5話
二人は馬車に乗ってバーナード公爵家まで辿り着いた。
受付で招待状を見せて、煌びやかなバーナード公爵家ホールへ入場する。
エレノアとアーノルドが足を踏み入れた瞬間、会場中の視線が二人に向けられた。
ジロジロと不躾に向けられる視線。それは、かつても受けたものだ。粗を探すために向けられる衆人の目。いつになっても慣れそうにないその視線と同時に感情の汚濁が押し寄せてきた。
(……っ)
一つ一つの声は小さくても、それが合わされば頭を割るような不協和音になる。
ただただ不快な雑音に耐えていると、アーノルドのエレノアを心配する心の声が聞こえてきた。
(エレノア様!?大丈夫ですか!?普段より顔色が悪い!!やっぱり無理をしているのでは!?ああぁぁ!!心配です!!!)
アーノルドの心の声は周りの心の声を上回る大きさだ。その声はうるさくて騒がしいのにどこまでもエレノアのことを思っていて安心してしまう。エレノアの心は自然とアーノルドの声に傾いた。そうして、アーノルドの心の声を聞いている間に周りの心の声は小さくなっていった。
(アーノルド様、ありがとうございます…)
少し落ち着くと、周りの心の声が普段と質が違うのに気づく。
(誰なんだ…あのご婦人は……)
(あんな美女見たことない…一体誰なんだ!?是非ともお知り合いになりたい!)
(なんなのよあの女…私より目立っちゃって!確かに美人だけど……あんな女初めて見たわ。誰なのよあの女!!)
(さっきから聞こえる美女って一体どなたかしら……)
普段から醜女と言われているエレノアは話題の美女の正体がまさか自分だとは思っていなかった。
(ふん!エレノア様は普段からお美しいのに、少し化粧をしただけで手の平を返してきやがって!!お前らがエレノア様を見るな!!エレノア様の目が腐る!!)
会場が謎の美女でざわつくほど、アーノルドが苛立つ。何故?とエレノアが不思議に思った時、会場のざわめきが収まり、視線が一つに集中した。
夜会の招待主、バーナード公爵が姿を表したのだ。バーナード夫妻の後ろには、息子のフレデリックとその婚約者ナタリーが腕を組んで入場してきた。
(ナタリー…フレデリック様…)
かつての婚約者とそれを寝とった妹の姿にエレノアの心が翳る。婚約破棄されたことをもう気にしてはいないが、寄り添いあっている二人を見るのは良い気分ではない。
けれど、今のエレノアにはアーノルドがいる。アーノルドに恥じないように堂々としていようと背筋を伸ばすエレノアの元にナタリーが近づいてきた。
「あら、エレノアお姉様じゃないの?そんな無理して派手なドレスを来ちゃって、醜女は醜女らしく身を弁えたものを着れば………」
そう言いかけたナタリーの言葉が途切れる。エレノアの顔を見た途端、ナタリーは目を見開いて固まってしまった。
「ナタリー?」
不自然に動きが止まったナタリーを不審に思い、エレノアが声をかける。すると、ナタリーは弾かれたように動き出して、ヒステリックな声を上げた。
「な、なんでお姉様が化粧なんてしているの!?お姉様に化粧なんて必要なんてないでしょう!!!そんなもので隠したところで醜女は醜女なのよ!!醜いものは醜いの!!!今すぐ落としなさいよ!!!」
支離死滅なことを言いながら、ナタリーは近くのテーブルに置かれていたグラスを手に取り、それをエレノアに向けて投げつけてきた。
(え……?)
咄嗟のことにエレノアは動けない。ただ、痛みに備えて目を瞑る。
けれど、予想していた痛みは襲いかからなかった。
(痛くない…?)
