大方士、于吉
「では、彼の者が神聖なる方士か、邪教の徒か、雨を祈らせてみるのは如何でしょう?」
孫権は、聡明そうな瞳を于吉へ向けると続けた。
「丁度この頃は、初夏のような日照りが続き、田畑に水が不足しております。群民の中で、彼の者に雨乞いの念を唱えさせ、仮にも雨が降れば助命し、降らなければ首を刎ねることにすれば、民草も納得しましょう」
孫策は、微笑を浮かべた。
「さすがは我が弟。おもしろい。いいだろう」
すぐさま、孫策は近侍たちに命じた。
「急ぎ市中に祭壇を設けよ。こいつの正体を暴いてやる!」
激高する孫策の指示に、顔色を変えて急務の対応を見せた臣下たちにより、市街の広場には忽ちのうちに壇が築かれた。
その間、広場に解き放たれた于吉は、よよと泣き崩れる五人の巫女たちを諭すように慰めていた。己の天命を悟ったのか、巫女たちの耳元で囁くように伝言すると、誰かを探すように辺りの人垣を見回していた。
群集の人垣から、遠目に于吉を眺めていた介象は、急拵えの祭壇と于吉を見比べた。
「于吉の奴、何か無理難題でも命じられたか?」
「どうかのう。英布の子の命脈は、もう消え入りそうだがのう」
元緒が欠伸をしながら介象に返した。
すると――。
孫策の近侍がひとり、祭壇の下へ駈け寄ると、高らかに口上したのである。
「今から未の刻までに雨を降らせよ! 雨が降らないとなれば、その首を刎ねる!」
于吉は痩軀を藜の杖に預けながら、ゆっくりと祭壇に向かった。壇の下まで来ると眼を閉じ、何やら静かに唱え始めた。
涙で頬を濡らした五人の巫女も、拝みながら于吉を見守っている。
かんかん照りだった。烈々たる陽射しは、于吉を容赦なく冥途へ誘うようだった。
「雨乞いか? この満天で念を唱えるのであれば、三日は掛かるであろう」
介象に続いて、元緒が言った。
「あの于吉じゃぞ。それくらいのことは承知であろうよ」
雨は一滴も降らない。未の刻はすぐそこまで近づいていた。
楼台の欄干で大杯を呷りながら、愉快げに広場を眺めていたのは、孫策だった。
「さあ、もうすぐ化けの皮が剥がれるぞ。使者どのもこちらへ参り、妖邪が滅するのを傍観してはいかがか?」
残忍な薄ら笑いを浮かべながら、振り返った孫策の眼は血走っていた。
それに恐怖の念を抱いた陳震は、恭しい態度を装った。
「ざ、戯事に興味はございませぬ。余興が終わるまで、呉の銘酒を楽しんでおりましょう」
孫権に酒を注がせ、陳震は作り笑いを返してみせた。
遂に、陽時計を管理する兵士が鐘台へ駈け上がると、時刻を知らせる鐘を打とうとした。
そのとき――。
于吉は、懐中から三枚の人型をした小さな白紙を取り出した。ふっと息を吹きかけた刹那、小さな白紙は形を変え、突如として現れたのは、三体の龍頭人身の妖し、計蒙だった。どれも芭蕉扇を携えている。
「――――⁉」
予想だにしていなかった事態に、孫策は眼を円くすると、その手からは杯が滑り落ちていた。次の瞬間、孫策は跳ねるように楼台を駈け降りていった。
「兄上――⁉」
孫策の挙動に驚いた孫権も、陳震の接待を放棄してその後を追った。
時が止まったように、静寂が人々の群れを包んだ。
于吉を囲んだ三体の計蒙は、天に向けて芭蕉扇をゆっくりと扇ぎだした。一扇、また一扇、その動作は次第に速くなる。
すると、である。
計蒙たちの頭上に黒気が立ち昇ると、漆黒の墨のようになり、天へ飛揚していった。見る間に天は黒雲に覆われた。
「それだ」
介象が微笑を浮かべた。
天の一角で雷が鳴った。電光が走ると、また鳴った。ぽつ、ぽつ――と、弾けたような形で大粒の雨が地の色を変えたと思えば、次第に大粒の雨の勢いは増し、間もなく盆を反したような大雷雨となった。
「万歳! 万歳! 大方士、于吉さま!」
「神仙、于吉さま! 万歳! 万歳!」
人々の群れから溢れ出た声は、次第に大きくなると、やがて大音声の連呼となった。
「おい、韓当! あの龍頭人身が殿を襲った刺客に違いない! あの妖しを捕らえるぞ! 衛兵よ、我らに続け!」
眼の色を復讐の色に変え、声を荒げたのは程普だった。
群衆の中にあった程普と韓当は、兵卒たちを引き連れ、人々の垣根を掻き分けるようにして、急ぎ祭壇の下へと向かった。