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干将と莫邪

 上座にその身を置いていたのは、亀だった。

 本来は孫権そんけんの姿があるべき位置である。

 元緒げんしょは、霊亀の姿で小皿に注がれた酒をめるようにして飲んでいた。

 

 孫権の計らいで、すぐさま宴席を設けることになった。

 それを辞退した介象かいしょうだったが、歓待は受けるべきものと、にもかくにも元緒がかたくなだった。

 そうであればと、新たな者を呼ぶことはせず、この場にいる者だけでと介象は折れた。

 結果、使節などを一時的に留める接客用の部屋に移り、細やかな酒宴が催された。

 その顔触れは、賓客扱いの介象と元緒、呉の領主孫権、そして、その臣下である程普ていふ韓当かんとう胡綜こそうだった。


 酒宴が始まるや否や、孫権は元緒を上座に誘った。

 元緒は、それを固辞することもなかった。

「わかっておるではないか」

 そう一言だけ言って、孫権が小皿に注いだ酒を静かに舐めていた。

 そんな元緒を上座に、あとは銘々が好きに座ることを介象が提案し、自然に車座となった。


 てらてらと表面が茶色に光った鳥の丸焼きに、香草と岩塩をまぶしたもの、白身魚を丸ごと油で揚げ、とろみの付いたタレを掛けたもの、旬の野菜を塩茹でし、豚肉と混ぜて饅頭まんとうで包み蒸かしたもの、珍しい南国の果実を盛り合わせたもの、侍女たちが次々と様々な料理を運んでくる。


 初めは、胡綜の苦労話だった。

 酒の入った胡綜は、すぐに饒舌じょうぜつとなり、介象を見付けるまでの経緯を大げさに語った。すると、いつの間にか大の字になり、いびきいていた。

 無理もない。苦労が報われたばかりか、短時間で立て続けに奇妙な体験をしていた。

 時折、誰かに注ぎ足される酒を、元緒はひたすら静かに舐めている。

 皆、酒が入り料理を堪能すると、他愛もない話が続き、場が和み始めた頃だった。


「ところで、介象さま、貴殿は方士の身でありながら佩剣はいけんしているようだが、剣術の心得もおありか?」

 溶けるような眼をした程普が、介象に興味を示した。

「しかも、珍しいことに、三本もびているようですな」

 介象の横に並べて置かれた三振りに視線を遣りながら、顔を赤らめた韓当が言った。

「私も不思議に思っていた。百錬ひゃくれんの刀を抜いたとき、刀剣の扱いに慣れていることはわかったが……」

 介象と肩を並べて座っている孫権が、笑みを浮かべながら興味の視線を介象へ投げた。

「それは、干将かんしょう莫邪ばくや。その二振りと比べ、少し短いのが眉間尺みけんしゃくじゃ」

 突如、銅鑼どらのような声音こわねで元緒がしゃべった。

 程普と韓当、そして、孫権は、そろって何度もうなずきながら、へえ、とでも言うような相槌あいづちを打った。

 介象は、ちびりと酒を口に含んだ。

 その刹那せつな――。


 はっと我に返ったような三人は、互いに顔を見合わせ、口に含んだ酒を噴き出すが如く驚愕きょうがくの声を上げた。

「干将と莫邪――⁉」

 しばしの間、程普と韓当、そして、孫権の時が止まったようになると、逸早いちはやく程普の時が動き出した。

「ま、待ってくだされ、干将と莫邪とは、あの伝説の宝剣とうたわれる干将の剣と莫邪の剣のことでございますか――⁉」

 元緒の方に身を乗り出すようにして程普がただすと、酒を舐めている元緒は、その動きを止め一言返した。

「左様」

「――――‼」

 何が起きても不思議ではなかった。

 さんを呼び、風を呼び、更に胡綜が言うには、瞬時に毘陵びりょうからこの曲阿きょくあに移動してきたという。

 その介象の佩剣が、宝剣、干将と莫邪というのも、戯言ざれごととは思えなかった。


「いやはや、干将の剣と莫邪の剣とは、伝説の代物とばかり思っていたが……」

 孫権が驚きの表情のまま、介象を見遣った。

 何事もなかったように、介象はちびりと酒を口に含んだ。

「その宝剣、陰陽の如く雌雄対を成し、雄剣干将には龜文きもん、雌剣莫邪には漫理まんりが浮かび、それぞれこしらえた鍛冶師の名が付いた――と聞き及んでおります。しかし、それは五百年ほども前のことで、てっきり伝説かと」

「俺もそう聞いておる」

 博学の程普が記憶をたどると、隣の韓当が興奮気味に相槌あいづちを打った。

 胡綜の鼾が、軽快に続いている。


「お主ら、わしうそを語っているとでも申すか?」

 首を振って酒を催促しながら、元緒は続けた。

「今日は気分が良いわい。どれ、介象よ、ヒック、呉の勇将らに剣を抜いて見せたもれ」

 介象は、一度大きな嘆息をしてみせた。

 しかし、酒のせいもあってか、素直に応じたように一番近くの剣を手に取り、ゆっくりとさやから引き抜いて床に置いた。

「おお……こ、これは……」

 その一振りは、眩いほどの光沢を放ち、その刀身には龜文(亀裂模様)が浮いている。

 そして、剣の根元には二文字の銘が彫られていた。

 干将――。

 介象は、繰り返すようにもう一本の剣を手に取り、再びゆっくりと鞘から引き抜くと床に並べた。

 その一振りは、冷ややかに冴えた光を放ち、その剣身には漫理(水波模様)が浮かんでいた。

 やはり、剣の根元には二文字の銘が彫られている。

 莫邪――。

 続けて、介象は、最後の一本を手に取り、ゆっくりと鞘から抜くと先の二本と並べた。

 最後の一振りは、青々ときらめく上等な剣ではあったが、干将と莫邪に比すれば見劣りする代物だった。こちらに銘は彫られていない。

「この剣は、眉間尺という。元の持主の混名あだなだ。干将、莫邪に比べれば、一段落ちる青鋼剣だが、これほどの青鋼剣もそうはあるまい」

 介象は視線を落とすと、眼を細めてそう言った。

 並べられた三本が、共鳴するように光って見える。

「干将、莫邪、そして、眉間尺、この三本が揃ってこそ意味を成す」


 介象が言い終えるや否や、驚愕の声を上げたのは程普だった。

「……間違いない。本物だ! 初めて見たが、伝説どおりの拵えに加え、まさに宝剣と呼ぶに相応しい業物!」

「では、これと比べてはどうか?」

 いつの間にか、孫権は別室から百錬ひゃくれんの剣を持ってくると鞘から抜き放ち、介象の三本に並べて置いた。

「ううむ」

 程普と韓当は揃ってうなった。

 それもそのはず、明らかに干将と莫邪が上等な業物に見える。次いで百錬というところだが、眉間尺もそれに劣っているとは言えなかった。

「ヒック、どれ、孫権や、ついでにお主の愛刀も並べてみい」

 酔いの回った元緒が、無礼な態度で孫権に言った。

「私の愛刀……。かしこまりました」

 孫権は再び弾かれたように部屋を離れると、すぐさま一本の刀を持ってきた。それを鞘より抜き放つと、五本目として並べた。


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