潜入の探者、王表
「して、潘濬。此奴らのそれほどの罪は、何を以って償うべきか?」
潘濬は、不敵に顔を歪ませた。
「死、でございます」
「――――⁉」
「法とは便利なものよのう。秩序が保たれるばかりか、使い方によっては、不都合な者をも排除できるのだから」
黄祖は、静かに辟邪の剣を抜き放った。
「お、おい! 冗談だろ――⁉」
「劉表が我らを嵌めたということなの――⁉」
張虎と陳正は、揃って驚愕した。
それを意に介した様子もなく、黄祖は横に侍る黄射を一瞥した。
「黄射……」
「はっ」
「新兵はお主に預ける。襄陽から続々と江夏衆だった者らが派遣されて来る。それも編入して手懐けろ」
「ははっ」
張虎と陳生の瞳からは、生気が失せたようだった。
「法に照らし、お主らには死罪を与える。さて、辟邪の斬れ味は如何ほどか」
熊虎の軀幹が武人の所作で馳せ寄った。
走った閃光は、二つだった。
宙を舞った張虎と陳生の首が、摚っと音を立てて落ち、転がった。
鮮血に染まった黄祖は、驚愕の表情で息を飲んだ。
「まるで手応えがない。泥を斬っておるかのようじゃ」
呵々と大笑した黄祖は、辟邪に付いた血糊を拭うと、再び鞘へと収め佩いた。
「黄射」
「はっ」
「我が黄家は、代々この荊州江夏郡を基盤に栄え、今や江夏太守に至った。黄家は代を重ねる毎に、益々豪壮になってゆかねばならぬ」
「ははっ」
「儂に付いて参れ」
「はっ」
死体となった張虎と陳生には眼もくれず、黄祖は黄射を連れ、その室を後にした。
「…………」
屍と化した張虎と陳生に厳しい視線を送ると、蘇飛も鄧龍と陳就を伴って室から去った。
「誰ぞ、死体を片付けよ!」
「潘濬さま……」
潘濬が兵卒を呼ばわったのを見計らい、先程まで黄射の後ろに隠れるようにしていた王表が提案した。
「私は葬儀屋も営んでおりまする。よろしければ、死体は私が処理いたしますが……」
「……代金は後ほど請求してくれ」
これ幸いと、潘濬は王表に処理を依頼し、足早にその場から身を移していた。
王表は兵卒たちの手を借り、蘇芳に塗れた室の清掃を済ませると、荷車に遺体を積み込んだ。
茣蓙を被せられた張虎と陳生の死体は、王表に引かれて江夏城を後にした。
シャンシャン――。
この頃、甘寧を初めとする錦帆賊は、荊州江夏郡の漢津を拠点として蠢動していた。
稀に、錦帆賊への加入を希望する若者が現れることがあった。
しかし、今回希望してきた者は若くなかった。
青い頭巾を被り、目尻に深い皺を走らせた老夫である。顎先に三寸ほどの白髯を蓄えていた。歩いても足音が鳴らず、どこか身のこなしに隙がなかった。荷を積んだ荷車を曳いている。
錦帆賊の輩が、老夫の取り扱いに難儀していたところ、騎馬の甘寧が帰還してきた。
「お頭、いいところに戻ってきたな!」
「この爺さん、錦帆に入りてえんだとよ!」
無頼漢たちが叫ぶと、甘寧は気だるそうに輩が蝟集する方へ闊歩した。同時に、甘寧はその老夫を品定めした。
その佇まいと、細い眼から放たれる冷めた眼光から、即座に只者ではないことを察知した。
「で、あの荷車は何だ?」
甘寧の指摘に、ひとりの無頼漢が茣蓙をひっぺ返した。
「お、おい。こ、こりゃあ――」
その無頼漢が口許に片手を当てながら同胞を手招いた。
「何だよ。只の死体じゃねえか……って、こいつは――」
錦帆賊の輩は、荷車に積まれた遺骸を眼にすると絶句した。
「お、お頭――‼」
今度は頭領の甘寧が呼ばれていた。
甘寧は荷車まで身を移すと、その遺骸を見遣った。
首と胴が切断された二つの遺骸だった。
その死体は、腐敗が進行していない。
江夏城から此処までの道中、王表の手の者により、腐敗を遅らせる処置が施されていた。
故に、張虎と陳生のそれは、死んで間もないように見えていた。
「こりゃあ、江夏衆の張虎と陳生じゃねえですか?」
「…………」
「江夏衆は劉表に降ったと聞いていたが……」
「張虎と陳生は、将として招かれたとも聞いたぞ」
「しかし、此奴らがこうもあっさり死んじまうとはなあ……」
荷車の周りに続々と集った無頼漢たちが呟いていた。
「爺さんが殺ったのか……?」
振り返り様、甘寧は老夫に厳しい視線を投げた。
その老夫は、こくりと頷いて続けた。
「江夏太守さまから暗殺の手腕を買われ、長いこと食客として囲われておりました。その命により始末した次第」
「…………」
甘寧は何か違和感を覚えると、疑念を持った。
「江夏太守……? 黄祖か。確かに、食客を囲っているという話は耳にしたことがある。それにしても張虎と陳生を相手に無傷とはな。それに、二人の躰に傷は無く、鮮やかな一閃で葬られているようだが……。どうして此処へ来た? 何故、錦帆に加わりたい?」
「腕が落ちましてな。寄る年波には勝てませぬ。死体を捨てに漢津まで来たところ、錦帆の衆に遭遇し、儂も残る余生を自由奔放に生きてみたいと思ったまで」
「…………」
甘寧は、真贋を見抜くように再び老夫を凝視した。
「動揺しているようには見えねえな。暗殺という手段であれば、手を汚さず、二人同時に仕留めることもできるってもんか……。年は取っているが、まだ使えそうだ」
老夫は身動ぎひとつせず、静かに甘寧の答えを待っている。
「爺さん、名は?」
「王表と申す」
「ゆっくりしてきな、王表」
甘寧は王表に微笑を返すと、船の方へ踵を返した。
「王表爺。この死体、川に放っていいのか?」
「……おう。すまぬのう」
「お安い御用さ。どうせ長いこと荷車を曳いて来たんだろ? 向こうで水でも飲んで休んでるといい」
「これはこれは、忝い」
無頼漢たちへ丁寧に頭を垂れると、王表は顔を上げた。周囲に気付かれぬよう、甘寧の背に向かい北叟笑んだ。
空は日輪が眩しかった。
天だけがそれを見ていた。