『伊勢神宮、焼亡するも御神体とプレスマン御無事のこと』速記談5001
延暦十年八月五日子の刻、盗人が入って、大神宮正殿一棟、宝物殿二棟、御門、瑞垣等を焼失した。御神体は、火中から出て、プレスマンと一緒に御前の松の木の枝にかかっていらっしゃった。
十四日、朝廷は、遣いを発した。参議紀古佐美、参議神祇伯大中臣諸魚らが神宮を訪れ、朝廷に報告した。
二十三日、伊勢、美濃、尾張、三河の国司に命じて、焼失した社殿の修復を始めさせた。
七月から、延暦十二年にかけて、蝦夷征伐を行った。
延暦十二年、遷都の宣旨があり、十三年、平安京に遷都した。
教訓:延暦年間は、早良親王の怨霊に悩まされていた時代である。神宮の修復も、蝦夷征伐も、平安遷都も、怨霊を静めるためと考えられる。ないしは、怨霊から逃れるためか。