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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第一章.始まりのラ・トゥ
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14.人は、急に強くはなれない

 雪乃はガーネットから貰った宝石を首に提げるようにして身に着けた。一種のお守りとして。(千切れた紐は結びなおした)

 そして地面に無造作に置かれてあった半分に折れた長剣を手にすると、両手でしっかりと支えてみる。


 ずっしりとしたその重さは、自分と同等の大きさの生き物であれば命を奪うこともできるだろうなと少女は思った。

 思い切り振り下ろせば、きっと大抵の生命は絶命するか、それが致命傷になるだろうと。


『ただ生きるのではなく、善く生きる』


 雪乃は呟いた。同じような言葉を元の世界で聞いたことがあったかな――少女は思い出す。

 それは何かの本だったか、学校の先生だったか、ネットだったか、有名な人だったか、親しい友達だったか。

 今は思い出すことはなかったが、その言葉は雪乃の心を強く揺さぶった。


 ガーネットの持ち物から鞘を拝借すると中に長剣を仕舞い込み、それを背負った。

 少し遠くには、巨大な魔物の姿があった。目くらましの法とやらが解けかけているのか、徐々に平静を取り戻しつつあるようだった。



 あの魔物が再び動き出したらどうなる? どうにもならない。あれは霧になって一瞬で遠くへ移動することができるらしいから。

 だったら、どうにもならないならせめて戦うしかない。



 気弱な少女はあれこれ考えて、戦おうと決めた。ガーネットの思いを引き継い、魔物へ向かって駆けた。



 ――そして、雪乃と魔物を挟んだ向かい側。村人達はありとあらゆる凶器になりそうなもの(農具や包丁が多く見られた)で武装していた。

 どうやら動くことのできないらしい魔物に向かい一気に畳み掛ける様子だった。


『いくぞーっ! みんなーっ!!』


 ガーネットほどではないが大柄で鍛え上げられた肉体の男が斧を持って、先頭に立った。その激励に答えるように他の村人数十人も『おおーっ!!』と、高らかに声をあげた。

 それを皮切りに、村人達は魔物へ向かって駆ける。距離的にも、速さ的にも、雪乃よりも早く魔物へ到着するようだった。


『くらぇあぁぁっ!!』

 

 斧を持った男が、叫びながらその得物を大きく振り下ろした。それは魔物の足に深々と食い込み、出血が霧となって散った。

 魔物は身体を大きくのけぞらせると、苦しそうな表情で男を睨みつけた。


『へっ……へへっ。なんだよ、痛ェのかよ? お前がやってることなんてもっとめちゃくちゃなんだぞ』


 その眼光に少し怯えながらも、男は言いたいことを言ってやった。(言葉が伝わるとは毛ほどにも思ってはいなかったが)


