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7話



 かつての婚約者が、息を切らしてエレノアを見つめている。心なしか、その視線が熱を帯びているような気がして、エレノアは無意識に一歩退いた。


「エレノア…ここにいたんだね」


 心底嬉しそうにフェルナンドが微笑む。その表情は長らくエレノアが見ていないものだった。彼は、いつもエレノアを蔑むように見ていたから。


「…なんのご用でしょうか」


 俯き加減で、絞り出すように声を出す。そんなエレノアに気づいていないのか、フェルナンドは興奮気味に喋り出した。


「ああ、君が見違えるほど美しくなったかつい声をかけてしまった。あと顔の傷は治ったのかい?だとすれば素晴らしい!あの醜い傷で君の美貌は霞んでしまっていたからさ!」


 心の声と変わりない、フェルナンドの言葉にエレノアは視線を落とす。やはり、フェルナンドはエレノアの顔が昔のよう美しくになったから声をかけてきただけだった。

 分かっていたこととはいえ、見た目だけでここまで対応が変わるなんて。可笑しくて、自嘲が漏れそうになる。


「君が元の顔に戻ったんだったら、僥倖だ。なあ、僕たちやり直そう。」

「…は?」


 あまりにも予想打にしない言葉にエレノアは思わず固まってしまった。

 その間にもフェルナンドは話し続ける。


「君が瑕疵を作って、ナタリーと婚約したけど、ナタリーは我儘で金遣いも荒いんだ。その点、君は大人しく、たおやかで僕の性格に合っている。それに、ナタリーよりも君の方が美しい。どうだい?小汚い商人の妻でいるよりも、侯爵家の妻になった方が君にとっても良いだろう?」


 紡がれる言葉は心の声と共鳴して聞こえて、それが嘘ではないと嫌でも分かってしまった。


(ああ、そうだった。この人はこんな人だったわ)


 スッと氷を差し込まれたかのように心が冷えていく。


 フェルナンドにとって、ナタリーもエレノアも大して変わらないのだろう。どちらがより装飾品として相応しいか。それだけの差でエレノアを捨て、ナタリーを選んだ。そして、傷を繕った自分を見て、今度はナタリーを捨てようとしている。


 そのこと自体はいい。自分がどう思われようが、どう言われようが、慣れている。


 だが、フェルナンドはエレノアの大切な人を侮辱した。

 エレノアを慈しみ、心底愛してくれる、優しくて温かくて、この世で一番素敵な人を。

 この男は嘲ったのだ。


 それだけは、許せなかった。


「フェルナンド様、私の旦那様はご存知ですか?アーノルド・グレイジャー様、商人として成功し、その名はこの国だけでなく、隣国にも伝わっている素晴らしいお方です」

「知っているよ。その上で提案しているんだ」


 怪訝そうに眉を顰めるフェルナンドをエレノアが見上げる。その眼差しは鋭くて、底冷えしそうやほど冷たい。気圧されたようにフェルナンドがたじろいだ。


「な、なんだよ」

「まだお気づきになりませんか。貴方のような人間がアーノルド様と張り合うのが烏滸がましいと言っているのです」


「は?」

「だって、そうでしょう?アーノルド様は自分の力でここまでのし上がり、地位を築いたお人。それに比べて、貴方はなんです?侯爵家の跡取りにも関わらず、譲られるものだからと胡座をかき、自分の婚約者が気に入らないからと婚約破棄をし、新しい婚約者が思い通りにならないからと捨てた女に乗り換えようとする矮小さ…。ふふっ…ああ、失礼、あまりにも比べものにならなくて、つい」


 エレノアは口元を手で隠しながら、嘲笑を堪えている。


 フェルナンドは一瞬、言われたことが分からず呆けていたが、じわじわと言葉の意味を理解したのだろう。カッと顔を赤くして怒鳴った。


「な、なんだと!!僕があの商人より劣っていると言いたいのか!!」

「劣っているなんてものではありません。…比べものにならないほどの差があると述べているのです」

「な…な……」


 フェルナンドの口から、言葉にもならない声が漏れる。

 フェルナンドは怒りで震えると共に、目の前にいる女性が、本当にあのエレノアなのかと疑った。

 

(いつも顔を伏せ、暗く、大人しかったエレノアか?)


 フェルナンドの脳裏に、グレース伯爵家にいたエレノアの姿が浮かんだ。

 火傷跡が出来てから、エレノアはいつも俯いて、顔を隠していた。

 ナタリーの暴言にも、家族からの無視にも『ごめんなさい』とだけ呟いて耐える、かつての華やかさは微塵もない、陰気な女になったのだと心底落胆した。

 だからこそ、フェルナンドはナタリーを魅力的に感じて、エレノアと婚約破棄したのだ。

 そんなエレノアが自分に歯向かうなどと夢にも思ってもいなかった。


(これではーーまるで、本当に昔のエレノアのようではないか)


 かつてのフェルナンドが恋した、美しく、気高く、愛らしかったその姿に、フェルナンドがエレノアへ手を伸ばす。


 その時ーーフェルナンドの肩がガッと掴まれた。


「我が妻、エレノアに何の御用ですか?バーナード侯爵家令息さま?」


 強い力に顔を歪めながら、フェルナンドが背後を向く。そこには、にこやかな笑みを作る黒髪赤眼の男が立っていた。


「アーノルド様……!」


 険しかったエレノアの相好が和らぐ。花の開いたようなその表情に昔の姿が重なった。


「エレノア、大丈夫か?」

「ええ、戻るのが遅れて申し訳ありません」


 フェルナンドの横を通り抜け、エレノアがアーノルドに近寄る。


「本当に何もなかったのか?大丈夫か?」

「こうしてアーノルド様が来てくださいましたから、何ごともありませんよ」


 仲睦まじく会話が繰り広げられる。その姿をフェルナンドは呆然と眺めていた。


「…って、アーノルド様、髪が濡れているではありませんか!もしかして、湯殿に入らずに出てきたのですか?」

「いや、エレノアが急に出て行ったから何か怒らせることでもしたのかと…」

「でしたら、それは今です!もうっ、本当に風邪でも引いたらどうするんですか!」


 髪を湿らしたアーノルドにエレノアがプンプンと怒りを露わにしつつも、愛おしげにアーノルドのことを見つめていた。


 二人の姿に胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。どうしようもない敗北感、やるせ無さ、嫉妬、後悔そんな感情が、フェルナンドの胸中に広がっていた。


(そこは、本来なら僕の場所だったんだ)


 フェルナンドがそう思うと同時にエレノアがこちらを振り向く。


 アーノルドの腕に手を回して、エレノアは可憐な、それでいてどこか艶やかな笑みを見せた。


「どうです?私の旦那様、とても素敵なお方でしょう?」


 誇らしげにそう告げたエレノアは昔のようにーーいや、昔よりもずっと美しかった。



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