15.ヴァルキリー
魔物と少女の視線が交差する。どちらも相手の命を奪うために気配を探りあっていた。
一瞬早く魔物が動き、その大きな牙を少女に向けた。
少女はその動きに合わせ軽く身を屈めると、剣を鞘に収めると同時に、腰からアイスピックを大型化したような、先端が鋭く尖ったニードルを引き抜きその柄部分で牙を殴打した。
柄はフック状にひん曲がっており、半ば削り取るような具合に牙には裂傷が出来上がる。
そして素早くニードルを逆手に持ちかえると、そのまま傷の付いた牙に向けて突き刺した。
魔物はたまらず牙をひっこめるが、少女は突き刺さったニードルを握ったまま宙を舞い、牙を逃がさない。
少女は腰からもう一本のニードルを取り出すと、その柄のフック部分を突き刺さった物のフックと引っ掛け合わせるように振り下ろした。
瞬間、少女の腕の宝石が発光すると共にガリッという大きく鈍い音がした。
牙は想像を絶する程の大きな力といわゆる"てこの原理"でその大部分を削り取られていた。
少女は二本のニードルを腰にしまい込み、霧をまとった剣を鞘から抜き取りざまに牙へと一閃する。
すると、先ほどよりも大きく鈍い音と共に牙が文字通り真っ二つに折れていた。
少女の牙を折る手順と小道具の準備、そして流れるような作業はまるで解体の職人を思わせた。
牙はもはや対象を傷つけるほどの長さを持ち合わせてはいなかった。
自身の牙を折られた魔物は怯むことなく、威嚇する眼光は少女を捕らえたままだった。
ふと、その魔物の輪郭がぶれるように歪んだ。
少し離れた位置から少女を見守っていた雪乃は、その兆候がなにを意味しているかに気づいた。
恐らく瞬間的に消えて移動する前兆だ――そう気づいた雪乃は少女に危険を知らせようと口を開きかけた。その時。
『封印魔法――!』
少女が剣先を魔物に向け異界語と思わしき言葉を唱えると、またも腕の宝石が光を放った。
するとぶれかけていた魔物の輪郭は元に戻り、その姿を消すことは無かった。
消えるはずの身体が消えない、そのことに魔物はうろたえた様子を見せた。
そんな魔物を観察するように見て、少女はふっと軽く笑みを浮かべた。
いや、その笑みはうろたえた魔物に向けられたものではなかった。
その魔物の足――そこに独特の斬り傷を発見したからだった。一見すると鱗にひびが入っているだけのように見えるが、小さな傷あとからは他の傷ついた部分と違い、黒い霧が"常に漏れ出ていた"。
ガーネットが一度、剣で斬りかかった部分だった。
「なーんだ、"準備が整ってる"なら先に言ってくれればいいのに」
ただそれだけのことが、どうして少女に笑みを浮かばせたのかはわからないが、なぜかその笑みは勝利を確信したように見えた。
「ストックもそろそろ無くなってきた頃だし……次で終わりにさせてもらう」
そう呟いた少女の持つ三つの宝石の内、二つほどは輝きを失っていた。
彼女の口ぶりからすると、その人間離れした動きは宝石が関係しているようだった。
狙いを一点、傷の付いた魔物の足へと剣先を向ける。
「はあぁぁぁぁっ!」
声をあげながら、少女は魔物へ突進した。魔物は大きな腕を振り下ろすことで対抗しようとする。しかし少女はその集中しきった動体視力をもって察知し、真横に飛び込んでそれを紙一重で避けた。
そのまま衝撃を受け流すように前転し、勢いを殺すことなく立ち上がるとまた駆けた。
そして魔物の足先までたどり着くと、息を呑む間もなく剣先を下に向け柄を両手でしっかりと掴む。
しゅっ、と短く鋭い息をはきながらそれを魔物の足、鱗にできた切り傷へと突き刺した。
『震感魔法――!』
恐らく異界の言葉で、少女が叫んだ。腕の宝石は今まで以上にまばゆい光を放った。
鱗の傷跡がめりめりと、まるで大木が竜巻によってへし折られたかのような音を立てた。
すると、魔物は一瞬大きな痙攣をした後、急にその動きを止めた。あまりにも急に、そして不自然なほどぴたりと動かなくなってしまったので、遠くから見ていた雪乃には一瞬時間が止まってしまったのだと錯覚させるほど不思議な光景だった。
やがて魔物はその姿を霧へと変えていった。そして霧はごく自然に、微かなそよ風に流されるようにゆっくりと宙を舞い、消えていった。
「魔物を、やっつけた……?」
雪乃が呟いた。霧は消え、それが再び荒れ狂うことも、生き物の姿に変えることもなかった。
そこにはおおよそ戦いにはそぐわないであろう、雪乃と同い年くらいの少女が立っていた。しかし、その少女が魔物を討ち取ったことはまぎれもない事実だった。
少女は剣を鞘に納めると、金の髪を揺らしながら雪乃へと歩み寄った。
「怪我はない?」
流暢な日本語で、少女は雪乃に声をかけた。一見余裕を振舞っているように見えるが命のやり取りの後だからか、差し伸べた手は微かに震えていた。
「は、はい……大丈夫です」
「そっか、ならよかった」
剣を振るい、魔物と戦う。雪乃からすればまるでおとぎ話の登場人物のように見えた少女は、微笑んだ。
落ち着いて近くで見てみれば色白で整ったその顔立ちに、たとえ同性とはいえ雪乃は綺麗な人だ、とはっとせざるを得なかった。
そして過度な緊張からようやく解放されたためか、ふと雪乃は地面へ倒れそうになる。
「もう、全然大丈夫そうじゃないわよ?」
少女が雪乃を抱きとめるようにして、それを支える。
「怖いものはもうやっつけたから、安心していいわ」
抱きかかえたまま、少女は微笑んだ。自然と近くなる顔同士に、雪乃ははにかみながらも小さな笑顔を返した。
安心していい――少女のその言葉でようやく安堵の息をつくことができた雪乃は不意に大きくまどろんだ。
そのまま少女の胸の中で心地のいい眠りにつくように、雪乃の意識はそこで途絶えた。