『ゴォォォォォォォォッッ!!!』


 瞬間、魔物は聞くものの耳をつんざくような咆哮をあげた。

 耳を押さえようとも、頭の中がきりきりと痛むような声だった。


 そして――。


『ガッ……ぐびゅ……――ッ……!?』


 魔物は大きく口を開き、人の大きさ以上は軽々とあるであろうその牙で、男の身体を貫いた。

 男は叫び声すらままならず、潰れた声をあげた。そして下顎に付いたもう一つの牙と合わせて噛み砕かれ、絶命した。


 見守っていた村人達からは半狂乱の叫びがあがり、武装した者達も得物を投げ捨て散り散りとなっていった。



 雪乃は、立ち止まっていた。先ほど見た"散乱したゴミ袋に赤いペンキをぶちまけた様な"光景をまた思い出してしまった。

 あまりにも残酷に、簡単に、また一人の命が失われてしまった。


 全身の毛穴が広がったように、雪乃はぞくっとした悪寒を感じた。

 手や足が震えた。ガーネットのあの言葉を心の中で何度も繰り返し、自分を奮い立たせようとするが、まったく意味をなさなかった。


 そうしている間に、魔物の前に残されたのは雪乃一人だった。魔物の眼光が、こちらを捕らえていた。



 少女は刃が欠けて半分ほどの長さになった剣を手に取った。

 細身の少女の腕には、そんな剣でさえ両手で支えなければ振れない程の重さの剣だった。

 その時、近くで地響きが鳴った。大地が揺れ、少女は足をふらつかせるが、なんとかその身を支えきった。

 その音は、すぐ近くまで最悪が迫って来ていることを意味していた。


 少女は剣を構えたまま、その最悪と対面する。

 どうにもならないのならせめて戦ってやろうと、そう決めて剣を取ったそのはずなのに、それを目の前に少女は動けなくなる。


 対面した最悪とは、華奢な少女が見上げるほど大きいもので、平たく表現すればまるでワニを一層巨大にしたような姿だった。

 何人もの人々を食いちぎったであろうその血だらけの牙と、強靭そうな顎、そして一枚一枚が鋭く尖り堅そうな鱗に包まれた猛獣はそれこそ冗談のような、文字通りの魔物だった。


 冗談ならばどれほどよかっただろうか。

 少女の足は震え、ガチガチと歯を鳴らしながら恐怖で涙が止まらない。


 また一つ大きな足音が、地面から鳴り響く。

 巨大なそれが一歩こちらへ近づいたと同時に、恐怖に耐え切れなくなった少女は剣を取り落とす。


 少女は自分でもわかっていた。

 自分にはこの剣で戦うことはおろか、それを凶暴な悪とはいえ生きているものに突き刺すことも、恐怖と向き合うことさえもできないことを。



「助けて……」


 この世界で自分の言葉が伝わる人間などいないことは当然分かっている。

 理屈などではなく、ただ少女は願い、想い、助けを請う。

 あの牙にちぎられた人間を見てしまった以上、その人の叫びかたを聞いてしまった以上、その痛みと恐怖を想像せずにはいられないのだ。


「誰か、助けて……!」


 少女はとうとう立っていられなくなり、その場に座り込む。

 もう、魔物と目を合わせる程の勇気、精神は残っていなかった。


 ただ顔を伏せて、後は噛み殺されるのを待つだけ。

 この時の少女は本当に無力で、何をすることもできない存在だった――。




 ふと、雪乃の視界が暗くなった。魔物に立ちふさがれた所為か、いや違う。

 目を少し開けば、そこには透き通るような金髪が風により、流れるようにそよいでいた。何者かが雪乃の前に立っていた。それも、魔物と対峙するようにして。

 戦闘用と思われる鎧を着込んでいたが、それは身体全体を覆うようなものではなく、部分的に身体を保護するようなデザインだった。ところどころ肌が露出している部分もあった。


「怖い思いをさせてごめんなさい――」


 何者かはその肩ほどまである金髪を揺らしながら、振り向いた。

 宝石を思わせるような光沢のエメラルドグリーンの瞳が、雪乃の目を見つめる。


「あなたを迎えに来た」


「えっ……?」


 "その金髪の少女は日本語で言った"。

 腰から雪乃が持つ剣と同じものと思われる長剣を抜き取り、魔物に向かい剣先を向けた。

 手甲には綺麗に丸くなるように形が整えられた宝石(雪乃にはそう見えた)が三つ程光っている。


 そしてその三つの中から一つが、一層輝きを増した。次の瞬間、まるでそれが割れたかのような音と共に魔物と同じような黒い霧が宝石から弾けるように四散し、やがて霧が剣にまとわり始める。


「エーテルよ……力をっ!」


 金髪の少女がぐっと剣を両手に構えると、魔物に向かって駆けていった。

 おおよそ、ただの少女――いや、人間とは思えない速さで。


 一閃。魔物の堅い鱗は霧を纏った剣により斬りつけられた。

 鱗はそれを弾くどころか、斬られた部分がぱっくりと裂けていた。自身の堅さに絶対の安心を誇っていた魔物にはなにが起こっているのか、理解できない様子だった。


 少女はまた剣を構えた。

 未だ呼吸の乱れはなく、視線は魔物を逃すことなく捕らえていた。そこには一切の慈悲も無い、覚悟を決めた瞳があった。


 雪乃は少女に見とれていた。

 戦いの緊張や恐怖よりも、舞をするかのように流れるその動きは、雪乃だけとは言わず他の者も目を奪われるような風格があった。

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