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ep.2「こんばんは、お姫様」

「まおう??」


フィリエは首を傾げる。


「そう、魔王だ。お前に渡した本の中に、歴史の本があったはずだ。千年前、この大陸の半分を火の海にした悪の魔法使い」

「あ、ちょっとだけおぼえてるよ!黒い髪の、紫の目の…あれはしゃいろっく?」


エルザが頷く。


「魔王……なんでフィリエをみにきたの?」

「さぁな。何を考えてるかわからないやつだ。危険だから、次に見たらすぐに私を呼びなさい。私を呼ぶ詠唱だけは覚えただろう?」

「うん!!!」


フィリエは瞳を輝かせて頷く。


「もっとほかの魔法も教えて!!」

「少しずつ、な。とりあえず今日は野いちごのジャムを作る予定だったが変更だ。西の町に行く」

「え!町に!?わたしも行っていい!??」


エルザは頷き立ち上がる。


「手を洗って着替えてきなさい」

「いいの!?やった!!いってくる!!!」


フィリエを町に連れて行くのは二度目になる。フィリエが言葉を話せるようになってから、人というものを教えるために一度町へ連れて行ったのだ。あの時、フィリエはもう少し幼くて、まだ私しか知らなかった。


町を行き交う人々にさえ少し怯えていたから、ずっと私の手を強く握っていたな。そんなことは覚えていないであろう今のフィリエは、ドタバタと走って準備を始める。


いい機会だ。人を知り、生活を知り、町を知り、国を知っていくために。いずれあの子が自分で生きる場所を選べるように。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「えるざ!みてみて!あの赤いのはなに!?」

「あれはこの国の国旗」

「くに?」

「お前、全然本読んでないな」

「だって眠くなっちゃうんだもん」


エルザは長いため息を吐く。


「今日から寝る前に勉強だ」

「えぇぇ……あ!いい匂い!あれは?」

「あれは屋台だ。ちょうどいい、お腹は空いたか?ここでパンを買っていこう」

「パンに何か挟まってるよ?」

「これは鶏肉を焼いたものにこの地方特有のソースをかけてあるものだ」

「美味しそう!!」

「食べような」


人間の子どもというのはすごい。興味関心の対象がころころ変わる。それもすごい勢いで。


「ん〜〜!美味しい〜!!」


ほっぺたを落としそうなほど膨らませて頬張る姿が面白くて、エルザは思わず笑ってしまった。


「まだまだ子どもだな」

「むぅ」

「勉強をがんばれば早く大人になれるぞ」

「ほんとう!?勉強おしえて!えるざ!」

「ふふふ、食べ終わったらこの町について教えよう」


この日から、エルザは週に一度は必ずフィリエを連れ出し、二人で町へ出かけるようになった。


初めはエルザを質問攻めにしていたフィリエも、やがてそれでは足りなくなり、エルザに読み書きを教わると同時に様々な本を読むようになっていった。




本に集中しているフィリエを見ながら、エルザは目を細めた。


本当に、瞬きのような速さで私たちの時間は過ぎ去っていく。


どうか、もう少し、このままで。





✳︎ ✳︎ ✳︎





カタン、と小さく音を立てて戸が閉まる。


戸から手を離し、外に出たフィリエはそっとエルザの部屋の窓を見た。明かりは消えたまま、中からは物音ひとつしない。


ふぅ、とひと息ついてから、フィリエは森を歩き始めた。


十歳から始めたフィリエの夜遊びは、エルザが寝てからしばらくしてから森へ出ること。そしてお気に入りの場所まで行って、しばらくの間精霊たちと戯れてからベッドへ戻るのだ。


