ある侍従Aの献身~主が静かに暮らしたいと言ったので国を少し片付けました~
「ヴィオラ・フォン・ローゼンバーグ!」
卒業記念夜会の大広間に、第一王子アルフレッドの怒声が響き渡った。
楽団の演奏が止まる。
談笑していた貴族たちも、一斉に口を閉ざした。
その視線の先にいるのは、一人の令嬢。
侯爵令嬢ヴィオラ・フォン・ローゼンバーグだった。
「お前は聖女エレンに嫉妬し、階段から突き落とした!」
王子は厳しい目でヴィオラを睨みつける。
その隣では、平民出身の聖女エレンが不安げに王子の腕へしがみついていた。
「よって私はここに宣言する!」
王子は高らかに言い放つ。
「ヴィオラ! お前との婚約を破棄する!」
会場がどっと沸いた。
誰も驚かない。
むしろ当然だと思っている。
ヴィオラは有名だった。
侯爵令嬢でありながら魔力は最低クラス。
成績も振るわない。
誰もが知る『無能令嬢』である。
「そんな……」
ヴィオラの肩が震えた。
瞳には涙。
今にも崩れ落ちそうな姿だった。
「アルフレッド様……私は……」
「黙れ!」
王子は容赦なく遮る。
「証人もいる。言い逃れはできん」
ヴィオラは俯いた。
その小さな肩がかすかに震える。
誰も助けようとしない。
誰も味方をしない。
ただ一人を除いて。
「お言葉ですが、殿下」
静かな声だった。
しかし不思議と、会場の隅々まで届く。
ヴィオラの背後。
影のように控えていた男が一歩前へ出た。
専属侍従セバスチャン。
白髪混じりの髪を整えた、初老の紳士である。
「我が主に釈明の機会をいただけませんでしょうか」
深々と頭を下げる。
完璧な所作だった。
しかしアルフレッド王子は鼻で笑う。
「ただの侍従風情が王族に口を挟むな」
「失礼いたしました」
セバスチャンはあっさり引き下がった。
それが余計に不気味だった。
そして
ヴィオラは国外追放となった。
誰もが満足した結末だった。
――ただ一人を除いて。
◇◇◇
王都を離れた馬車の中。
ヴィオラは盛大に伸びをした。
「あーっ! 終わったぁ!」
さっきまで涙ぐんでいた令嬢とは思えない声だった。
向かいに座るセバスチャンが静かに紅茶を注ぐ。
「お疲れ様でございました」
「私、ちゃんと可哀想な令嬢に見えたかしら?」
「完璧でした」
セバスチャンは即答した。
「特に『アルフレッド様、信じてください』のあたりは名演技でございました」
「でしょう?」
ヴィオラは上機嫌だ。
ようやく自由になれたのである。
嫌いな王子との結婚。
面倒な貴族社会。
権力争い。
全部終わった。
「これで隣国でのんびり暮らせるわ」
「その通りでございます」
「あなたも一緒よ?」
ヴィオラは当然のように言った。
だが。
その瞬間だけ。
セバスチャンの微笑みが少し変わった。
「申し訳ございません」
「え?」
「私の仕事は、まだ残っておりますので」
ヴィオラは首を傾げる。
「仕事?」
「はい」
セバスチャンは穏やかに笑った。
どこまでも穏やかに。
「少々掃除を」
なぜだろう。
その言葉を聞いた瞬間。
ヴィオラは少しだけ寒気を覚えた。
馬車の外は春だというのに。
まるで冬の風が吹き抜けたような気がした。
◇◇◇
国境が見えてきた頃。
ヴィオラはようやく違和感の正体に気づいた。
「そういえば」
「はい」
「仕事って何なの?」
セバスチャンは窓の外を見たまま答える。
「少々、後始末を」
「後始末?」
「ええ」
それ以上は語らない。
ヴィオラは眉をひそめた。
だが昔からそうだった。
セバスチャンは聞かれたことには答える。
けれど聞かれていないことは決して話さない。
だからヴィオラは肩をすくめた。
「まあいいわ」
もう自由なのだ。
面倒事は全部置いてきた。
今さら王都で何が起ころうと、自分には関係ない。
そう思っていた。
その時は。
◇◇◇
それから数か月後。
隣国の田舎町。
小さな屋敷の庭で、ヴィオラは幸せを満喫していた。
朝は好きなだけ寝る。
昼は庭いじり。
夜は読書。
社交界もない。
権力争いもない。
王子もいない。
天国だった。
「セバスチャン」
「お呼びでしょうか」
呼ぶと三秒で現れる。
相変わらずである。
「ベリータルト」
「すでにご用意しております」
「最高!」
テーブルの上には焼きたてのタルト。
香り高い紅茶。
完璧だった。
ヴィオラは頬を緩める。
「幸せ……」
「何よりでございます」
セバスチャンも満足そうだった。
主人が幸せならそれでいい。
そんな顔である。
その時。
庭先を通った商人たちの会話が聞こえてきた。
「聞いたか?」
「ああ、王都の話だろ」
