鄷玖と左慈の接点
霊山の麓に、再び樹海が出現したようだった。
「結界は敷き直したよ。これで元のとおり」
里にある鄷玖の草庵――。
阿亮と草庵に戻った鄷玖は、庭に集った者たちへ告げた。
里へ帰った鄷玖と阿亮の姿に、里の者たちは安堵の表情を浮かべたが、訃報に触れた若者たちの家族は、慟哭して悲嘆した。加えて、姚光が行方知れずとなったことを知ると、里の者は拍車を掛けて意気消沈した。
縮地の術で里へ戻った介象たちは、事態の整理とこれからの指針の検討に入ろうとしていた。
庭に銘々腰を下ろしていたのは、肩に元緒を乗せた介象、瞑目した胡綜、眉間に皺を寄せた葛玄と文聘だった。
庭の隅には、後ろ手に縄を縛られた賊徒の瞿恭が、太々しい面持ちで静かに胡座している。
そこへ、鄷玖と阿亮が結界を張り直して戻ってきたところだった。
「挨拶が遅れましたね。お久しゅうございます、介象さま、元緒さま」
微笑を湛えて言った鄷玖に、介象と元緒は一瞬、放心したようになったが、介象は合点がいくと、はっとなった。
「梁冀に仕えていた、あの鄷玖か――?」
鄷玖は、にことして笑みを返した。
「ほう! あの娘方士だったか。気付かんかったわい」
元緒も思い出したようだった。
これより五十年ほど前――。
梁冀とは、順帝の皇后、梁氏の兄、言わば外戚である。
順帝が崩御すると、大将軍の地位にあった梁冀は、八歳の幼帝、質帝を即位させ、政治の主導権を握り権勢を振るった。
幼いながらも聡明だった質帝は、梁冀を跋扈将軍と呼称し、これを御しがたい帝と見た梁冀は、質帝を毒殺する。
梁冀は、新たに桓帝を即位させると、梁氏の妹を皇后に立て、宮殿内での武器携帯、帝同等の歩き方、帝へ自ら名を告げなくてもよいという特別待遇を得るに至った。
太后と皇后の梁氏が死去すると、これを契機に桓帝は宦官と謀って梁冀一派を捕縛、兵を動員して梁冀の邸宅を取り囲むと、妻子共々自害へと追い込んだ。
没収された梁冀の財産は、国家の租税の半分、連座して死刑となった高官数十、免職になった者約三百、朝廷は一時空前となった。
国の政がこれでは、民が不満を抱くのも至極当然のことだった。
この後、民の不満が爆発したように、黄巾の乱が勃発することになるのだが、発端は跋扈将軍、梁冀に起因していると言っても過言ではない。
その梁冀に召抱えられていた方士が、鄷玖だった。
「介象さまも元緒さまも、あの頃と変わりませんこと」
「老いたな、鄷玖。考えあっての老いだろうが、当世では力量ある方士の一人。あれからどうしていた?」
介象は鄷玖へ懐かしそうな眼を向け、身を乗り出して聞いた。
「梁冀の悪政は民を虐げました。方術ではどうにもならず、幾度も説得を試みました。それも虚しく、遂にはこの身にも危害が及ぶことを知り、朝廷から出奔いたしました」
「それでこの里か」
鄷玖はこくりと頷くと続けた。
「政で民が安寧に暮らせる世を創ることは困難なものと悟りました。故に、方術による治世を模索しました。辿り着いたのが、この里、結界による安寧の地でございます」
「しかし、世の全てに結界を張ることはできまいて?」
元緒が質すと、真摯な瞳を向けて鄷玖は返した。
「はい。人の中には、性悪の者がおります。あの梁冀のように……」
葛玄と文聘も、鄷玖の話しに聞き入った。
「性悪を弾き、性善にして心折れた者を再生する里、これより始めることに至りました」
鄷玖はにこやかに微笑んだ。
「世は乱れることを繰り返す。お前が模索して辿り着いた形は、始まりにして最終なのかもしれんな、鄷玖」
「あの娘方士が、これほどまでになろうとは、好い好い」
介象と元緒の言に、鄷玖は軽く頭を下げた。
「それに引き換え、問題は左慈」
元緒が言った名に、辺りには緊張が走ったようだった。
「確か、お主と同時期に朝廷へ仕えておったのではなかったかのう?」
「はい。左慈は朝廷、帝に仕える方士として召抱えられておった者。思慮深く聡明、繰る方術も卓抜と評判の方士でございました」
鄷玖は一度その双眼を閉じると、再び見開いて続けた。
「宮廷で何度か見掛けたことはありましたが、先ほど遭遇した左慈と姿形は当時のまま。ですが、どこか雰囲気が違ったような気がいたします。今は、曹操に仕えていると耳にしたことがございますが……」
鄷玖の後方に佇立していた阿亮は、思案に耽るように瞑目した。
突如、葛玄が拳を地に叩きつけた。
「姚光は? 姚光は無事なのでございましょうか?」
「姚光は無事だ。今のところな」
落ち着き払った介象は、葛玄に向かって強く頷いた。
「孟極が左慈の動向を追っている。そして、鄷玖が姚光の行方を探っている」
介象の言に続けるように、ぼそりと文聘が言った。
「……俺は姚光を救いに行きたい」
「私も同じです」
立ち上がった胡綜が、渋面を作っていた。
「私のせいです。私が、もっとしっかりしていれば、姚光どのは攫われなかった筈……」
賊徒の瞿恭は、眉間の皺を色濃くしていた。
「それは違うな」
言ったのは介象だった。
「左慈は二本の剣を持っていた。恐らく、二本とも呉の九刀剣だろう。霊力を以って剣の能力を発動させたが、姚光には効果が発揮できなかったように見えた。その姚光に興味を抱き、連れ去ったのであろう」
「その九刀剣とは、どのような代物なのですか?」
葛玄が厳しい視線を介象に送った。
「此処にいる者には、話さねばなるまい」
一度、嘆息した介象は、九刀剣を起因とするこれまでの経緯を語り出した。




