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江東の小覇王、急襲さる

 今より溯ること、千八百年ほども前――。

 大陸では漢の王朝が大いに乱れ、大小の群雄勢力が覇を競う世となっていた。


 西暦二〇〇年三月――。長江の下流、その南東に位置する呉の領内では、断続的な金属音が、けたたましく鳴り響いていた。

 鉄を鍛え上げる響きは、残寒を含んだ春風に乗り、遺児たちが旧領主の大志を引き継いでいることを、領内に告げているようでもあった。


 世に江南の獅子ししうたわしめた孫堅そんけんが逝去して、九年の歳月が流れようとしている。

 その孫堅が掲げた志、中華全土の統一を祈願し、呉の鍛冶師たちに命じた事業は、よわい十九の次男、孫権そんけんが継承している。古代の全土九州を三振りの刀と六振りの剣に見立てた刀剣の製作は、遂にその完成を間近に控えていた。


 そして、亡父の遺志を継いだのが、孫策そんさくである。齢二十六の偉丈夫いじょうぶは、世に小覇王と讃えられ、朝廷より討逆将軍、並びに呉侯を封ぜられた亡き孫堅の長男であった。

 その孫策の姿は、曲阿きょくあの城内にあった。卓上に広げられた地図に眼を落としている。


 諸将たちは、孫策と一緒にその卓を取り囲んでいた。

 誰からということもなく意見が出る。集った諸将には、自由に発言する許可が与えられていた。誰かの発言をさえぎるのも良しとしている。ゆえに、軍議は常に活発だった。


 そのような折、ひとりの兵士が現れたかと思うと、桑年の幕僚に耳打ちした。

「殿」

 発したのは、孫堅の代から付き従う宿将、程普ていふだった。突如の静寂が訪れる。

「孫権さまから、九刀剣の製作が完了したとのしらせでございます」

「おお」

 諸将からは、感嘆の声が漏れた。


「孫権さまも鍛冶師たちと協力し、懸命に取り組まれておりました」

 巨軀きょく韓当かんとうが笑みを浮かべた。これも孫堅の代から仕える宿将のひとりだった。

 報を受けた孫策は、卓上の地図から眼を離すと、臣下の将士たちを見渡した。

「この折にこの報。父上も我が背を押してくれている」

 江東を平定した孫策は、黄河の中流と下流地域、つまりは、えんじょの四州が広がった中原と呼ばれる地域に打って出る機会を窺っていた。

 

 しかし、中原には曹操そうそうがいた。洛陽や長安などの首都圏、その周辺一帯を併呑へいどんし、時の帝である献帝けんていを擁護、朝廷の臣としては三公である司空の座にあり、容易に帝へ奏上できる立場にあった。

 加えて、曹操の配下は勇将と謀士に溢れ、養う兵は精強、治世の誉れと謳われる政は、民草に安寧をもたらしていると評判である。


「いずれ覇を競うは、曹操であろう」

 中原を意識すると、破顔してそう語っていた亡父を思い出す。孫策も決して曹操に劣ってはいなかった。

 孫堅の代からの旧臣と、孫策を筆頭とする若い世代の勇士が融合した臣下団は、尚武しょうぶの気風を備えている。

 平定した江南の揚州は、肥沃で豊潤な土地であり、善政を敷いた民草の気質は、利に聡く進取的であった。


 日頃から孫策は、屈強な将士を従え、愛馬の五花ごかに跨り、中原を疾駈する己の勇姿を思い描いていた。言わずもがな、視野には朝廷も入っていた。夢を抱く度にからだが熱くなった。

「本日の軍議は終了としよう。狩猟かりに出る」

「もちろん、お供しますとも」

 孫策は臣下団を引き連れ、曲阿の宮廷を後にした。孫策は狩猟を好んだ。獲物を追えば頭が澄み、射止めれば気が鎮まった。


 この日も曲阿の北に位置する丹徒たんとから深山の狩猟場に入り、五花を繰って獲物を追った。駿馬五花の飛ぶような疾走に、臣下は誰も追随できないでいた。

 孫策が追っていたのは野猪やちょだった。

 急に方向転換した野猪が、孫策に向かって猛進してくる。孫策は弓に矢をつがえ、狙いを定めた。びゅうと放つと、その矢は野猪の額に突き立った。

 野猪は、勢いのまま足が絡まるようにたおれると、びくとも動かなくなった。

 その刹那――。


 一陣の風が吹いた。

 孫策の左の太腿に、一矢が突き立っている。

 孫策は息を飲んだ。躰は人だが、頭は龍だった。孫策が前方に眼を遣ると、武装した龍頭人身のあやかしが三体いる。

 三体はそれぞれ、剣、げき、槍の得物を手に、馬上の孫策に襲い掛かった。

 孫策は咄嗟とっさに五花から跳ね飛ぶと、着地と同時に父の形見である古錠刀こじょうとうを抜き放ち、環眼かんがんをくわっとひきいた。


「貴様ら、どこの家畜だ?」

 その問いには応じず、三体の龍頭人身が次々と孫策に太刀風たちかぜを浴びせる。

 武芸に秀でた孫策は、三体に応戦するも、左の太腿には力が入らなかった。致命傷は避けているが、体には幾つかの深い斬り傷が生じている。

 眼前の三体は、寸部も違わず急所を狙うような手練てだれだった。

 孫策は意を決し、左の太腿に力を込めると、龍頭人身の凶刃をかわしながら、薙ぎ、突き、斬り上げ、神速の如き剣技を舞うように繰り出した。

 

 次の瞬間、龍頭人身の妖しは、三体とも血潮の雨を降らし斃れると、地に吸い込まれるように消えてしまった。その場には、小さな人の形をした白い紙が三枚残っていた。

 孫策は立ちすくみ、肩で息をした。受けた傷に違和感がある。

「――毒⁉」

 孫策は眼が霞むと、地に片膝を突いた。


「殿‼ 如何した⁉」

 従騎の馬蹄と程普の声が聞こえてきた。孫策の姿を見た臣下たちは眼を見張った。

血塗ちまみれではないか!」

「刺客か⁉ 刺客に襲われたか⁉」

「だから殿をひとりにするなといつも言っておろうが‼」


 孫策は、周囲で言い争う臣下たちの声が次第に遠くなると、地にうっ伏した。

「いかん! 急ぎ殿を曲阿まで運ぶぞ!」

「殿を襲った者を必ず探し出せ! まだ近くにいるはずだ」

 程普は孫策を担ぎ上げ、五花にその身を預けると、幾人かを引き連れ、慌てた様子で孫策を丹徒の狩猟場から運び出した。

 そして、韓当の指揮の下、残った臣下は、孫策を襲った刺客を探し出すため四散した。

 そこへ――。

 

 浮かび上がるように姿を現したのは、青い方衣をまとい、頭に白い藤蔓ふじつるの冠を載せた端整な顔立ちの方士だった。

「三体の計蒙けいもうが、あっさりやられるなんて、江東の小覇王とはよく言ったものだね」

 青衣の方士は、落ちていた三枚の人の形をした小さな白紙を拾い上げた。その白紙には、それぞれ斬れ目が入っていた。孫策が龍頭人身の妖し、計蒙を斬ったところと同じところだった。

「まあ、首尾は上々かな」

 青衣の方士は、てのひらに乗せた人型の白紙にふっと息を吹きかけると、その白紙は粉のようになり風に消えていた。青衣の方士は、にこと笑みを浮かべると、透き通るようになって姿が見えなくなった。


 消えた青衣の方士の足元には、無残にも額に矢を突き立てた野猪が、微動もせず斃れていた。



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