週に二、三度。魔法の練習をしたい時や、静かに考え事をしたい時によく行くお気に入りのそこは、水の精霊たちが多く留まる場所だった。


フィリエが森を歩き出すと、小さな光の粒がフィリエの周りにひとつ、またひとつと集まってくる。月明かりに照らされて光を増すそれらは、生まれたばかりの精霊たち。 


まだ言葉もしっかりとした形も成せない無垢なその子たちは、フィリエの魔力に惹かれていつも夜道をついてくる。


エルザは魔物や獣に襲われたら危ないから、と夜の外出はさせてくれないのだが、この辺りのものであればフィリエ一人でも魔法でなんとかなると自負していた。


軽い足取りで森を進んでいくと、やがて小さなせせらぎに出会う。その流れに沿って川沿いを歩けば、小さな洞窟の入り口へと辿り着いた。


洞窟の先に光は見えず、真っ暗な闇の中をフィリエは小精霊たちと共に静かに進んだ。壁に手を沿わせ、光のない洞窟の中を何度か曲がり、やっとそこへ辿り着くのだ。


洞窟を抜けた先には、月明かりに照らされた崩れた宮殿があった。


純白の柱は所々が欠け、崩れているものもあれば根本から折れているものもある。水の流れに侵食され、かつて道であったはずの宮殿前は小川と化し、崩れかけた建物も色褪せて青白くただ静かにそこにある。


宮殿内に入ると、その中もまた水に侵され半分は沈んでしまっている。かつては立派な中庭であったはずの空間は完全に水に沈み、澄んだ水が月光を吸い込み青く煌めいていた。


ふわりふわりと小精霊たちが舞い、散らばっていく。


ここは人の手が離れて数百年は経っているのだろう。精霊たちが集まり魔力に満ち満ちている。小精霊たちにとってはこれ以上ない安息の場所。


フィリエは立ち止まり、中庭の沈んだ水辺に腰をかけた。靴を脱ぎ、ローブを捲り、両足をそっと水に浸す。


「また、ここへ来たのか」


男の声に、フィリエは振り返らずに答える。


「久しぶりね、シャイロック」


宮殿の奥の暗闇に、紫色の瞳がきらりと光る。


「いくつになった」

「わかってるくせに」

「……十四か、本当に早いな」

「誕生日は明日。まだ十三」

「ふん」


暗闇から現れた黒髪のエルフは、何年経っても変わらぬ姿。


「ねぇ、あなたは五年に一度しかここへ来られないの?」


ずっと疑問だったことを口にしてみる。


「いいや」


水辺に座ったままのフィリエの横にシャイロックが立つ。


「俺は来ようと思えばいつでも来られるさ」


見下ろすシャイロックを見つめながら、フィリエが手を伸ばす。


「じゃあ、どうして五年に一度しか会いに来てくれないの?」

「……」


フィリエの指先がそっとシャイロックの手に触れる。


フィリエにとってシャイロックは、不思議で、憧れで、初めてまともに会話をした男性で、恋心を抱くには十分な美貌の持ち主だった。


魔王であるという点も、幼い少女にとっては好奇心の対象でしかなく、四歳の時に初めて会った日も、九歳の時に洞窟へ迷い込んだフィリエをシャイロックが連れ出した日も、彼は変わらずフィリエに優しかった。


かつてこの大陸を焼いたという歴史の他にも、彼の伝説は多くある。ただ、すべて千年前のもの…


千年以上生きているということ自体がフィリエには到底理解のできない感覚なのだが、それでも、自分の知る彼は少しも脅威ではなかったのだ。


「じゃあ、私が気づいていないだけで、あなたはいつも私のことを見ていたりするの?」


動かないシャイロックをいいことに、フィリエはその大きな手を好きに撫でてみる。


「いつもじゃないさ」

「えっ」


ぱっと手を払われ、シャイロックが背向けて歩き出す。


「待って!」


五年に一度しか現れてくれないのに、今回はこれで終わりだなんて短すぎる!今度会うのは五年後なんて耐えられない!!


