表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/62

若者と誤算

 吹いた風は、潮の匂いをはらんでいた。


 曲阿きょくあより東に位置する毘陵びりょう県、その沿岸部に介象かいしょう元緒げんしょの姿はあった。

 向かったのは、于吉うきつが起居していると覚えにあった草庵だった。

 わずかな民が暮らす閑散とした里、その外れの丘に于吉の草庵はあった。


 もの静けさが、草庵に誰もいないことを物語っている。

 そこからは、規則的に波打つ海辺が見渡せた。若者がひとり、舟を修繕しているようだった。

「想定どおりじゃのう」

 介象の肩の上で、辺りを見渡しながら元緒が言った。

 介象も同じように周囲を眺めていた。

 ふと、視線を草庵の門前に落とすと、そこには人型をした小さな薄汚れた白紙が落ちていた。数えると五枚あった。


 海は、暖かな陽射しを照り返している。

 介象は、その海に眼を向けた。

「僅かだが、霊気を感じる」

「ほほう。成るほど、やはりそうか」

 元緒が同じると、介象は海辺へときびすを返した。


 その海辺では、ひとりの若者が額に汗しながら、小さな舟を修繕していた。よく見れば古い舟だが、修繕すれば海に出られないこともない。

 若者は、細身さいしんに白いほうまとい、白巾はくきんで黒髪をひとつに束ねた稟性賢明りんせいけんめいかんばせの持主だった。

 介象と元緒が近づくと、それに気付いた若者の表情が、ぱっと明るくなった。


「これはこれは、介象さま。お久しゅうございますなあ」

 親しげに言った若者に、介象は笑みを返した。

「久しいな、于吉」

「元緒さまもご健勝で何より。今は亀のお姿なのでございますね?」

 若者の姿の于吉が、元緒をまじまじと見ていた。

「なかなかの霊亀っぷりに見惚れたか?」

「あはは。見惚れましてございます」

 若者の于吉は、莞爾かんじとして笑った。

「それにしても、よく此処ここがわかりましたね?」

「何を言うておる。三十年ほど前に一度訪ねたことがあろうが」

 元緒の言に、于吉は首を傾げた。

「そうでしたか? 一昔前のことゆえ、もう憶えておりませぬ」

 屈託のない笑みを浮かべ、于吉は、ぽりぽりと頭をいた。

「一体、呉の領主とは何があったというのだ?」

 介象の問いに、于吉は不貞腐ふてくされたように返した。

「私は、介象さまと元緒さまがこの地方を訪れたことを耳にした故、呉の街道を通って、迎えに上がろうとしていただけでございます」

「ほう。い」

 元緒が蓑毛みのげを振って褒めると、于吉は続けた。

「私の姿に気付いた領民は、皆、礼を施しました。その様子を介象さまと元緒さまにも見ていてほしかったものです」

「見ておったぞ。よくぞ、民草にまで尊敬される方士へと成長したものじゃ」

 元緒は、満足げに何度もうなずいていた。

「見ておられましたか! これは幸い」

 于吉は瞳を輝かせたが、その顔はすぐさま暗転した。

「それを呉の領主、孫策は、快く思わなかったのでございましょう。突如、大衆の面前で雨を降らせよとの命が下ったのでございます」

「降雨にはしたが、呉の領主からは、更に怒りを買ったというところか」

 溜息を交えて言った介象が、やれやれ顔になった。

「まあ、そのような塩梅あんばいでございます」


 寄せる波の音は静かだった。小さなかにが音もなく砂の中に潜っていった。

「それで、刀剣を腹いせに散らせたと?」

 ああ、と詰まらなそうな声を発して、于吉は返した。

「あれは恐らく、孫策そんさくの父、孫堅そんけんが命じて造らせていた刀剣かと。城内に連れて行かれた折、宴席に陳列されておりました。あの日は、完成の披露目ひろめだったのでございましょう」

「霊獣を召還し、刀剣に宿したな?」

 介象は、于吉をにらんでただした。

流石さすがは介象さま。遠くへ飛ばすには、より強い霊気が必要ですから。お陰で私も、これまで蓄えていた霊気が霧散してございます」

「その姿を見ればわかるわい。何十年も蓄えた霊気を、怒り任せに一気に放出しおって」

 あきれた調子で言った元緒に、于吉は再び頭を掻いた。

「若返ってしまったせいで、使える術も限られましょう。また、時を掛け、霊気を練らなければなりませぬ」

「霊獣のほかに、何か刀剣へ施したか?」

 介象の問いに、于吉は怪訝けげんの色を浮かべた。

「刀剣には、鍛冶師たちの強い念が込められておりました。それが霊獣を宿し、霊気を帯びたことで、何か発動するやもしれませぬ」

「ふむ」

 介象と元緒が深刻な面持ちで頷くと、于吉は明るい調子で返した。

「大丈夫でございます、介象さま。腹いせに八本の刀剣を全土へ散らせただけ。霊山巡りでもして霊気を辿たどれば、造作もなく見付かりましょう」

 于吉は、屈託のない笑みを浮かせた。


「不死の術は、唱えるに時を要す。唱え終わった拍子に計蒙けいもうを召還し、雨を降らせた。見ていて絶妙な間だったな」

 介象が褒めると、気を良くした于吉は、その後の経緯も語った。

「よくぞ言ってくだされた、介象さま。首をねられることは覚悟しておりました故、その折には急ぎ体を此処へ運ぶよう、あらかじ巫支祁ふしきどもに伝えておったのです」

 巫支祁とは、巫女みこの姿をしたあやかしのことだった。


 于吉は多くの人前に己の姿をさらす折、危急の事態に供え、機転の利く妖し、巫支祁を必ず五体侍はべらせていた。

「しかし、于吉よ、八振の刀剣を散らせたのは良いとして、それを見つけた者によっては、大変なことになるやもしれぬぞ」

「…………!」

 深刻な様子で告げた介象に、于吉は、はっとして押し黙った。

「やらかしたのう」

 冷やかすように元緒が言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