ep.5「眠り姫をゆりかごへ」
深い眠りに落ちているフィリエを抱えて神殿を出ると、女が一人立っていた。
「眠り姫のお迎えですか」
「そうだ。それと、お前に聞きたいこともある」
エルザの口調は強く、怒りが滲み出ていた。
「お前、何を企んでいる」
「企む?俺はなにも企んでないですよ、師匠」
“師匠”と呼ばれ、エルザの眉がぴくりと反応する。
「最後に会ったのは千年前ですね。お元気でしたか」
「たわけ、お前は十年前から私たちを監視しているだろう」
「いやだな、監視だなんて。面白かったので見ていただけですよ」
かつて自分にあらゆる魔法を叩き込んだ目の前の師は、育ての親でもある。彼女と過ごした時間はエルフにとっても決して短くはない。幼い頃に時を共にしたからだろう、シャイロックにとって彼女は母親のような存在でもあった。
「だったらなぜ、千年も姿を見せなかったお前がこうして一人の人間に執着する。危害を与えるつもりはないようだから目を瞑ってきたが、フィリエがお前に執着し始めた。そろそろ、お前の思惑を確認すべきだと思ってな」
「そうですね…」
シャイロックは、すやすやと寝息を立てている少女に視線を落とす。
「……たとえ生まれ変わっても、その魂の記憶は簡単には呼び覚ませない。たとえ呼び覚ませたとしても、これまでフィリエとして生きた記憶は消えない。私たちの知る彼女には戻らない。ましてや彼女の魂は……」
「……わかっています」
「だったら……」
ははは、とシャイロックが声を出して笑う。
「本当に、何も企んではいないんですよ。今は。この千年ずっと、彼女を失った日に立てた誓いを守るために生きてきた。ただ、気が変わりました」
シャイロックはそっとフィリエを下ろす。
「先程、この子の中にある俺に関する記憶を全て封じました」
「なに?」
「次に目覚めた時、この子は俺のことを覚えていない。俺は今後、この子に関わるつもりはない」
「……いいのか?」
「ええ。ですから、俺の作ったオルゴールを回収させてください。あれは記憶を呼び覚ます媒介となる。もうこの世界に必要のないものです」
「オルゴール?」
「フィリエはあなたの寝室でオルゴールを見つけたと言っていましたが…」
沈黙するエルザに、シャイロックは再び表情を硬くする。
「本当に知らないのですか」
「お前に釘を刺しに来た私が、そんなものをうちに置くと思うのか」
「……この子は既に前世の記憶を思い出し始めていました。オルゴールを手にしたのは確実です。ですが、あなたが知らないというのならどこで……では、私が書いた本があなたの手元にあるというのも…」
「いや、それはうちにある」
「……」
「いつのまに私の寝室に忍び込んだんだか。あれを私が見つけてもう数百年になる。これでも可愛がった弟子の出来の良い直筆本だからな、つい手にとってしまった」
「つい手にとってしまった弟子の本を数百年も保存しておくなんて、魔法使いの収集癖は怖いですね。サインでもしましょうか?」
ジト目でそう言うシャイロックから目を逸らし、エルザはわざとらしく咳払いをしてみせる。
「それはそうとして、そのオルゴールはどんな形のものだ」
「それも“本”ですよ。表紙には魔力を帯びた宝石が散りばめられ、金箔の装飾が施されている。本の形をしたそれは、表紙を開くと共に旋律を奏で魔法が発動する。その本が奏でる旋律を聞くだけで、そのオルゴールに記録された記憶や感情は、聞いた者の頭にそのまま流れ込む。一時的に思考さえも奪うとても強力なものです」
少し自慢げに説明するシャイロックだが、エルザの表情は呆れ顔から心底嫌そうな顔に変わっていく。
「当時の俺の荒れ狂った感情と魔力で作りましたから、俺以外には傷ひとつつけられない完璧な防御魔法がかけられています。千年経った今でも当時のまま劣化もせず残っているはずですが、俺自身が所持しているものは七つのうち一つだけです。他はこれから探して回収しようと思っていたところなのですが……」
「なんなんだその物騒な魔法。しかもお前、そんなものを七つも?」
