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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第一章.始まりのラ・トゥ
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13.ただ生きるのではなく、善く生きる

 雪乃はガーネットに向かい駆け寄り、剣や鎧の破損状況、そして傷を負ったその姿を目に映らせた。

 あまりに痛々しいその惨状に目を背けかけるが、少女はしゃがみこみガーネットの身体に触れる。


『ユキノか……逃げろって言ったろうが』


 雪乃に気づいたガーネットは痛みに歯を食いしばらせながら、辛そうにしながらもなんとか片目だけ開けるとその目に心配そうな表情をした少女を映した。


『そんなの、できるわけないよ……っ』


 怪我人に対しどのような処置をするのかが最良なのか、それすらも知識に無い雪乃は下手に動くこともできなかった。

 それが悔しくて、不安げな表情と共に声色を揺らがせた。


『魔物は、どうした』


 ガーネットの言葉にはっと危険因子の原点に意識を向け振り返ると、魔物は何故か苦しそうに蠢き、自身の目を押さえていた。

 周りの村人も困惑しながらも魔物から一定以上の距離を保ち、遠くからそれを観察しているようだった。


『分からない。ただ、目を痛そうにしているように見える』


『目を?』


 何が起こっているのか分からない雪乃は、とにかく自分の感じたありのままをガーネットに伝えた。


『……そうか、目くらましの法か。なら、しばらくは動けないはず』


『目くらましの法……って? あ、ガーネットさん!?』


 それはこの世界における対魔物用の力――これについては雪乃は後に知ることになるのだが――状況から考えられた一つの答えを出し、ガーネットはふらつきながらも立ち上がった。


『駄目だよ、安静にしてないと傷が広がって』


『ユキノ』


 言いかけた雪乃の声を、ガーネットが静止した。

 そして腹のあたりの傷口抑えていた手を、雪乃に見えるように少し退ける。

 そこからは魔物の原型であった黒い霧に似たおどろおどろしい"もや"が漏れ出ているようだった。


『ガーネットさん、それ……』


 ごくり、と雪乃は生唾を飲み込んだ。

 傷口からその"もや"が漏れ出ると同時に、不自然に出血していた。

 あきらかにただ傷を負っただけのようには見えなかった。


『"エーテル毒"だ。徐々に、身体の神経を奪っていく』


 そして最後には死ぬ、とガーネットは言った。

 言葉を発することすらもはや苦痛を感じる、そんな様子を容易に想像できるくらい端的に。


『毒って、そんな。薬とか、なにかないの!?』


『俺は知らない。治った事例も、そんなものがあることも』


『と、とにかく人を……誰か人をっ』


 自分だけではもはや対処の仕様がないと考えた雪乃は、他の者に協力を仰ごうと立ち上がった。


『待て、ユキノ……!』


『待たないよ! このまま死ぬなんてそんなの嫌だ――か、ら……?』


 ガーネットの静止の言葉を振り払い、走り出そうとした雪乃は一瞬"あるもの"を視界に捉えた。

 反射的に、もしかしたらその存在は分かっていたのかもしれない。

 雪乃は立ち止まり、その"あるもの"に視線を向けた。


 それは雪乃が元の世界で毎朝学校へ通う道の途中に、カラスが漁ったであろうゴミ袋が散乱しているかのような――あるいは。

 バケツいっぱいの真っ赤なペンキをぶちまけたような――あるいは。

 大きな力ですり潰された"人間のようなもの"のような――。


『見るな、ユキノ!』


 激しい傷を負いふらつきながらもガーネットは雪乃の目を覆い隠しながら抱き寄せた。


 しかしそれは一瞬遅く、雪乃の目には"砕かれた"村人の姿が焼きこまれていた。

 目を覆われても、目を閉じても、まぶたの裏にはその残酷な映像が再生されてしまう。

 魔物に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、そして毒で苦しんでいったのだろうか。人が人でいなくなっていた。