フィリエは急いで水から足を出し、シャイロックの後を追った。


シャイロックはまだいなくなる気はないようで、フィリエがついてくるのをちらりと見てから宮殿の奥へと進む。


「お前は十三にもなったのに、俺のことを怖がらないな。初めから怖がってもいいものを。俺のしたことはもうあらかた知っているだろう?」

「……知ってる。でも、今のシャイロックはそんなことしないでしょう?」


フィリエには、シャイロックについて知りたいがために様々な歴史書を漁っては朝から晩まで読み耽っていた時期があった。それと同時に、魔法についての記述がある本も相当な量読んでいた。特に、古いものを中心に。


「今、大陸に普及してる魔導書は、大陸の東西に別れた王国の宮廷魔法使いが書いた本がほとんどを占めてる。でも、古いものはそうじゃない」

「ほう?」

「古い魔導書の中には、人が誰でもその魔法を使えるように、陣として編み出す方法を記述したものがあった。書き方も活用の仕方も細かく書いてあったその本は、読んだ人がその後、その知識を活かしていけるように書かれたものだった。それは、今では多くの魔法使いや人々が書き足したり変化させたりして使っている魔法陣の基礎の基礎」

「……」

「あなたが書いたものでしょう?シャイロック」

「著者に魔王とでも書いてあったのか」


ローブをつんと引っ張ると、シャイロックがやれやれといった表情で振り返った。


「なんでわかった。そもそもなんでその本をお前が知っている。数百年前に書いた本だぞ。誰がそんな本保存してるんだよ、もの好きか。もうとっくに改訂され、新しく有用な本は他にもたくさんあるだろうに。それに、お前の言うとおりあれは基礎、魔法使いの中で今その知識は常識だ。本から学ぶ者なんているはずもない。お前は野いちごをジャムにできるって本から学んだのか?」

「違うけど」

「で、なぜその本と俺が結びつく」


また歩き出すシャイロックの横に、フィリエが上機嫌な足取りで並ぶ。


「知りたい?」


魔法とは、魔力を持った者が精霊の声を聞き、その力を借りて織りなすもの。この大陸において、妖精族と呼ばれる者、即ちエルフたちと、数少ない人間たちそして魔物が魔力を有する。


ほとんどの人間が魔力を持たずに生まれる中で、数少ない魔力を持った人間は精霊に愛されている者とされている。


魔法の使える人間とそうでない人間の格差は大きく、幾度となく争いの火種となってきた。その格差を埋めるため、ある時代に魔法陣という物が作られた。そして、それを最初に作ったのは、人間ではなく一人のエルフ。


妖精族は生まれながらに魔力を持っている。そして、人間たちの争いに巻き込まれるのを良しとしない。彼らの本能は人間よりも精霊に近く、自然を愛し自然の中で生きることを是とする。


だからこそ不思議なのだ。


あなたは、何を思ってその本を作ったのか。大陸を焼くほど、ある時代においては人間たちを憎んでいたはずのあなたが、エルフには必要のない陣を編む方法を生み出し人の世に広めた理由。それが知りたい。


「どうしてその本を書いたのか、教えて。それを教えてくれたら、私も答える」

「もう、魔法を教えてほしいとは言わないか」


シャイロックは私が九歳だった時のことを言っているのだとすぐにわかった。あの時の私は、少し難しい魔法にも挑戦できるようになってきていて、とにかく新しい魔法を覚えることに夢中だった。


『シャイロック!私に魔法をおしえて!』


あの時の私は、シャイロックに何度も何度もお願いした。でも、シャイロックは心底嫌そうな表情をしてこう言った。


『身の程をわきまえろ』


あの時の私はそれでも諦めきれず、しつこく付き纏ってお願いしたものだが、シャイロックは結局なにも教えてくれなかった。


「もう学んだもの。あなたは私に魔法を教える気がないって。それで、どうなの?」


青白い小精霊の光が、シャイロックの鼻先をふわりと掠めた。宮殿内も天井は所々崩れ、月明かりが差し込んでいるため、その姿はしっかり見ることができる。足を止めたシャイロックが、ゆるりとこちらを見た。


まじまじと見つめられ、フィリエはかっと頬が熱くなるのを感じた。こんなに至近距離で顔を見たのは初めてだった。それに、前に会ったのは五年も前だ。どうしたって記憶は薄れていく。


シャイロックの手が、フィリエの頬をそっと撫でた。


「俺を知ってもお前にとって良いことは無い」

「どうして?」




「俺が、物語の悪役だから」


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