介象、再び
阿亮の霊魂が乗り移った黄祖の顔色は、悪かった。地に膝を突き、肩で息をしている。
辟邪の剣を掲げているのが、于吉に代わっていた。
方円の陣、その全体を覆う薄い膜の規模が小さくなっている。
「私も、そろそろ限界か……」
襲い来る錦帆賊と息壌の群れに抗うように、方円の陣から幾つかの集団が打って出ていた。
配下を率いた鄧龍と陳就も、本陣を襲う群れに抗しようと力戦している。
「手前等、何としても黄祖の首を獲れ!」
鬼のような形相の甘寧が声を荒げた。
甘寧の檄に、錦帆賊の輩は斬られても倒れず、死霊の如く蘇るようだった。
甘寧が剣を振るたびに首が飛び、妖しの息壌が地から湧く。
横から走る一閃を、甘寧は身を翻すようにして青冥の剣で受け止めた。
「何故、こんなことをする、甘寧?」
その一閃を走らせた者は、額から流れる血で顔の半分が蘇芳に塗れていた。
蘇飛だった。
甘寧は、力でねじ伏せるように、蘇飛の真上から剣を振り下ろした。
ギイイイン――。
蘇飛は、膝を突くようにして甘寧の豪剣を受け止めた。
「野望のためだ!」
甘寧は不敵に笑うと、青冥の剣に霊気を込めた。
剣より放たれた巨大な蒼い蛟が、孤を描くように宙を舞い、轟音と共に黄祖のいる方円の陣の真上に落ちた。
辟邪の剣に霊気を送る于吉の顔が、苦悶の表情に歪んだ。
白い五十騎が、蝟集する錦帆賊に突撃したようだった。
先頭の馬上で槍を繰る葛玄が、錦帆の徒と息壌に次々と槍風を浴びせている。
突如、飛ぶようにして葛玄の眼前に現れたのは、武装した龍頭人身だった。手にした槍で葛玄の顔に突きを放った。
葛玄は、仰け反ると同時に己が槍の柄で、突きの軌道を変えるように防ぐと、白翊の馬上より落馬した。
「葛玄どの――⁉」
辺りに胡綜の声が響いた。
葛玄の落馬を狙っていたように、計蒙は槍を逆手に葛玄を突き刺そうと跳ねた。
葛玄は地を転がるようにして、間一髪それを躱すと、飛び起きて槍を頭上で旋回させた。
計蒙も頭上で槍を旋回させると、葛玄の動きを見定めるようにゆっくりと右に動いた。
次の瞬間、槍の計蒙は葛玄に突進すると、斬り上げ、横薙ぎ、その薙ぎを返しては斬り下げた。
葛玄は、斬り上げを横に躱すと同時に間合いを詰め、横薙ぎを槍の柄で受け止めると、斬り下げられるよりも早く、下から上へ閃光を走らせた。
計蒙の動きが、ぴたと止まった。その姿が消え入ると、地には人の形をした小さな白紙が落ちた。
リーン――。
「なかなかやるじゃねえか」
葛玄はその声の主に眼を向けた。
甘寧だった。
足元には、蘇飛がうつ伏せに倒れている。薄気味の悪い笑みを浮かべながら、甘寧はずんずんと歩み寄った。
葛玄は、きっと睨み返すと、颯の如く馳せて間合いを詰めた。
太刀風が葛玄の頬を掠めた。身を躱しながら、胴に穿突を繰り出す。
刹那――。
甘寧の胴から、巨大な蒼色に輝く大口を開けた蛟が飛び出した。
葛玄は、咄嗟に防御の体勢を取ったが、蛟に咥えられた葛玄の躰は、飛翔するような蛟によって、虚空へ運ばれそうになった。
葛玄は、防御を強く意識しただけだった。
躰を咥えた蛟の顎が、少し緩んだようだった。蛟に抗うように、葛玄は槍を遮二無二振るった。蛟が薄くなって消えると、葛玄は片膝を突くように着地した。
「へえ」
甘寧が青冥の剣を肩に乗せるようにして、感嘆の声を上げた刹那だった。
大きな黒い影が、陽の光を塞いだようだった。
甘寧は、咄嗟に虚空へ浮かぶ黒い影に蛟を放った。
「――――⁉」
ふっと、消えたのは、蛟だった。代わりに、影より短矛の一閃と共に甘寧の頭上へ舞い降りたのは、姚光だった。
ギイイイン――。
甘寧は、青冥の剣を頭上へ翳すようにして姚光の一閃を凌いだ。
着地すると同時に、姚光は身を翻して後方へ下がった。
「姚光――‼」
葛玄の眼に光が宿ったようだった。その顔には笑みが浮かんでいる。
「おっ父、ただいま」
気付けば、辺りからは息壌の姿が消えている。
甘寧の鋭い視線は、黒い影の主に注がれていた。
介象だった。
五花より跳躍すると、介象は甘寧の前に着地した。眉間尺を抜き放ち、切っ先を地に向け仁王立っている。
「おっ死んだんじゃねえのかよ、介象さん?」
顔を引き攣らせた甘寧が質した。
「俺に、死というものはない」
「また変な方術というやつか……?」
介象は、微笑んだ。
青冥の剣に霊気を込めた甘寧は、その微笑みに向け蛟を放ち、地へ息壌を呼び込んだ。
「――――⁉」
何も起こらなかった。
石が輝きを増していた。姚光が屈盧の矛を縦に旋回させている。
「ど、どういうことだ……?」
眼前の事態に、怪訝の色を浮かべたのは葛玄だった。
「世に唯ひとつ、方術によるあらゆる現象を無効にする武器が存在する」
介象は、姚光に眼を向けた。
「持ち主のみならず、周囲全ての方術、その効力を消す。これにより、勝敗を決するは純粋な武威。故に、霊気と武の才を併せ持つ者を持ち主に選ぶ。それが、屈盧の矛」
「じゃあ、これはもう、只の鈍同然か」
甘寧は青冥の剣を投げ捨てると、背負っていた鎌のような短戟を二本引き抜いた。眼前の強敵を倒したいという衝動が、甘寧を動かした。
甘寧は介象に向かって怒涛の勢いで馳せると、短戟を十字にして天高く跳んだ。二本の短戟を、左右から鎌のようにして介象の首へ走らせた。
介象は身を屈めると、甘寧と虚空で馳せ違うように飛び跳ねた。神速の眉間尺が甘寧の胴を薙ぎ払った。
「お、お頭――⁉」
蘇飛の兵と小競り合いをしていた錦帆賊の無頼漢たちは、甘寧の異変に気付くと、挙ってその動きを止めていた。
「……何処で、間違えた?」
リーン――。
甘寧の鈴が、鳴ったようだった。
「……母上……俺は、何者にも……なることが……できませんでした……」
甘寧から力が抜けたようになると、地に両膝を突いた。
その反動で、裂けた腹からは大量の鮮血と臓物が溢れ出した。
甘寧は前のめりに頽れると、動かなくなった。
既に、錦帆賊の半数以上がこの世を去っていた。それを甘寧が追うようだった。
「お頭……」
残った錦帆賊の輩は、力が抜けたように手から武器が滑り落ちると、その場にへたり込んだ。
介象はもう一本、剣を抜いた。莫邪の剣だった。灰褐色に輝く玄武が放たれると、甘寧に覆い被さった。




