2.あの裏側で
「何も、こんなに沢山の魔物を用意しなくても」
「我々にとって、初めての外交なのです。万が一の状況に備えなければ。……それに、この軍勢はある協力者の力により用意されたものです」
見渡す限りの大草原を、雪凪は進んでいた。数十体分ほどの魔物の霧に持ち上げられ、運ばれるように。
「協力者?」
「ええ、あなたと同じ形をした。今はとある事情でこの場にはいませんが、いずれ出会うことになるでしょう。いずれ……」
前リーダーである魔物が言った。同じ形、ということは人間ということなのだろうか。自分と同じように協力を強いられているのではないか……と雪凪は考える。
しかし、魔物は"用意されたもの"と言った。その協力者とやらが元の世界――地球だとか、日本だとか、そういう場所からやって来た人間ならば、この大量の魔物を用意することなんてできるだろうか?
自分のように、知恵を提供するくらいしか出来ないのでは? そう思わずにはいられなかった。
それ以上尋ねようにも、今ははっきりとは言えないの一点張りで、有用な情報を聞き出すことはできなかった。
「それより、覚えてますか。今回は侵略しにいくわけではないということを」
情報を聞き出すことを諦めた雪凪は、再確認の意味をこめて魔物に尋ねた。
「もちろんです、姫。あなたが平和的な話し合いで解決するために、敵情視察をする……わかっています」
「こちらから手出ししては駄目です。それもわかってますか?」
「はい。ですが、向こうから仕掛けて来た場合、命の危険を感じた場合は……?」
「それは……やむを得ません。あなたたちに大人しく死ね、とはいいませんので……構いません」
「仰せの通りに」
雪凪と魔物の会話は淡々と、ただ必要なだけ行われた。お互いが協力しあうのは、利益のため。それに他ならないし、魔物というのはコミュニケーションを積極的に行うような生命体ではないことを雪凪は知っていた。
「見えてきました。あれが我らの"餌"の住家です」と、ふいに魔物が言った。
雪凪は顔をあげじっと目をこらすも、うすぼやけた景色しか見えない。視力水準が、人間と魔物とでは違うようだ。
それでも、魔物はかなりのスピードで進んでいるらしく、どんどんその景色が近づいてくる。建物の輪郭が、しだいにくっきりと雪凪の目に映り始めた。
そして、雪凪は驚愕する。
「あ、あれは――」
そう、雪凪が目にしたのは、まるで自分――人間が住むように作られた、中世風の建物だった。
テレビや本でしか目にしたことはないが、それは明らかに人間の手によって、人間の慣性によって作られたものだった。
そしてその事実から導き出される答えは、一つだけだった。
***
ふわりと。
周りに誰もいない、人気のない場所に降ろされた雪凪は、あたりを見渡す。
やはりというべきか、周りの建物は確かに人工的で、そしてそのサイズも人間が住むのに適した大きさで設計されていた。
路地裏から、少し顔を出し周りの様子を伺う。外に広がっていた光景は、雪凪が予想していた通りだった。
中世の建物、そして行きかうたくさんの人々――雪凪と同じ形をした、人間。
「"あれ"が……あなたたちの餌、ですか」分かっていながらも、雪凪は尋ねる。
「ええ、そうです」
そして返って来たのは、簡素な返事のみ。
魔物からしてみれば、雪凪と餌が同じ種族だということに、何の感情も抱くような事柄ではないと、そう思っているのだろう。
「……あなたたちは、少し待っていてください」
そういうと、雪凪は路地裏を飛び出した。
無論、雪凪は人の目に触れても別段騒がれる、いったことはない。やはり形だけではなく、人間として同じものなのだ。雪凪と、この人々は。
「あ、あの……」
おずおずと、雪凪は通りがかった女性に話しかける。
『あら、何かしら?』
しかし、返って来る返事は雪凪の知っている言葉ではなかった。