あの頃のお前は確かに狂っていたよ……とエルザは思ったが、口にすることはなかった。彼女が死んだ後のシャイロックは痛々しくて目も当てられられなかった。あれから千年、死んではないないと思っていたが、こうしてまた話をする機会が来ようとは。
「ははは、まぁ映像として強制的に他人の記憶が流れ込んでくる訳ですから、感受性の豊かな者にとっては致死量の情報量かもしれませんね」
しかもこの愛弟子、なんだかんだ元気そうではないか。
「それで、師匠に心当たりは?」
「はぁ……金箔と宝石の表紙だったな。それならうちにある。だがつい最近、ルミナスが持ってきたものだ。フィリエの十四歳の誕生日に渡して欲しいと言われたものだ。あいつは包みもしないで持ってきたから、とりあえずと思って本棚に隠したつもりだった。まさか見つかっていたとは」
「ルミナス……?」
「彼女に渡すまで私にも開くなと言っていた。あいつはわかっていてそれを持ってきたということか」
シャイロックは眉を顰めた。
“ルミナス”というのは、エルザやシャイロックと同じく千年前にオフィーリアと関わりのあったエルフの魔法使いだった。当時のルミナスは、エルフの中では珍しく人間の中に身を置く変わり者で、王の命によりオフィーリアの護衛につけられた専属騎士のうちの一人だったはずだ。
「彼は今何をしているのですか」
「あいつは今、西の王国ヴェラデールの王宮魔法騎士団団長だ。王直属の部隊の指揮と、宮廷魔法使いの選別と育成をしている」
「宮廷魔法使い……ではフィリエは彼に預けるつもりだったと」
「そうだ。以前、ルミナスが森を訪ねてきた時にフィリエに会わせた。まぁいずれ会うことになるだろうと思っていたしな。お前は一目でこの子と彼女を重ねたのだろう?オフィーリアを知る者ならば、一目見ただけで気づいてもおかしくはない。というより、気づかざるを得ない」
草の上ですやすやと眠っているフィリエは、オフィーリアと同じ銀髪と紫の瞳を持つ。小精霊の群がるその身体を、エルザが魔法でふわりと浮かせて自分の方へと引き寄せた。当たり前のようにやってのけるその魔法も、身につけるには相当な魔力操作の技術が必要となる。
「師匠は、ルミナスの師でもありましたね」
「そうだが?」
「俺と彼、どちらの方が魔法使いの素質がありましたか?」
「そんなもの得意な魔法の方向性が違うのだから比べる基準によるだろう」
「というと?」
エルザは腰に手を当て、やれやれと首を横に振った。
「お前は破壊と再生、特に何かを新しく一から創造することが得意だっただろう。だが、すでにある物を変化させたり、工程を加えたりして変化させることは苦手だったな。ルミナスはその逆だ。新しいものを生み出すのが苦手で、破壊するよりもそれに手を加えて別のものに変えることの方が得意だった」
「手を加える……」
「そうだ。お前の生み出した魔法陣の普及と成長に一番貢献しているのはあいつだろ」
「へぇ、それは知りませんでした」
「お前……千年引きこもってたのか?」
「まぁそんなところですが」
シャイロック自身は、それほど深くルミナスと関わったことがなかった。エルザの弟子だった期間も全く別であり、直接言葉を交わしたのはオフィーリアと共にいた頃に数回か。
「ひと月ほど前に、街に出たフィリエが宮廷魔法使いを募集する張り紙を持って帰ってきたんだ。ルミナスが宮廷魔法使いの選別と育成をしているというのはその時調べて知った。ここ数百年、私もあいつに会っていなかったから、詳細を聞くついでに顔を見てやろうと思ってな。王都のあいつを訪ねた」
「フィリエのことは?」
「その時は人間の弟子を一人とっているとだけ。ただ、次の日あいつは突然森を訪ねてきた。フィリエを見て気づいたはずだが、あいつはその話には触れず、ただ十四になったら尋ねてこいと言って帰って行った。そして数日前、あいつは真夜中に突然本を持ってやってきた」
一目見て、ルミナスもフィリエがオフィーリアの生まれ変わりだと悟ったはずだ。そして俺のオルゴールが記憶媒体になると分かっていてエルザに渡した。彼女の記憶を呼び覚ましたいのは俺だけだと思っていたが……彼はなんのために……
「接触してみるのが手っ取り早いか」
「ところで、お前はどうしてこの子の記憶を封じたんだ」




