古の呉の領主、余祭
「父の孫堅、兄の孫策、そして、私、孫権……。三代に渡る孫家の名刀、その名も古錠刀です」
刀身は鮮やかに光って見えるが、どこか光が黒く見える。
「ううむ」
ひとりから唸り声が上がった。介象だった。
「どうだ、介象? ヒック、折角の機会じゃ、呉の領主さまに教えたもれ」
一同の視線が集る中、腕組みをした介象は語った。
「干将、莫邪、眉間尺、そして、百錬は、今や妖刀の部類に属するが、古錠刀は違う」
「違うとは……?」
孫権が尋ねると、介象は続けた。
「あらゆる物質には、人の思念の受け皿となる素質がある」
「思念の……受け皿、ですか?」
程普が首を傾げた。
「うむ。その素質に大小の差はあるが、百錬には拵えた鍛冶師の思念を受け、風を呼ぶ異能が備わっている。于吉の念により、それが開花したとも言える」
「して、古錠刀には、何があると?」
韓当は固唾を飲んで、介象の次の言葉を待った。
介象は韓当に眼を遣ると、続けた。
「呪を宿している」
「何かの呪い、ということでしょうか?」
孫権は再び、介象に尋ねた。
「天下に覇を唱えんがため、数々の人を屠ってきた刀と見た。それも、持ち主は孫権どのを含め、三代に渡っている。持ち主を初め、志半ばで命を絶たれた者どもの怨恨が呪となり、古錠刀に宿っている」
「ヒック、左様」
酒が回った元緒が、ぶっきら棒に応答した。
介象は、孫権に向き直ると、悲愁を浮かべた瞳で言った。
「いずれ、所有者である孫権どのに禍を招くことになるであろう」
「ヒック、それを阻止するには、手放すしかないぞよ」
元緒が続けて言った。
孫権は古錠刀に視線を落とすと、それを手に取り、何かを確認するように刀身を眺めた。
「呪い、ですか……。怖いものだな」
そして、百錬の刀をもう一方の手に取ると、二本を見比べた。
「この乱世を平定するには、綺麗ごとだけでは済まされますまい。呉の領主となる覚悟を決めたときから、清濁併せ飲むことも是としております。幸いにも私には、父、兄と違い、この百錬が手許にございます」
「それで、良いのだな?」
介象が不敵な笑みを浮かべて質すと、孫権は莞爾として笑った。
「古錠刀を手放すことはありませぬ」
ほっとしたような表情を浮かべた程普と韓当が、同時に酒を口に含んだ。
「それはそうと、この干将と莫邪の剣、どのようにして介象さまに流れ着いたのでございますか?」
介象に問うたのは、韓当だった。
干将と莫邪の剣に話題が及ぶと、孫権は百錬と古錠の刀二本を静かに鞘へと収め、脇へ置いた。
「名と誉れを捨て、介象と名乗り始めたからであろう」
「ウヒヒ」
酒の回った元緒が、奇妙な笑い声を上げていた。
「ほう。それは、いつ頃でござるか?」
一度、酒を呷った韓当は、興味深げに介象へ聞いていた。
「五百年ほど前」
そう言うと、介象は、ちびりと酒を口に含んだ。
「…………」
突如として、その場に静寂が訪れると、韓当の豪快な大笑が時を動かした。
「あっははは、面白い‼ 介象さまは冗談も使えると見える。では、介象と名乗る前は、何と――?」
「……余祭」
言った介象は、再び杯を口に運んだ。
「余祭……さま、ですか……。介象さま、……これはあまり面白くありませぬなあ」
韓当が口惜しがるようにしていると、隣の程普が虚空に眼を向けて思い出すように言った。
「曾て、呉の領主に余祭という名の者がおったと記憶しておるが、在位は頗る短期だったような……」
「ほう。ヒック、程普は博学じゃのう。好い好い」
言った元緒に、照れるようにして程普は続けた。
「武勇に優れた名君だったようだが、在位に着いてほどなく、実弟の余昧が継いでいたのではなかったか?」
「流石は介象さま! 我らの知識を試す冗談だったという訳ですな。あっははは!」
韓当は豪快に大笑すると、愉快気に盃を呷った。
それを前に、ちびりと酒を口に含んだ介象は、干将、莫邪、眉間尺を静かに鞘へと収め、脇に置いた。
それを横目に、盃を呷ってから孫権が言った。
「呉の領主と言えば、かつては呉王夫差も宝剣、宝刀の類を所持していたと聞く」
呉王夫差――。
春秋時代、五覇のひとりとして数えられる。越王勾践によって討たれた父、先代の呉王闔廬の仇を討つため、伍子胥の尽力を得て国力を充実させ覇を唱える。一度は勝利するが、勾践の反撃により敗北、自決している。
「はい。確か、屈盧の矛――。越王句践が呉王に献上した矛だとか。しかし、呉王夫差を自刃させた折、越王はこの矛を取り返したとも聞いております。今となっては、その真偽も所在もわかりませぬが……」
眉間に皺を寄せた程普が、孫権に付言した。
「…………」
介象は、何やら懐かしそうに、ちびりと酒を口に含んだ。
元緒が持っている知識の披露を待つように、孫権が上座に視線を移したときだった。
「おや?」
孫権が不審の声を発していた。
その声に釣られたように、介象を除いた一同は、上座に注目すると揃ってその眼を剥いた。
それもその筈――。
元緒が甲羅を下に引っ繰り返り、口から泡を吹いている。
「げ、元緒さま――⁉」
「またやらかしたな。飲み過ぎだ」
介象は愉快気にそう言うと、盃に残った酒を一息に飲み干した。
間もなく、元緒からは奇妙な音の鼾が聞こえてきた。
胡綜と一緒に、子気味よい鼾の調和を奏でている。
その音に、孫権の顔がふっと明るくなった。
程普と韓当の顔にも灯りが燈った。
それを見て、介象は呵々と大笑した。
そうやって、夜が更けていった。