考えてみれば当たり前のことだ。いくら魔物と日本語で意思疎通できたって、ここにいる人たちも同じ言葉を使えるとは限らない。
雪凪の世界でだって、国が違うだけで言葉が異なるのだ。ここがどこだかは知らないが、扱っている言語が違うことくらい、至極当然であるのだ。
「い、いえ……なんでもないです。ごめんなさい!」
いぶかしむ女性を他所に、雪凪はその場を走り去った。
いっそのこと、ここの人たちに保護してもらおうか。そう考えたりもした。
魔物達とは意思疎通は図れるものの、侵略を何とも思わない種族。そして役に立たなければ雪凪を殺す、と言っていた。
今はたまたま自分の考えた作戦が上手くいってこの立場にいるが、そうでなくなったら彼らは容赦なく雪凪を言葉の通りにするだろう。
なんとかして、交流を図らねば――雪凪がまた行き交う人に話しかけようとしたときだった。
『ま、魔物だー!!』
どこかで、悲鳴にも似た大きな声が聞こえた。
言葉の意味はわからなかったが、何か重大なことが起こったことは雪凪にも理解できた。
人だかりが、ある一点の場所へ走り始める。――いや、そこへ"向かっている"というよりは、むしろどこかから"逃げてきた"というような感じがした。
状況を今一つ理解できない雪凪は、その場に立ち尽くしていた。ふと、その人だかりの発生源を見やる。
「まさか……」
そこに見えたのは、黒い霧。そしてそれがどんどん大きな岩石のような姿を形成している瞬間だった。
「やめなさい!!」
そう叫んだが、事は雪崩のように状況を変えていった。
瞬く間に、この街の何らかの防衛機関が出動したらしく、武器を持ったり、鎧を着た人々が岩石の魔物と交戦を始めたのだ。
どっちが先に手を出したのか? 何が原因で魔物が姿を晒すことになったのか?
ここの街の人々からすれば、そんなことは知ったことの無いことだった。脅威が来たから、戦う。ただそれだけだった。
そんな時、雪凪は見つけた。屋根の上を飛び交う、妙な人影。
それは忘れもしない、生まれたときから一緒に暮らしてきた、唯一雪凪が気を許す少女――。
「お姉ちゃん!?」
そう、姉の雪乃だった。しかし遠すぎたのか、その言葉はどうやら聞こえていないようだった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」
走って追いかけようとした。しかしどんな仕掛けを使っているのか、雪乃はもの凄い速さで飛び去っていたのだった。
「ああ、そんな……こんな、ところにいたなんて……」
膝をつき、その場に崩れ落ちる雪凪。そこへ見知らぬ女性が何やら慌てた様子でこちらへ向かってきた。
何かを喋っているようだが、雪凪には伝わらない。恐らく、魔物が来たから逃げろとか、そういうことなのだろう。
そのことについては心配はない。雪凪は魔物に狙われることはないのだから。
立ち去ろうとしたが、その女性は無理やり雪凪を抱え上げると、そのままどこかへ走り出す。
「ちょ、ちょっと、何するんですか!?」
見たところ、女性はそんなに怪力には見えない。中肉中背といったごく普通の体格をしていた。
確かに自分は小柄なほうだが、だからといってそんな女性が人を抱え上げ、そのまま走るなどという芸当ができるようには見えなかった。
先ほどの雪乃といい、何か仕掛けがあるに違いない――そう考えながら暴れるも、女性から逃げ出すことはできなかった。
***
そして。
城のような場所へ連れてこられた雪凪は、どうにかしてここを逃げ出し、雪乃を探しに行くことは出来ないか、と考えていた。
女性と、そして中世の兵士のような人間に掴まれたままでは、どうしようもなかったが。
このままどこに連れて行かれるのか――雪凪が連れられるまま歩かされていると、反対側から歩いてくる人影が見えた。
それは最も意外で、そして一番会いたかった人物だった。




