」
少ない語彙で、村人達は日本語で励ましの言葉を送り続けた。
対する雪乃も、異界語で何度も感謝の言葉を言った。
「あんたの仕業ね?」
いつの間にか馬から降り、馬車の横にいたアイリスがイリアに話しかけた。
「村の皆さんも、いくら教えとはいえユキノ様を偽り続けるのは心苦しかったそうです。旅立ちの前に何かしてやれることはないだろうかと、皆さん談義しておりました」
「気が利くのね、やるじゃない」
「私も同じ気持ちでしたから、よく分かるんです。そういうの」
『ユキノちゃん!』
大勢の村人の中から、飛び出してきた男がいた。
それは雪乃もよく知る人物、タジだった。
『いつでも帰ってきていいからなーっ!! 美味い果物用意して、待ってるからなーっ!!』
『はいっ! いつか、必ず帰ってきます!』
上ずった声で、雪乃は返事をした。
自分はこんなにもたくさんの人に思われているんだな。そう思うだけで涙が自然と溢れた。
ここに来てよかったと、そう思った。
程なくして雪乃を乗せた馬車は王都を目指し、村を出発した。
沢山の希望と不安と、想いを乗せて。
――第一章 完――