恐る恐る目を開けると、エレノアを庇ってポタポタと赤紫の液体で濡れたアーノルドが映っていた。
「アーノルド様!!!」
エレノアは悲鳴を上げながら、アーノルドに駆け寄る。アーノルドはワインを浴びただけで、グラスによる怪我はなさそうだ。
(よかった…)
ホッと胸を撫で下ろすが、このままではアーノルドが風邪を引いてしまうかもしれない。
(早く拭かないと…でも、服が濡れているから着替えも必要だわ。控え室を貸していただけないかしら…)
オロオロしながらエレノアが思案していると、アーノルドがやにわに話しかけてきた。
「エレノア!怪我はないか!?」
「私はアーノルド様が庇ってくださったので何も…それよりアーノルド様が…」
「ならよかった」
髪や服をワインで滴らせながら、アーノルドは安堵して微笑む。それを見て、エレノアは胸が痛んだ。
(なにもよくなんてない。こんな時にも私のことばかり…もっと自分を大切にして欲しいのに)
ギュッとエレノアが胸の上に置いた手を握る。
無意識のうちに握られた手は感情を押し殺しているように力の込められたものだった。
騒ぎに気づいた周囲が何事かとエレノア達に視線を向ける。エレノアとアーノルドは互いにしか目が入っておらず、騒ぎの中心が自分達だという自覚がなかった。
ただ一人、ナタリーはその場から逃げるように後退る。
「ち、違う…わ、私はそんなつもりじゃなくて……私は悪くない……醜さを偽ろうとしているお姉様の化けの皮を剥がそうとしただけ……私は悪くない…悪いのは全部お姉様なのよ…そうよ、そうに決まっているわ!!」
自分の仕出かしたことに気づいたのだろう。ナタリーはふらりと狼狽えながら、脈絡の無い自己弁護を喚き散らす。
その瞬間、息を呑むような怒気が辺りを支配した。
(アーノルド様……すごく怒っている?)
アーノルドが怒っているところを見るのは二回目だが、あの時とは異なる殺気にも似たピリピリした怒気が漂っている。
アーノルドはエレノアを庇うように前に出た。
そして、怒りを無理に押し殺しているような、険しい顔で口を開く。
「ナタリー穣、貴方が我が妻エレノアの妹君だからといって許容できる限度というものがある。エレノアに危害を加えようとしたこと、エレノアを侮辱したこと、謝罪をいただきたい」
「ち、違うっ!!私は悪くない!!お姉様が…!!」
「謝罪を」
丁寧な口調だが、有無を言わせない強い語気だ。
アーノルドの威圧感に呑まれ、ナタリーがたじろぐ。
「なんの騒ぎだ」
そこに、騒ぎを聞きつけたバーナード公爵がエレノア達の元へ歩み寄ってきた。
バーナード公爵が来たことで周囲のざわめきがいっそう大きくなり、非難の目がナタリーに突き刺さる。
「~~~~~っ!!」
自分の旗色が悪いことを悟ったナタリーは背を翻し、脱兎の如く会場から出ていった。
「ナタリー!」
それを婚約者のフレデリックが引き留めようとするが、追いかけることは出来なかった。
騒ぎの原因を知ったバーナード侯爵がフレデリックを刺すように睨んでいたからだ。
蛇に睨まれたカエルのごとく、フレデリックはその場に凍りつく。顔面蒼白になっていく息子を横切り、バーナード侯爵はエレノアとアーノルドに向かい、頭を下げた。
「我が愚息とその婚約者が無礼を働いた。心より謝罪申し上げる」
「そ、そんなバーナード侯爵、頭をあげてください!!」
バーナード侯爵に頭を下げられ、慌てるエレノアに対してアーノルドは剣を隠せず、侯爵を見下ろしている。
(エレノア様が傷つくところだったのに。そんな謝罪で許せるか…!!)
アーノルドの内心を読み取ったエレノアは焦った。このまま謝罪に応じなければ、アーノルドの立場が悪くなる。それは嫌だとエレノアはアーノルドの手を引いた。
(私は大丈夫ですから。貴方が私を守ってくれたから。だから落ち着いて。私のせいで貴方の立場が悪くなったらイヤ…お願い)
そう気持ちを込めて、アーノルドを見つめる。その思いが届いたのか、アーノルドは気を鎮めるように大きく息を吐き、バーナード侯爵に向き合った。
「……バーナード侯爵、頭を上げてください。幸い私もエレノアも怪我はありませんでした。」
「…本当に申し訳ないことをした。愚息とナタリーにはこのようなことが二度と起きないよう厳しく灸を据えておく。このままでは風邪をひきかねん。客室案内しよう」
バーナード侯爵が近くの使用人を呼び、二人を案内するように告げた。エレノアとアーノルドは使用人に案内されて、客室に向かった。