巻き返しの勇士
騎馬隊の後方からは、文聘が率いた歩兵団が駈けていた。
随県より船で溳水を下った歩兵団は、元緒と瞿恭が率いる賊徒の隊を溳水と漢水が合流する地点の草叢へ埋伏させ、文聘が率いる里の義勇兵たちは、葛玄が率いる騎馬隊の渡河を支援していた。
お互いの位置や作戦は、介象が放った九尾狐と金烏が情報を運び、先行した騎馬隊と船での移動を選択した歩兵団を繋いでいた。
「おいおい、何だよあのでかい鳥は? それにしても、陸の方は寂しくなったな」
部下を引き連れた全身水浸しの甘寧は、青冥の剣を抜き放つと虚空で斬り下げた。
原野からは幾体もの息壌が湧いて出た。
「姚光は黄祖を討ったのか? 王表は?」
甘寧は周囲の無頼漢を見渡した。互いに顔を見合わせるばかりで、誰も二人の同行を知らなかった。
互いの水軍は、突如現れた巨大な怪鳥のせいで壊滅状態だった。
「……蘇飛のところだな?」
リーン、リーン――。
甘寧は眼を据えると、混乱する蘇飛軍へ歩を進めた。
川より上がった錦帆賊の輩は、続々と集まると甘寧に続いた。
葛玄が率いる五十騎は、蘇飛軍を目指した。
突如、地より出現した息壌を突いては斬って駒を駈った。
息壌が現れるということは、近くに甘寧がいるということだった。
蘇飛軍の負傷兵が、忽ち回復している。その負傷兵の傷口には、どれも符水に浸された護符が貼られ、再び戦場に戻ることができていた。
負傷兵の治療に当たっていたのは、阿亮に結界を張った若者だった。
「傷は即刻治るが、死人を蘇らせることはできないよ」
蘇飛軍の兵は有り難がると、再び戦場の人となった。
そこへ――。
突如、這う這うの体で現れたのは、甲冑を脱ぎ捨て、全身水浸しの戦袍を纏った黄祖だった。腰には一振りの剣を佩びている。
その黄祖に肩を貸していたのは、これも全身水浸しの白い道袍を纏い、短矛を手にした姚光だった。
「こ、黄祖さま――⁉」
頭上に盾を翳して、兵たちが駈け寄った。
聞きつけた蘇飛も慌てた様子で姿を現した。
「よくぞ、御無事で。お怪我はございませぬか、黄祖さま?」
「私のことは、どうぞ構わず。それより、至急、方円の陣を組んでください。負傷兵はその中央へ」
怪訝な顔を晒したのは蘇飛だった。
普段とは異なる黄祖の言葉使いだった。僅かな間に、人格が変わったようでもあった。
はっとなった蘇飛は、直ちに下知した。
「じゃあ、行ってくるよ、阿亮」
「うむ。終わったら、皆で帰ろう」
黄祖は涼やかな笑みを浮かべると、姚光はひとつ頷き、地から湧く息壌を斬り捨てながら原野に駈け出した。
黄祖は姚光の背を見届けると、盾を頭上に翳し、整然と方円の陣を組んだ蘇飛軍に身を投じた。まだ治療の行き届いていない負傷兵のいる中央まで身を移すと、辟邪の剣を抜き放ち、霊気を込めた。
すると――。
薄い膜のようなものが、方円の陣全体を覆っていた。次々と地から湧く息壌が中に入って来られない。空から降る剣の雨も弾き返していた。
「こ、黄祖さま――⁉」
剣を高く掲げる黄祖に、蘇飛は驚きの表情を晒した。
「へえ、九刀剣の辟邪だね。邪悪を払う能力か。確か、宿したのは獬だったかな?」
負傷兵に護符を貼っていた若者が、黄祖の剣を見上げた。
その若者こそ、于吉だった。
蘇飛軍は、本陣を守っていた兵と負傷兵で方円の陣を組んでいたが、原野にはまだ兵を率い、妖しと奮戦していた隊があった。
援けが間に合わなかった負傷兵が、息壌に喰われている。
二百ほどの兵を従えた陳就は、負傷兵を援けながら、次々と地から湧く息壌を斬り捨て、本陣に撤退を試みていた。
「やっぱり蘇飛の兵は弱えなあ!」
何処かで聞いたことのある声だった。
陳就は辺りに眼を凝らすと、息を詰まらせた。
その声の主は顔色さえ悪かったが、確かに見覚えがあった。慈悲を請う兵に、迷わず長槍で突いている張虎だった。
躰が勝手に反応したようだった。孤軍で張虎に馳せ寄ると、得物の豪槍で張虎を斬り下げた。
ガギイイン――。
振り返り様の張虎が、長槍を横にして陳就の一撃を防いだ。
「誰かと思えば、陳就じゃねえか。お前を殺しに、冥府から舞い戻ったぜ!」
張虎は力で陳就の槍を跳ね返すと、長槍の穿突を陳就の胴目掛けて放った。
その突きは、身を反らした陳就の脇腹を掠めた。
刹那――。
陳就が救った負傷兵の三人が、張虎の左右と後ろから得物の剣で胴を貫いた。
「て、手前等――⁉」
張虎を刺した負傷兵は、以前はどれも江夏衆だった。
陳就は、迷うことなく豪槍の一閃を張虎の首に放った。
張虎の首が宙を踊った。
血は出なかった。首が地に落ちる前に、張虎の姿は消えていた。
百ほどの騎馬を従え、鄧龍は原野の各地で集団を作り、妖しに応戦する兵の救援に奔走していた。
そこへ――。
土から湧く息壌の影に隠れるようにして、短い矢を放っている者がいた。何処かで見たことがあるような武器だった。
気付いた鄧龍は驚愕した。血色は良くないが、紛れもない陳生だった。
鄧龍は単騎、陳生に駒を翻した。
息壌を截頭の薙刀で斬り伏せながら、馳せ寄る一騎に気付いた陳生は、慌てた様子で右腕に備え付けられた弩を鄧龍に向けた。
「此処は、冥府ではないぞ、陳生――‼」
叫んだ鄧龍は陳生と馳せ違い様、横一線に截頭の薙刀を走らせた。
恐怖に慄いたような顔の陳生の首が、虚空を翻っていた。それが地に落ちる前に、陳生は消滅していた。
「あれ? 何だか向こうの負傷兵、回復してない?」
左慈は訝ると、ふっと姿が消えていた。
その後方から駈けて来たのは、葛玄が率いる五十騎だった。