「うっ……うぅっ……!」


 表現しようの無い気持ちの悪さと、拭えない悪寒が雪乃を襲った。

 倒れそうになるが、半ばガーネットに支えられるような形でなんとか身体を折ることはなかったが、不意に雪乃は支えの感覚が無くなったことに気づいた。


 ガーネットが倒れた。

 神経が麻痺し始めたのか、身体が震え自由には動かないらしい。


『ガーネット……さん?』


 雪乃は瓦礫に背を預け、動かなくなったガーネットに声をかけた。


『ユキノ』


 ガーネットは兜のアイガードをまだ微かに動く手でむしり取り、不気味に薄ら暗くなった眼球で雪乃を見た。いや、正確には見ていなかった。


『ユキノ、そこにいるのか』


 伸ばした手が、虚空を掴んだ。

 目の色は霧と同じ色へと変色していった。少しの濁りも無い、ただの黒へ。


『ここにいるよ。ガーネットさん』


 雪乃は彼の迷子の手を両手でそっと包み込んだ。

 心配そうに目を見つめるが、霧色になった目はどこかずれた場所に向いていた。


『細い小さな手だ。娘もこんな風なのだろうか。思えば手を繋いでやった思い出もない』


 ガーネットはかすかに感じる雪乃の手に触れながら、静かにそう言った。


『ユキノ、俺はな』


 そして長く息をつくと、いつも雪乃に話すような分かりやすい発音やゆったりとした語り口ではなく、世界の住民が慣れしたんだ流暢で早い口調で彼は何かを語りだした。

 相変わらずその視線は雪乃ではなく、全く違う場所を見ていた。


 雪乃にはそれを正確に聞き取ることができなかった。

 喉を振るわせる力も麻痺しはじめたのか、かすれた言葉だった。

 そして幾分長い言葉だった。だからこれが最後の言葉――重要なことを言っているかもしれないというのに、ガーネットの言葉を理解することができなかった。


 後悔、理解し合えない、娘、幸福。


 そんな単語、言葉を言っていたように思った。 

 なんとなくで翻訳するならば、娘さんと理解しあえないままで後悔しているのか、そんな文章が雪乃の頭の中で構築された。


『最後に、ユキノ』


 偶然か、それとも薄っすらと見えているのか、ふと二人の視線が交差した。

 これ以上の言葉を聞き漏らさないように、雪乃は短く返事をして次の言葉を待った。


『怖い世界だ。過酷だろう。だが、辛い思いをして生きるのに必死になって欲しくない』


 言葉は、雪乃に聞き取れるくらい簡素で、ゆったりとしていた。


『この世界でのお前の生き甲斐とか、そういうものを見つけて、そいつに必死になって欲しい』


 雪乃はきゅっと唇を噛み、感情から来る嗚咽を押さえ何度も頷いた。


『ただ生きるのではなく、善く生きる――この言葉を忘れないでいてくれ』


『ただ生きるのではなく、善く生きる』


 ガーネットの言葉に続くように雪乃は言った。


『頑張れるか?』


 その問いに、雪乃は今までの出来事を思い出していた。

 言葉も通じず不安だったこと。恐ろしい風景を見て怖かったこと。

 この世界に対して物怖じしていた。

 恐怖がいつまでも心を縛っていた。


 しかし、雪乃は精一杯の力を込めて言った。


『――頑張ります!』


 泣きそうで、上ずった声で言った。


『よく言った。それが聞きたかった』


 ガーネットはほとんど目を閉じたまま言った。


『お土産だ、持っていけ』


 一言だけそう言うと、彼は首から紐で提げた鈍く光る柘榴色(ざくろいろ)の石を取り出した。

 そして紐を歯で噛み切ると、その石を雪乃へと差し出す。


『ガーネットって宝石だ。俺と、同じ名前』


 雪乃へ手渡した後、その腕はだらんと垂れ力を失う。


『石の意味は、強い精神力――そして、絆』


 首をもたげ、全身から力が抜けていくようだった。

 もはや指一本動かすことが出来ないことが傍から見ても分かった。


『ああ、お前の世界のリンゴ……食べてみたかった……な』


 そうして彼は静かに、まるでただ眠るかのように穏やかに目を閉じた。


『ガーネットさんっ!』


 雪乃が悲痛な叫びをあげ、ガーネットの身体を揺さぶった。

 しかし彼が目を開けることは無かった。永久に。

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