ep.1 「初めまして、小さな姫」
木漏れ日が揺れる初夏の森で、目の前の少女は一心不乱に野いちごを摘んでいた。
「いちごっいちごっ、たくさんとって〜ジャムにするのだ〜」
意気揚々ととんちきな歌を歌い、少女は小さな手を赤く染める。野いちごを摘むのはまだ不得意なようだった。少女は深い緑のローブをひらめかせながら、小さなステップを踏んでくるりと回る。
シルクのような銀髪が木漏れ日の光を浴びて輝いていた。
そして、満面の笑みの少女の瞳が俺を捉えた。
「…」
「えぇーーーーーー!!!!だれ!!?????にんげん!?????」
少女は耳をつんざくような大声で叫び、目を見開いて自分を指さす。どうやら言葉もマナーもまだまだのようだった。
「人を指差すなって教わらなかったのか?失礼だな」
男の低い声に、少女の肩がびくりと揺れる。百面相する少女を黙って見つめていれば、少女は気まずそうに視線を落とした。
「…ごめんなさい…」
しゅん、と肩を落とした少女に、男はため息をこぼす。
「お前、名前は?」
男は真顔のまま、少女を見つめ問いかける。少女はおずおずと再び顔を上げた。木漏れ日が少女の瞳に光を差し込む。
宝石のような紫色の瞳。
俺と同じ、紫の瞳。
「わたしはフィリエ。あなたは?」
「シャイロック」
「しゃいろっく…えるざにあいにきたの?」
エルザとは、少女の育ての親でありエルフの魔法使いの名だった。森の番人、妖精の国への案内人とも呼ばれている。
この森は大陸の北部全体を覆うとても広く深い森だ。そして北部の領地は森を境に、すべて妖精たちの領土となっている。妖精の領土と人間の領土、その間に位置する森の中、そこに住むのは動物たちとわずかな精霊たち、そして一人のエルフの女だけだった。
エルザと呼ばれるエルフの魔法使いは文字通りの森の番人である。迷い込んだ人間を森から出し、妖精の国を探しに入った愚か者には罰を与え、常に魔物から森を守っている。
この数百年、人間とも妖精国とも距離を置き、誰と関わるわけでもなく一人森の奥で余生を送っていると思っていたが…
それがどうだ、いつのまにか森に住む者が一人増えているではないか。
「いや、お前を見に来ただけだ。お前、いくつになった?」
「フィリエはね、あしたでよんさいなの!!」
「四年か、俺が知らないわけだ」
「しゃいろっく、わたしをみにきたの?」
「まあな。じゃ、俺は用が済んだからもう行く」
ぶっきらぼうにそう言い残し、男はひとつ指を鳴らすと跡形もなく消えてしまった。
「は!!!!!!!魔法使い!!!!!!!」
少女の目は好奇心に輝いていた。
「しゃいろっく…しゃいろっく…しゃい…ろっく」
フィリエは先ほどまで目の前にいた不思議な魔法使いの名前を忘れないよう、その名前を口ずさみながら踵を返して走り出した。
夏の初めの午後の森はなかなかに暖かい。フィリエは幼い身体を一生懸命動かして、汗びっしょりになりながら全速力で自分の住んでいる小さな家へと走った。
道を知らない人間が迷い込めば出られない、獣道すらないように見える森の中。だが森で育ったフィリエにとっては、どれだけ広くとも庭のようなもの。フィリエは立ち止まることなく走り続けた。
その姿を見つめる視線に気づくことなく…
✳︎ ✳︎ ✳︎
ダーーーン!!と大きな音を立ててドアが開く。
「おい、もっと静かに開けろといつも言ってるだろう!フィリエ」
「え…えるざ!!!……はぁ、はぁ……は……」
エルザと呼ばれた白髪のエルフの女は、小言を言いながら鍋をかき混ぜていた手を止めて振り返る。ただならぬ様子で息を切らしたフィリエに、エルザは何かあったのかと慌てて火を止めて近づいた。
「どうし」
「魔法使い!いた!!!」
「はぁ?」
「はぁ、はぁ、だからーー!!魔法使い!いたの!!!!」
こちらの心配などよそにフィリエは目を輝かせて一生懸命つたない言葉を叫ぶ。話が飲み込めないエルザは、とりあえずフィリエの身体に怪我がないことを確認して一息つく。万が一のために持たせていた防御魔法を組み込んだ魔法石も傷ひとつない。
そして気づく。
「お前、野いちごはどうした」
「えっ?」
まだ肩で息をしているフィリエが、右手に持った籠を見る。
「ええー!!!!なんでないの!????」
「ちょっとボリューム落としてくれ。こっちが聞いてるんだよ」
「あいつにとられた!!!」
「あいつ?」
「あいつ…くろいかみの、魔法使い!!」
実際はフィリエが野いちごのことなどお構いなしに全力疾走したがゆえに、全て森に落として来ただけだった。しかし、フィリエにとっては突然消えた以外のなんでもない。
絶対にあいつがとったんだ!!じゃなきゃ一個もないなんておかしい!!!と、フィリエは心の中で憤慨する。
消えた野いちごにショックを受けるフィリエとは違い、フィリエの言葉を聞いたエルザの表情は一変していた。
「黒い髪の魔法使い?誰か森にいたのか」
でも私の結界には反応はなかった……なぜだ?
