18.祈り
雪乃はしばらくイリアを宥めた後、ガーネットの弔いをすることにした。冷めたコーヒーをぐっと飲み干し、早速出かける準備にかかった。
準備といっても、ガーネットの私物であった剣と宝石を持っていくだけだったので、5分もしない内に家を出発することができた。
昨晩急設されたという墓へ向かう雪乃はイリア、アイリスの二人に挟まれる形で歩いていた。
「ガーネットさんのお墓はどこにあるの?」
「村から少し離れたところに墓地があります。墓といっても、遺体が直接埋まっているわけではないですが……」
「え、それじゃガーネットさんの遺体はないってこと?」
雪乃が驚いた声をあげた。
「はい、雪乃様はエーテル毒に蝕まれたガーネット様を見ましたか?」
「う、うん……見たけど」
雪乃はガーネットが苦しそうに傷口を押さえる風景を思い出していた。
見る見るうちに衰弱し、傷口からは黒い霧が漏れ――。そこまで考えた雪乃はふと気づいた。
「あの黒い霧がなにか関係しているの?」
「そうです、あの黒い霧はエーテルといいます」
「エーテル」
雪乃は呟いた。黒い霧と呼ばれるそれは語感こそ美麗だったが、そのおどろおどろしい黒はあまり見ていたくはないものだった。
「でも、ガーネットさんから漏れ出てた霧がエーテルだったとしたらおかしくない? 毒っていうなら普通体の中に入っていくものじゃ?」
「その疑問はもっともだと思います。しかしこの言語――日本語に訳すのならば、毒という表現が一番正しいと思われます。死に至る原理などは先にエーテルについて知っておいたほうが良いと思いますので、それはまた次の機会に説明します」
イリアがそう言うと、雪乃は若干腑に落ちない様子でうーんと唸っていた。
隣でそれを見ていたアイリスはどことなく微笑ましいそんな風景に笑っていた。
「――ユキノ様、墓地が見えてきましたよ」
ほどなくしてイリアが前方を指差し言った。
見ると、そこには大きさや形がでこぼこの石がたくさん置かれていた。どうやら雪乃の知っている墓とは随分違っていたらしい。共通しているのは石で出来ているというところだけだった。
よく目を凝らしてみれば、それぞれの表面に死者の名前と思しき文字が刻まれていた。
「石を置いて名前が書いてあるだけみたいだけど……これでいいの?」
「これでいい、とは?」
イリアが首を傾げる。
「私の世界のお墓はね、凄くきっちり四角に整えられているんだよ。死んじゃった人には立派なものが必要だから」
「死者の墓は美術品じゃないからね。それにこの世界は石を作るくらいなら剣を作るわ」
アイリスはそう言って、腰に下げた剣の鞘を軽く叩いた。
もっともだ、と雪乃は思った。よくよく考えてみればどうして自分の世界の墓があんなにも凝った造りをしているのかはっきりと知らなかったし、そんな必要もあまり無いんじゃないかと考えた。
死者を軽んじているわけではなかったが、必要以上にたくさんのお金と労力をかける意味は果たしてあるのか? 雪乃は色々なことを考えたが、カルチャーショックを受けるどころか共感していた。
「ユキノ様、これがガーネット様のお墓です」
あれこれ考えている内に、ある石の前でイリアは立ち止まった。雪乃はまだ字を読むことができなかったが、どうやらその石にはガーネットの名前が刻まれているらしい。
半ば条件反射のように両手を合わせ、祈ろうとして雪乃は留まった。思えばこの世界の弔い方法をよく知らない。
ふと、アイリスが鞘から剣を抜き両手に持つと刃先を地面に軽く付けた。そしてそのまま膝をつくような格好になると軽く目を閉じた。
『我が名はアイリス・アンダーソン。貴殿を勇猛果敢な戦士とお見受けする。あなたの戦の志、せめて私が引き受けます。魔物無き日々、いつか剣を抜くことがなくなるその時まで』
アイリスは異界語で何かを言ったようだったが、まだ早口の長文を聞き取れない雪乃はただ見守るしかできなかった。
数秒、アイリスが目を閉じたままじっと動かなくなった。ほどなくして立ち上がり、剣を鞘に収める。
「いまのは?」
「無争の誓いって言ってね。魔物と戦う人が亡くなった時、私があなたの意志を継いで魔物のいない世界を目指しますっていう誓いよ。たしかに雪乃が言うように墓は粗末かもしれないけど、大切なのは死んでしまった人に対してどう弔うかが重要だと私は思うわ」
「死んでしまった人に対してどう弔うか……」
雪乃は呟いた。
「ということは、この世界に決まった形式のお祈りはないってこと?」
「そうですね、先ほどの無争の誓いも決まった形式の言葉や体制があるわけではないですし、各々が思っていることをガーネット様に伝えてあげればよろしいかと」
そう言うとイリアは胸に手を当てて、目を閉じた。どうやら独自の祈りを暗唱しているようだった。
「さあ、ユキノ様もなにか祈ってあげて下さい」
目を開けたイリアが言った。
「う、うん……わかったよ」
独自の祈りなどは急に思いつかなかったため、雪乃は日本の風習にならって両手を広げ合わせる。
「(出会ったばかりの私にたくさん優しさをくれてありがとうございました。ろくに恩返しもできずに、私を守ったせいで死なせてしまって本当にごめんなさい)」
雪乃は心の中で感謝するとともに、謝りの言葉を想った。自分がいなければガーネットが死ぬことはなかったのではないか? 雪乃はそう考えずにはいられなかった。
「ユキノ」
「ふぇっ……あ、なに?」
「もしかして、今心の中で謝ったりしてたのかしら?」
急に離しかけられた雪乃は、アイリスの言葉にはっとした。
「やっぱりね。いい? ユキノ。死者は謝罪の言葉は求めてはいないと思うの。それよりも、自分がいなくなった後の世界は、人々はどう動いていくのかが気になってるはずよ」
「謝罪よりも、今後のこと」
雪乃は考えた。ガーネットに心配させないためにかけるべき言葉を。そしてガーネットから聞いたあの言葉を。
「ただ生きるのではなく、善く生きる」
雪乃は呟いた。
「今はまだ何も見つかってないけど、この世界で頑張れるなにかを探します。生きてて良かったと思えるような、そんな人生にします。だから――」
半分上ずった声になっていた。涙が出そうな目をぎゅっと閉じ感情を抑える。
「――心配しないで下さい。善く生きることができるように頑張ります」
雪乃は首から提げた宝石――ガーネットを両手に包み込み握った。
この世界に来てから何度も涙をこらえてきたが、もうそろそろ限界が近いかもしれなかった。