「まさかあの国があんなことになるなんてな」
ヴィオラは耳をぴくりと動かした。
「王都?」
「なんでも国の魔導設備が全部止まったらしい」
「結界も消えたとか」
「元々あの魔力炉は侯爵家が管理してたらしい」
「王子が管理者を追放したとか聞いたぞ」
「そのせいで王子と聖女が毎日魔力を流し込んで維持してるんだとよ」
「ははっ、生きた魔力電池だな」
商人たちは笑いながら去っていった。
ヴィオラは固まった。
「え」
紅茶を置く。
「え?」
セバスチャンは無言で紅茶を注ぎ足した。
「セバスチャン」
「はい」
「今の話」
「噂でございますね」
「そうね」
「噂は真偽不明でございます」
「そうね」
ヴィオラはじっと見つめる。
セバスチャンは穏やかに微笑む。
完璧な笑顔だった。
だから余計に怪しい。
◇◇◇
さらに数日後。
ヴィオラは書斎で一通の新聞を読んでいた。
元祖国の記事である。
王太子アルフレッド。
聖女エレン。
両名による献身的な国土防衛。
国民からの支持率上昇。
英雄的活躍。
そう書かれていた。
だが写真を見たヴィオラは吹き出した。
「誰これ」
やつれていた。
見る影もなく。
かつての輝きは欠片もない。
「すごい顔してる」
「ご苦労されているのでしょう」
セバスチャンが静かに答える。
「他人事みたいに言うのね」
「他人事ですので」
その返答が早すぎた。
ヴィオラはますます疑う。
この時ヴィオラは気づかなかった。
元祖国の新聞記事に小さく
元侯爵令嬢ヴィオラ・フォン・ローゼンバーグの追放後、魔力炉出力が激減、原因を調査中と記載されていることに。
◇◇◇
そしてその夜。
ふと思い出したように尋ねた。
「ねえ」
「はい」
「本当は何をしたの?」
セバスチャンの手が一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
だが確かに。
「何のことでございましょう」
「王都」
「存じません」
「魔力炉」
「存じません」
「王子と聖女」
「存じません」
即答だった。
怪しさしかない。
ヴィオラは呆れた。
「嘘が下手ね」
「心外です」
「あなた絶対何かしたでしょう」
「私はただの侍従でございます」
「ただの侍従は国家を崩壊寸前にしないのよ」
「なるほど」
セバスチャンは真面目な顔で頷いた。
「勉強になります」
「そこじゃないわよ」
思わず笑ってしまう。
セバスチャンも微かに笑った。
珍しいことだった。
そして静かに言う。
「私はただ」
その声音はどこまでも穏やかだった。
「ヴィオラ様が静かに暮らせる世界を作りたかっただけでございます」
「それだけ?」
「それだけです」
ヴィオラは数秒考えた。
たぶん。
いや間違いなく。
それだけではない。
だが。
聞かない方がいい気がした。
絶対に。
深掘りしてはいけない類の話だ。
だからヴィオラは立ち上がった。
「まあいいわ」
「よろしいので?」
「今幸せだから」
そう言って笑う。
するとセバスチャンも微笑んだ。
本当に嬉しそうに。
それを見てヴィオラは思う。
きっとこの男は。
自分のためなら国の一つや二つ、本気で壊しかねない。
そして。
そんなことをしたとしても。
本人は心の底から善意だと思っているのだろう。
少しだけ恐ろしい。
けれど。
とても頼もしい。
「お茶のおかわり」
「かしこまりました」
青空の下。
小鳥がさえずる。
穏やかな風が吹く。
ヴィオラは自由になった。
過保護で。
有能すぎて。
たぶん少しだけ危険な侍従と共に。
◇◇◇
その頃。
元王都。
魔力炉最深部。
アルフレッドとエレンは今日も魔力を注ぎ続けていた。
逃げることは許されない。
休むことも許されない。
国を維持するためだけの人生。
その壁に、一枚の紙が貼られている。
何年経っても誰かが剥がそうとすると、なぜか元の場所へ戻ってくる呪い付きの紙だ。
そこには綺麗な筆跡でこう書かれていた。
『私は侍従ですので』
『主の望みを叶えるのが仕事です』
『どうぞ末永く、国のためにお幸せに』
―A―
アルフレッドは歯を食いしばった。
エレンは泣いていた。
だが誰も助けてくれない。
なぜなら彼らは。
国を救う英雄なのだから。
◇◇◇
その後、元祖国がどうなったのか。
ヴィオラは詳しく知らない。
知る必要もなかった。
なぜなら。
彼女の世界はもうそこにはないのだから。
そしてセバスチャンもまた。
主が幸せなら、それで十分だった。
――ある侍従Aの献身である。
(完)
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