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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第一章.始まりのラ・トゥ
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11.魔物

 雪乃は村の中を駆けていた。

 異常なまでに一部分――村の上のみが黒くなった空の色は少女の心を不安にさせた。


 ガーネットの去り際の言葉を思い出す。


 ――悪者退治だ。


「なにか悪いことが起きてる? 悪い奴がいる? もう、わけわかんないよ!」


 先ほどまでのお祭りムードから一転、静まり返った村の中を叫びながら雪乃は駆けた。

 頭上を覆う黒い霧のようなもの、その発生源へと思わしき場所へ。


 駆けた先には、村の人々が集まっていた。

 頭上に渦を巻くように収束する黒い霧を指差し、あれはなんだと村人がざわめく。


 雪乃も息を切らしながら体力を整えると、頭上を見る。

 じわじわと濃くなる空は、見ているだけでどこか不安感というか、微かな吐き気に似た"なにか"を感じさせた。


 とにかくガーネットやイリアを探さなければ――。そう考え、適当に思い当たる場所へと歩き出そうとしたその時だった。


 突如霧が荒れ狂い、風の音というには鈍すぎる、まるで巨大な鈍器が高空から叩きつけられたような轟音が響き渡った。

 そして音と共に地面が揺れ、身体を持ち上げられるかのような感覚、そして相反するように地面に押さえつけられる圧力が周囲の人々の身体を襲った。


 三半規管が抉られるかのような、そんな感覚の中で雪乃は何が起こったのかを把握することが出来ない。

 何とか顔を上げ、原因であろう黒い霧の舞う空を見上げる――しかし。


「霧が……ない!?」


 一瞬視線を外したとはいえ、あのような大きな事象がパッと消えうせるはずが無い。

 微かに残った霧の薄い残影を目で追っていく。


 横方向に薄っすらと、霧影。雪乃や他の村人に回り込むように半周していた。

 雪乃は身体を捻り、首を曲げ、霧の後を視線で追う。


 そして下方向に僅かに濃く、霧影。黒は地面へ向かい収束を始めていた。

 目線の先、つまり雪乃のほぼ真後ろ。そこに霧は集まり、その奥が見えないほど濃く収束していた。


 一つ瞬きをする間に、その真っ黒は見たことも無い巨大な生き物へと姿を変えていた。

 霧が化けたというにはあまりにもリアルな質感を持つそれは村人達を鋭い目で見渡し、しゃくれ上がった甲殻の顎に隠された牙同士をかち合わせた。まるで牙の準備運動をするみたいに。


「ま、魔物だぁ!」


 村人の中の誰かが言った。

 その言葉を皮切りに、人々は叫び声を上げながらその場から離れるために走り始めた。


 一体何が起きているのか、一つも把握できない雪乃は現実から離れすぎた"それ"を目の前にして、動くことができなかった。


 魔物と呼ばれたそれは一人の村人に的を絞る。鋭い眼光をターゲットへと向けその巨大な腕を横凪に振り回すと村人は人間が飛んだとは思えない距離まで吹き飛ばされた。

 地面に叩きつけられた村人が微かにうずくまり苦しみ、そして動かなくなった様を雪乃はただ見ていた。


 黒い霧は発生してから、脳の処理が追いついていない。

 見ているだけで幻痛を感じそうなその村人の状況にすら、思考をからっぽにしたままただそれを見ていた。いや、正確には何も見ていなかった。


 ただ、起こっていることは分かる。魔物と呼ばれた大きな生き物が腕を振り回し、村人が吹っ飛ばされ地面に叩きつけられたということは分かるのだが、思考が停止したままの雪乃にはそれ以上の何か――例えばその映像を見たときに伴う感情だとか、その魔物から早く逃げなければならないといった考えにいたることができなかった。


 魔物と、目が合った。

 巨大な腕か、凶悪な牙か、あるいはまた別の部位か。

 全身凶器といってもいいその魔物に殺されてしまうと、雪乃はここでようやく感じた。しかし逃げ出そうにも足は地面に張り付いたように動かない。恐怖心が雪乃を大樹の根のように地面へ縛り付ける。