エルザは小さく呟きながら探知魔法を展開する。
「ちがうよ!えるふ!えるざとおなじ耳だったよ!」
その言葉を聞いたエルザは、勢いよくフィリエの肩を掴んだ。
「エルフだと!?見間違えじゃないのか!?」
「なんかね、なんかね、野いちごとってたら、うしろにいてね…」
エルザのただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、フィリエの声が小さくなっていく。
「えっと…えっと…」
「何かされたのか?何を話した」
「えっと、指さしたら怒られて…それでね、名前、聞かれて、あといくつになった?って」
「それから?」
「それから…えっと…お兄ちゃんに名前を聞いて」
「そいつはなんて?」
「シャイロックって」
エルザの手に力が入り、フィリエが少し身じろぎする。
「すまない、痛かったな」
「ううん、大丈夫。えるざ、お兄ちゃんのこと知ってる?」
フィリエの肩を優しく撫でて、エルザはフィリエの紫の瞳をじっと見つめる。
探知魔法に、フィリエがいたであろう野いちごのあるあたりに微かな魔力の痕跡があるのを確認した。この千年、全くもって表舞台に顔を出さなかった男が、今日この森にいた。
「黒い長髪の、魔法使いのエルフ。瞳の色は、お前と同じ紫だ」
「そう!でも、えるざにあいにきたの?って聞いたら、ちがうって。わたしをみにきたって言ってた」
森の中、この四年間隠すように育てて来た。この先もこの森で、この少女の成長を見守りながら二人で暮らしていけたらどんなに穏やかで幸せだろうと考える。
だが、それは私にとっての幸せだ。
エルザの瞳が揺れる。
生まれたばかりのこの子を預かった日からずっと、私は悩み続けている。私には森を守る役目がある。ましてや私は、人にとっては悠久の時を生きるエルフ。この子はただの人間だ。手元に置くには、あまりに人の生は短い。
人の世に身を置けば多くの人と出会い、誰かと寄り添うこともあるだろう。それにこの子には、この子にしかない役目があるだろう。
私に役目があるように。
手放す日が来るのなら、生きる術を与えなければ。人の成長は早い。きっと私にとってそれは瞬きのように短い時間だ。今日、シャイロックがわざわざこの子に会いに来たということは、やはりフィリエは特別なのだろう。
彼にとって、この時代にとって、あるいは……
「紫色の瞳を持つ者は、歴史上にも数える程度しかいない。それはとても強い魔力を持つ者の象徴にもなっている」
「そうなの?わたしのまりょくもきょうりょく?」
「いや、お前は珍しく平凡だ」
「えぇ…」
フィリエは嫌そうに眉間に皺を寄せてみせる。
「お前はまだ幼いから、こらから強くなるかもしれない。それはそうとして、紫色の瞳をもつエルフで黒髪の男は、この大陸史をどれほど遡ってもたった一人しかいない。
名はシャイロック
それは唯一無二の魔王の名前だ」




