16.アイリス・アンダーソン
雪乃が目を覚ますと、視界には見知った景色が映っていた。
いつも寝泊りしているログハウスの天井だった。どうやら雪乃はベッドに寝かされているようだった。
ボーっとした意識の中、とりあえず雪乃はむくりと上体を起こしてみた。誰かが被せてくれていたのか、身体に掛かっていた真っ白なシーツがストンと落ちる。
ちょうどその時、雪乃は身体に妙な違和感があることに気づいた。なんというか、シーツと重なる肌触りがいつもより変だった。
眠そうに目を閉じたまま、自身の身体にぺたぺたと触れた。そこには確かに自分の肌の感触があった。
「……って、ええ?」
頭の中には嫌な予感を思い浮かべつつ、再度身体にぺたぺたと触れる。やはりそこには自分の肌の感触があった。服の布の感触ではなく。
「あら、起きたの?」
ふと、すぐ側で声がした。ずっと誰かがいたのだろうか。
なぜか自分が裸であることをやっとのことで認識した雪乃は、すぐさまシーツを身に纏い身体を覆い隠した。
その言葉が聞きなれた日本語だったということは、今は問題ではなかった。
「えっ、えっと……あの、あのっ!」
「ふふ、おはよう」
状況を把握できず慌てふためく雪乃を装い、その人物は笑みを浮かべた。
雪乃がシーツから少し目を出して見ると、目の前の人物がつい先ほど魔物と戦闘をしていた少女(雪乃にしてみればそんな時間の感覚だった)だということが分かった。
とりあえず、まったく見知らぬ男性のすぐ近くで裸の姿を見られたわけではないことが分かったので雪乃はひとまず安心した後、身体はシーツで覆ったまま顔をひょこっと覗かせた。
どうやら金髪の少女は椅子に座りコーヒーでも飲んでいたらしい。まだ湯気の残ったカップが側に置いてある。
「お、おはよう……あの、あなたは?」
「最初に会った時にも言ったと思うけど……ハツセ・ユキノ、あなたを迎えに来たの」
「迎えに来たって……あっ」
少女の言葉に思い当たる節が雪乃にはあった。
今まで雪乃が過ごした"教育期間"――それが過ぎれば異界人は一度王都に招集されることを。
迎えに来たとは、つまりは目の前の人物こそが王都からの使者だということなのだろうか。
金髪の少女は雪乃が事情を察したらしいことに気づくと、話が円滑に進むことを良しとするように満足げに頷いた。
「私はアイリス。アイリス・アンダーソン」
少女は名乗ると、椅子から立ち上がりベッドに腰掛けずいっと雪乃へ顔を近づけた。
「わ、私は雪乃……初瀬雪乃。って、そっか……もう知ってるんだっけ、どうして?」
アイリスの透き通るようなエメラルドグリーンの瞳に見つめられ、少しばかりどきまぎしながら雪乃も名乗り返した。どうやら既に名前は知られているらしかったが。
「異界人は希少とまで言わないけど、多くはない存在だから。"こっち"にやってきた人の情報はそういうのを管理してる人たちのところに集められるの」
雪乃の疑問にアイリスはざっくばらんに説明をした。例えば、と言葉を続ける。
「実はユキノは着痩せするタイプだってこととかも、ね?」
そう言ってアイリスは意地悪な表情を浮かべながら、シーツに隠れた雪乃の身体へと視線をやりながら、ベッドにつかれた雪乃の手に、自身の手を重ねた。
その表情は決して嫌味のような要素は含まれておらず、まるで子供のようにおどけて見せてコミュニケーションを取ろうという含みがあった。
どうやらこのアイリスという少女は初対面の相手にも明るく接することができる、そんな人間性を持っているらしい。
「え、えぇ!? み、見たのっ?」
状況からしてアイリスが雪乃を介抱したことは明らかだったが、そこであえて自分の身体のことについて言及されれば、見られた雪乃にしてみればどうしようもない羞恥心を感じずにはいられなかった。雪乃は自身の顔が熱くなり、赤くなったことが分かったのでシーツで顔を覆い隠した。
「あははっ、耳まで真っ赤にしちゃって可愛いっ」
そんな怯える小動物のような行動を取った雪乃を見て、アイリスはくすくすと笑った。赤くなった雪乃の耳に。じゃれるように指でつついたりくすぐったりしてみせた。
雪乃は耳を触られる度、くすぐったさに身じろぎした。指を避けようと頭を振るが、そうして動く度に身体を覆わせていたシーツはどんどんと乱れていった。
あまりの恥ずかしさに逃げ出してしまいたい……雪乃がそんなことを考えたその時、部屋のドアが少々乱暴に開いた。
「ユキノ様! お迎えが遅くなって申し訳ありませんっ……え?」
部屋に入ってきたのはイリアだった。幾分慌てていた様子だったが、部屋内の様子――すなわちあらぬ行為で乱れる少女二人(一人は一糸纏わぬ姿であったため、イリアには真っ先にその考えが浮かんだ)を見てその動きをぴたりと止めた。
「あれ? イリアじゃない、久しぶりね!」
そんなイリアの内情はいざ知らず、アイリスはその姿を確認すると驚いた様子で声をあげた。
「ひ、姫様っ! あなたはまたそんな!」
「こんなのただのスキンシップじゃない。それより、まさかこんなところで会えるなんて思ってもみなかったわ」
アイリスは雪乃から離れ立ち上がると、今度はイリアに歩み寄った。
雪乃は見知った様子の二人の会話に首を傾げていた。どうやら二人は偶然にも再会した知り合いであるらしいことが会話から推し量れた。"姫様"という単語が聞こえたような気がしたが、能天気な雪乃は「そんなニックネームで呼ばれているのか、でもアイリスさんなら綺麗だし似合ってるかも」などと勝手に自己完結していた。
「ユキノ様にまで手を出すつもりですか」
「あなたがここにいるってことは、イリアはあの子の下に就いたんだ?」
「質問に答えてください」
「もう、相変わらずイリアはうるさいなぁ。こうしてやると大人しくなるくせに」
そう言うや否や、アイリスはイリアを小さな頭を抱くと、手のひらでゆっくりと撫でた。
「久しぶり、イリア」
「お、お久しぶり……です」
先ほどまでは威勢のよかったイリアだったが、耳元で囁かれれば素直に応答するより他なかった。
「って、そうではなくて! どうして姫様がここに? 魔物を打ち倒したと言うのは姫様ですか?」
多少大人しくなったイリアだったが、疑問が浮かべばすぐさまはっと正気に戻りアイリスから離れる。
「私"使者"になったから、今回の異界人を迎えに来たの。魔物がいたことは予定外だったけどね」
「姫様が、使者に?」
「そう、だからもう私姫なんかじゃないよ。お姫様業務は妹に任せてきちゃった」
「任せてきちゃったって、そんな簡単に……」
イリアは軽くため息をついた。呆れてものも言えないという様子だった。
「まあ、それはいいです。それで、ユキノ様にお怪我などはなかったのですか?」
「あの通り、ぴんぴんしてるわ」
アイリスがちらりと雪乃へ視線を向けると、それに気づいた雪乃は笑顔を向け軽く手を振った。
「……とにかく、姫様がいなければとても危険な状態でした。ありがとうございました」
「なによ、いつもと違って変に素直じゃないの」
「ユキノ様を危険な目にあわせるわけにはいきませんので」
「律儀ねえ」
「メイドですから」
イリアは少し自慢げに言った。アイリスは感心したというか、やれやれといった様子だった。心の中で「相変わらずだな」とでも思っているようだった。