 格好の的をまた一つ見つけたとばかりに魔物は雪乃に向かってその腕を振り上げた。その時だった。


 魔物は急にその巨体を痙攣させた。苦しそうな雄たけびをあげながら、魔物はある一点へ視線を向ける。

 その視線の先、そこには全身を強固な鎧で包み悪魔を思わせるような禍々しいデザインの兜、そして思わず見とれてしまいそうなほど美麗な長剣を背中に担いだ者がいた。

 身体は鎧の分を差し引いたとしてもとても大柄で、覆われた鎧の下には屈強な男がいることだろう。


 男は小さな刃物――ダガーを魔物に突き刺していたようだった。それを引き抜くとその部分の魔物の肉は不自然に、四散するように千切れていった。

 幸い、血や千切れた肉は魔物の身体から離れた瞬間に黒い霧になり消えていったので、耐性のない雪乃がグロテスクな風景を見ることはなかった。


 引き抜いたそのダガーは螺旋渦巻くフォルムをしていた。どう見ても斬るためのものではない。ただ突き刺すだけでその対象に大きな傷を負わせることが出来るシロモノだった。


 男は物言わぬまま、その螺旋の刃物――ツイストダガーを突き刺した腕とは逆の左腕の鎧部分についたホルダーへしまうと、一度魔物と距離をとる。


 そのまま雪乃の元へ近づくと、まるで盾になるかのように男は魔物に対して身構えた。


『あの……あなたは?』


 雪乃が尋ねると、男は振り返り兜のアイガード部分をずらすと鋭い眼光を覗かせた。


『逃げろ、雪乃』


『え、あっ……ガーネットさん!?』


 大きな体躯のその男は雪乃のよく知る人物、ガーネットであった。


『早く逃げろ、どこへでもいい』


『でも、ガーネットさんは……』


『言ったろう、悪者退治だってな』


 短い言葉のやり取りを終え、再びガーネットは魔物へと向かっていった。


 背負った長剣を抜きざまに魔物の足を斬りつける。しかし鱗に覆われたそれはとても堅く、少しばかり"ひび"のような傷をつけただけだった。

 結局この手の物に有効なのは先ほどのツイストダガーのように突いて使う貫通力に優れた武器だということをガーネットはもちろん分かっていたが、それでもこの長剣で攻撃を加えようとしたのはそこに何らかの意図があるかのようにも見えた。


 しかしその意図も今は意味をなさないものなのか、早々に長剣を背中にしまい、再び腕のホルダーからツイストダガーを抜き構えた。

 魔物も知恵があるようで、螺旋状に抉れた武器を見ると警戒した様子で少し距離をとり、それからその長い腕のリーチを生かしてガーネットの攻撃が届かない位置から攻撃を仕掛ける。


 頭上から振り下ろされる魔物の巨大な腕。当たってしまえばいくら鎧を纏おうとも潰れて即死だが、ガーネットは冷静に腕の軌道を読み、寸でのところでそれを避けるとツイストダガーの柄を両手で固定し全体重をかけながらその刃を手の甲に当たる部分へと差し込む。

 更にガーネットはグリップを握ったままそれを可能な限りの力をこめて時計周りへ捻った。


 魔物からしてみればかなりの痛み(魔物に痛覚があるかどうかはガーネットには与り知らないことだが)が発生したのだろうか、すぐに腕を引き戻しもがいていた。

 得物が刺さった部分からは黒い霧がどんどんと吹き出ていた。


 武器は魔物に刺さったままだった。ガーネットはもう一方の腕のホルダーから二本目のツイストダガーを抜き取ると、静かに構えたまま次の魔物の行動を待った。


 魔物はガーネットを睨んだまま、動かない。お互いが動こうとせずに、一触即発の状態が続く。

 しかしその均衡はガーネットからしてみれば思わぬことであっさりと崩れることになる。

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