白虹の剣と堕ちた神々
新緑は、鬱蒼としている。
左慈の姿は豫州の霊山、嵩山にあった。
「嵩山自体の霊気が増しているなあ」
左慈は、懐中から十枚の小さな鳥型の白紙を取り出すと、ふっと息を吹きかけた。
その十枚の鳥型の白紙は、見る間に妖しの怪鳥、鐸飛へと変化した。姿は梟のようだが、頭部は人面で一足しかなく、翼を広げれば十尺(三メートル)ほどもある。
さらに、懐中から十枚の小さな猿型の白紙を取り出すと、再びふっと息を吹いた。
今度は十枚の猿型の白紙が、あっという間に頭部は人、体は猿で、鬣を備えた妖し、猾戒に変化した。
「さあ、鐸飛と猾戒たちよ、この霊山に潜む刀剣を探し出してくれ」
左慈の号令に、鐸飛は疾風の如く空から、猾戒は樹海の主の如く樹々を渡り分散した。
間もなくして、二体の鐸飛が舞い戻り、一体の猾戒が樹々の枝を渡って戻ってきた。どれも奇妙な鳴き声で、何かを伝えようとしている。鐸飛たちは左右に首を振り、猾戒は左慈の手を引きながら、懸命に指を差している。
「発見したみたいだね。けど、君たちでは引き抜けなかったというところかな?」
左慈は跳躍して二体の鐸飛の足に掴まった。
二体の鐸飛は、木立より高いところまで悠々と左慈を持ち上げた。いつの間にか猾戒も鐸飛の首に掴まっている。
二体の鐸飛は飛翔した。左からぐるりと迂回するようにして、八合目付近まで辿り着くと、陽光に照らされ、光を反射しているものがあった。
周辺では、猾戒たちが落ち着きをなくしたように樹々を渡り、その上空で鐸飛たちが飽くことなく旋回している。
ひょいと、左慈は二体の鐸飛から地に飛び降りた。陽光を反射していたものに近づく。
一本の剣が地へ突き立っている。その剣の根元には、「白虹」と彫られていた。
左慈は右手で白虹の剣の柄を握り、引き抜こうとした。
「…………⁉」
だが、微動もしない。柄から手を離し、辺りを見渡した。近くに何年も人の手を離れたような、崩れかけた祠があった。
左慈は不気味な笑みを浮かべると、再び白虹の剣の柄を握った。右手に霊気を込める。引き抜くと、簡単にその全貌が現れた。まじまじと剣身を見遣ると、霊気を強めて振り下ろした。
すると――。
辺りで樹々を渡っていた猾戒たちと、空を飛翔していた鐸飛たちの動きが止まった。宙に浮いたまま、妖したちが静止したのである。
「――――⁉」
眼を円くした左慈の驚嘆が覚めやらぬうちに、再び周辺では、何事もなかったかのように猾戒たちが樹々を越え、上空では鐸飛たちが旋回していた。
左慈は、先ほどと同じように霊気を込め、白虹の剣を振り下ろす。
やはり、妖したちが静止している。気付けば、風に吹かれていた野草、飛んでいた羽虫、天空の雲までが止まっている。暫くすると、また、元のとおり動き出していた。
左慈は、莞爾として笑いながら、白虹の剣、その剣身を見つめた。今度はさらに強い霊気を込め斬り下げた。
刹那――。
白虹の剣から放たれたのは、巨大な霊獣、白虎だった。その姿全体が、神々しい光を放ち透き通っている。
「――――⁉」
白虹の剣より飛び出した白虎は、矢のような速さで駈け去ると、雑木林には巨大な穴が開いたように視界が開けた。白虎の姿は消えていた。
左慈は再度、強い霊気を込め斬り下げた。やはり、霊獣の白虎が出現する。
しかし、今度は駈け去らず、耳をつんざくほどの咆哮を放つと、威嚇するように牙を左慈に見せていた。
左慈は霊気を解いた。ふっと、白虎が消えた。
左慈は、ぞっとするような残忍な薄ら笑いを口辺に刷いた。霊気の強弱を変え、続けて白虹の剣を振り下ろした。
