ep.4「さようなら、俺のお姫様」
どうして、か……
自分をまっすぐに見つめる瞳に、長いまつ毛が影を落とす。白銀の髪と、紫の瞳。背丈も伸びて、いつのまにそんな真剣な表情をするようになったのか。
よく似てきたものだ……
まったく、どうして人の成長はこんなにも速いのだろう。以前接触した時は獣すら入らない暗闇の続く洞窟の中でびーびー泣いていて、手を引く俺の話をめそめそしながら聞いているだけだったのに。
「お前は今、幸せか?」
唐突な問いに、少女は眉を下げて答える。
「とても、幸せだよ?」
「そうか」
「どうしてそんなことを聞くの」
この少女のことを、もう十年近く観察してきた。人間でありながらエルフに育てられたこの少女は、両親というものを知らない。それでも寂しそうな表情を見せず、というか、そんなことはあまり考えない性質なのか。日々を自身の好奇心にしたがって動き、知識を吸収し、忙しなく生きている。
平和な世に生まれた、まだ無垢で純粋な少女。
「……オフィーリアのことは忘れろ。俺の感傷に付き合う必要はない。俺が気まぐれに話したくなっただけだ。お前が少し、彼女に似ていたから」
「忘れるなんて……」
「千年も昔の話だ。大陸史にさえ詳細は残されていない。もう千年も過ぎれば、完全に消え去る。俺だけが覚えていればいい」
「でも、っ……」
フィリエの唇に、人差し指を押し付ける。むにっという感触と共に、少女が顔を赤らめて目を見開く。
「本当に、まだまだぴよぴよとよく喋る。成長して口が達者になって余計に面倒だな」
指を外すと、フィリエはわなわなと震えて黙ったまま口をぱくぱくさせている。
「ふふ、今夜はもう寝る時間だろ。エルザのもとへ帰れ、フィリエ」
「続きは教えてくれないの?」
「お前が知る必要はない。言っただろ、俺の気まぐれだ。忘れろ」
「……次はいつ会えるの?」
「次?」
「また、5年後…?」
フィリエの問いに、シャイロックはしばらく沈黙する。
「俺はもう、お前には会わない。この場所もそのうち閉じる」
「な、なんで?私何かした?一緒にいたいって言ったから?そんなに嫌だった?」
「違う」
「じゃあっ」
「お前、森を離れるんだろう?」
「……どうしてそれを知ってるの」
「俺はなんでも知ってるさ。魔王だからな」
十四歳を迎えた後、フィリエは大陸西部を占める国の王都へ行くことになっている。かつてに比べれば、魔物たちが与える人々への被害は大きくない。だが、魔物たちの動きには波がある。数年に一度、その動きは活発になり被害が増えるのだ。それに備え、王国では魔力の使える人材を常に募集していた。
「宮廷魔法使いか。知りたがりのお前が目指しそうなものだ」
「もっと魔法を学びたいし、研究機関にも興味があるの。あなたが魔法陣を生み出したように、私も何かを成し遂げたい」
「貪欲だな。わかっているだろうが、宮廷魔法使いの仕事は魔物退治と王族の護衛が主だ。魔法の研究は二の次。そしてこの時代における魔物を従え扱えるのは俺だけ。即ちお前は俺の敵になるということだ」
「敵だなんて……じゃあ私が行くのをやめたら、また私と会ってくれるの?」
「お前、どうしてそんなに俺に執着する」
「それは……」
幼かったフィリエは、魔王であり魔法が使えるという理由で俺に興味津々だったのだろう。だが成長して、しばらく会わないうちに俺に向ける感情が違うものに変わっているのはその目を見れば明確で……わざと、少女が傷つく言葉を紡ぐ。
執着しているのは俺の方だろうに…
「俺は、オフィーリアに似ていたから気まぐれにお前に構っていただけだ。お前に対して特別な感情は持ち合わせていないし、持ち合わせることはない」
そこまで言って顔を上げると、フィリエの大きな瞳からは大粒の涙が溢れていた。
「わかってるよ、シャイロックが愛しているのはオフィーリアだって。わかってるのに……あなたに手を引かれて歩いた日の、その手の温かさがずっと忘れられない。自分の瞳を見るたびに、あなたの瞳を思い出す。それに私、あなたがとても愛情深くて、情に厚い、優しい人だって知っちゃった」
「それはお前の過大評価だ」
「違う!エルザの部屋で見つけたのは本だけじゃないんだから!」
フィリエは半ば叫ぶようにそう言い放つ。大粒の涙は頬を濡らし、濡れたまつ毛は灯りを受けてきらきらと輝いていた。
「まだなにか」
「オルゴール」
フィリエの一言で、シャイロックは頭から冷水を被ったかのような衝撃を受けた。
目の前の少女から離れるため、どう言いくるめようかと悶々としていた思考回路が一気に冴え渡っていく。
涙を拭いながらも、フィリエはシャイロックから目を逸らさない。
「本があなたの生み出したものなら、あのオルゴールだって同じ。私が見たものは全部本当にあったこと。そうでしょう?あなたがどんなに彼女のことを愛していたか、大切に思っていたか、いろんな記憶が流れ込んできて……私」
「やめろ」
「っ、それでも私は、あなたに無性に会いたかった。だってあなたには、魔王なんて似合わない。そんなのやめて、一人寂しくしていないで、明るい日の下で人と一緒に、私と一緒に生きて……ほし…い……あれ……私、前にも同じこと、あなたに……」
止めどなく涙を溢しながら、困惑した表情になったフィリエの瞳は揺れていた。その両目を、シャイロックの大きな手のひらが覆う。
「……な…に……」
ガクンとフィリエの膝が折れ、倒れ込むその身体をシャイロックが抱える。
ふわりとフィリエを横抱きにして、意識を手放した少女の涙で濡れた顔を見つめた。
フィリエにまとわりついていた小精霊たちが心配そうにフィリエの顔周りに集まる。
「愛されているな。今も昔も、そういうところは変わらない」
そう呟き、涙で濡れ赤くなった頬と目元を軽く拭ってやる。
「生まれ変わっても、君は人を選んだんだな」
フィリエはオフィーリアに似ているのではない。その顔貌は出会った頃のオフィーリアそのものだ。魂は円環の中を廻っている。オフィーリアの生まれ変わりこそが、フィリエだ。
そして俺は、彼女をずっと待っていた。
だが……
シャイロックはフィリエの唇に自分の唇をそっと重ねる。淡い光が一瞬生まれ、フィリエの目尻から最後の涙が溢れ落ちた。
「お前は、オフィーリアにならなくていい」




