左慈の目論見
曹操は左慈に邸を与えていた。
城から戻った左慈が自邸に足を踏み入れると、一室には、既に二人がいつもの位置に座していた。
左慈は上座に腰を下ろした。
「ご苦労だったね、王表。あの許褚とかいう用心棒には、悟られていなかったけど、さすがは曹操、気付いていたね」
「申し訳ございませぬ」
青い頭巾を被り、目尻に深い皺を走らせ、顎先に三寸ほどの白髯を蓄えた初老の細身が深々と頭を垂れた。左慈に金銭で雇われている腕利きの探者、王表だった。
王表は探者の一味、その頭領だったが、その一味がどれほどの規模なのか左慈も知らなかった。
「そんなことないよ。あの人、まったく隙がないんだよね」
左慈は嘆息して項垂れた。
「あら、左慈さん、元気を出して。私たちを集めたということは、何か曹操さんに依頼されたのでしょう?」
艶やかな声音で嫣然と微笑んだのは、豪奢な着物で細腰雪膚を覆った、方士の紡績だった。乙女のような仕草をすることもあれば、時折、ぞっとするほど妖艶な雰囲気を醸し出す、年齢定かならぬ美女である。
左慈とは旧知のようだが、夫婦の関係ではないようだった。いつから連れ添っているのか、王表でさえわからなかった。
「あ、そうそう。今度は王表と紡績さんにも手伝ってもらうよ」
ぱっと、左慈の表情は明るくなった。
「それで、どんな依頼なのかしら?」
浮かれ気分の紡績が身を乗り出した。その所作が、馥郁とした香りを辺りに撒いている。
「王表は聞こえていたと思うけど、まずは、呉の九刀剣の収集」
「なあんだ。宝探し?」
不満げな紡績は、退屈そうにした。
「呉の九刀剣、そのうちの八本は、方士の于吉が死の折、方術により全土へ散らしたと聞いておりまする。どこに散ったかわからぬものを、如何にして探し出すのですか?」
王表の眼光は、冷ややかだった。
「そうだよね。だけど、于吉が方術で散らしたということだから、大体察しが付くよ」
興味を失った紡績は、着物の袖で口許を隠し、欠伸をしている。
それを尻目に、左慈は笑みを浮かべて続けた。
「于吉は、八本の刀剣に霊気を込めて飛ばしている。霊気が込められたものは、より強い霊気に誘引されるから、八刀剣は各地の霊気が強いところにある筈だよ」
「なるほど」
「それから、遠くへ飛ばしているようだから、刀剣にも強い霊気が込められている。それだけ強い霊気だと、辿り着いた土地では、何か不可思議な現象が起きていると思う」
「不可思議な現象?」
「そう。例えば、一日で木が伸びて人型になったとか、馬が人を産んだとか、見たこともない動物を目撃したとか、そういう噂が立つ辺りの、より霊気が強いところに八刀剣が潜んでいる筈」
「そうであれば、発見しやすいかもしれませぬな。ところで左慈どの、その于吉とやらは、どのような方士だったのでございますか?」
王表の問いに、左慈は白い藤蔓の冠を載せた頭を掻きながら答えた。
「王表は探者だから知らないか。僕も対面したことはないけど、于吉は、江東を拠点に何十年も活動していた方士だよ。主に術が施された符水を使って、民草の病気や怪我を治療していたというから、よほど善良で私欲のない方士だったみたいだね」
「左様でございますか……」
「それを孫策は、あっさり殺してしまったのだから愉快だよね。于吉の見た目は老人だったそうだから、不老の術を習得していなかったのか、もしくは、何十年も霊気を蓄えていたことになるね。不死の術の心得があれば、今もどこかで生きているはずだけど」
「ほう」
興味を抱いたように、王表は感嘆の声を上げた。
「八本もの刀剣を一度に全土へ散らしたということは、多分、普段から不老の術なんか使わないで、長い間蓄積していた霊気を一気に放出させたと思う。ちなみに、僕と紡績さんは、常に不老の術を使っている。紡績さんはいつも綺麗だよねえ」
綺麗という言葉に反応したように、紡績は嬉しそうに微笑した。
左慈は王表に、にこと微笑むと、その紡績に視線を移した。
「もうひとつの依頼の方だけど」
「何? 何?」
瞳を輝かせた紡績は、再び身を乗り出した。ふわりとした芳香が漂った。
「荊州、劉表の撹乱ってとこだね」
「そっちの方がおもしろそう!」
紡績が乙女のような瞳を左慈に向けた。
「曹操は河北の袁紹と決戦するみたい。曹操の後方には、揚州の孫権と荊州の劉表がいるよね?」
王表と紡績が頷く。
「揚州の方は、君主だった孫策が死んで間もないから、しばらくは曹操の背後を狙わない。問題は荊州の劉表だけど、今は曹操の背後を衝く様子はない。けど、いつ気が変わるかわからない。袁紹もしつこく誘っているようだしね」
王表と紡績がふむふむと聞いている。
「曹操の意図としては、劉表を荊州に釘付けにしろってことみたい。だから、荊州内部を撹乱」
「して、左慈さま、具体な方策は?」
王表が冷めた視線で聞いた。
「王表は荊州に入って、刀剣を探しながら劉表の動向を調べて。劉表のところといえば、黄射とかいう奴がいたな……」
「承知」
「私は? 私は?」
瞳を輝かせた紡績が、乙女のように問い掛けた。
「紡績さんは、青州辺りで刀剣を探し出してから、荊州に入ってもらおうかな」
「あら? 随分と私を遠くへ遣るのね?」
膨れた紡績がそっぽを向いた。
「最近の青州方面の絹織物は、当世随一なんだって。ついでに調達してくると良いよ」
「素敵!」
たちまち機嫌を戻した紡績は、満面の笑みだった。
「僕は近くの嵩山に寄ってから荊州に入るよ」
「では」
王表は音もなく部屋から出て行った。部屋を出た途端、気配は消えていた。
「じゃあ、左慈さん、私も行くわ」
左慈は破顔した。
紡績の姿は、色彩が薄くなるようにして消えていた。
「さてと、荊州ではどうやって遊ぼうかなあ」
独り言ちた左慈に、残忍な笑みが浮いていた。