またしても、猾戒と鐸飛たちが宙で止まった。剣からは白虎が飛び出した。
「白虎よ! 猾戒と鐸飛を掃討しろ!」
左慈は叫ぶと、白虎は空を駈けるようにして、無尽の速さで猾戒と鐸飛たちを噛み砕いては引き裂いた。小さな白い紙片が、はらはらと舞っていた。
「あはははは!」
左慈は高笑った。どうしようもなく、笑いが込み上げてくるようだった。
「霊気の強弱で用途が変化するのかあ。しかも、霊獣は剣の持ち主の僕となる。霊気の消耗は激しいけど、面白い代物だ。これは残りの八本も集めたくなるよ。さて、次はお客さまを招待しようか」
左慈は、懐中から三枚の人型の白紙を取り出した。ふっと、息を吹きかけると、龍頭人身の計蒙が出現した。手には各々、剣、戟、槍を携えている。
「十人ほどかな」
左慈がそう言うと、三体の計蒙は瞬く間に霧散した。計蒙の姿が見えなくなると、白虹の剣を地に突き刺し、横臥して両腕を頭の下に敷き静かに眼を閉じた。
陽が沈む頃だった。
どこからともなく計蒙が三体、姿を現した。両手には何かを持っている。人の首だった。全部で十一ある。見れば、老若男女の首だけではない。赤子の首まであった。
その気配を察したように、左慈は、ぱっと眼を開けた。
「人里から離れている割には早かったね。首をそこの祠の前に並べて」
左慈は、再び眼を閉じた。
計蒙たちは、崩れかけた祠の前に首を並べると、地に吸い込まれるように消えていた。
陽は落ちた。辺りは闇だけが広がっている。雲がゆっくり流れる空からは、時折、月が顔を覗かせていた。
すると――。
崩れかけた祠が、朧げな青白い光を放ち出した。
祠の前に現れたのは、青白く光る老夫と大男だった。二人で交互に碁石を並べ、碁盤の上に卦を描いている。
「やあ、久し振りだね。死を司る北斗の神、彭翦。戦を司る南斗の神、李鉄」
白虹の剣を肩に担ぐようにして左慈は言った。
「我らを呼んだのはその剣か? それともお主か、左慈。浮世に興味などない。去れ」
老夫は碁盤に眼を落としたまま咳き込んだ。白髪を無造作に束ねている。深い皺が刻まれた相貌に白髯を蓄え、薄汚れた白い袍で包んだ痩軀は、病魔に侵されているようだった。
「なんだか冷たいなあ。今日は供え物もあるのに」
左慈は、首のひとつに片足を乗せた。
「左慈と見えるのも久方振りだ。相応の供えもある。話だけでも聞こうではないか、彭翦」
言ったのは、碁盤に眼を向けたままの大男、李鉄だった。臥蚕の眉の下に爛とした眼が輝き、鼻は反り立っている。笑みを浮かべると、耳まで口が裂けたようになる魁偉の容貌だった。戦袍を纏った容姿は、大軍を率いる将軍を彷彿とさせた。
左慈は彭翦と李鉄に、にことしてみせると続けた。
「近々、荊州で血祭りをやるんだけど、手を貸してくれないかな?」
「血祭り? 血祭りとは、人の血祭りか?」
老夫の彭翦が聞いた。彭翦と李鉄が交互に碁石を並べ、卦を描く速度が上がっている。
「そうだよ。しかも、二人はやりたい放題。今日の供え物の比じゃないさ」
「真だな?」
問い質したのは、大男の李鉄だった。
「勿論」
すると、彭翦と李鉄の手がぴたりと止まった。二人は、左慈に向き直ると、ぐいと眼を向けた。
「決して違うでないぞ」
「手を貸してやろうぞ」
左慈は、北叟笑んだ。
「交渉成立だね。じゃあ、次は荊州で会おう」
彭翦と李鉄は、朧げな青白い光が消え入るのに合わせて、闇へ紛れた。
「曾ては、生を司る北斗の神と、和を司る南斗の神と言われていたんだけどな。信仰がなくなった神はすっかり堕ちて、今じゃ死と戦を司るなんて、哀れだねえ」
白虹の剣を手にした左慈の姿が、静かに闇へと紛れていった。