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2話


 結婚式から数日経った。

 結局、初夜は果たされることなく、混乱するエレノアに背を向けて、アーノルドは夫婦の寝室を出て行った。内心で、

(エレノア様と共寝するなんて恐れ多い!!もし、そうなったらどうなってしまうんだ!!これから一つ屋根の下で暮らすだけで心臓が爆発しそうなのに!!ああ、でもこれからエレノア様の姿を毎日拝見できるなんて幸せすぎる!!)と、非常に騒がしい本音を零しながら。

 

 結婚初日を思い出して、エレノアは深い息を吐いた。そして、どこか遠い目で部屋の一角に目を向ける。豪奢な部屋の隅には上等な包装紙に包まれた贈答品が山のように積み重なっていた。

 

(最初は勘違いか気が狂ったのではないかと思ったけど、そうではないみたい…)

 

 アーノルドから贈られた、高価な品々を前にして途方に暮れる。高級品と縁がないエレノアでも一目見て分かるほど上等なものだ。恐れ多くて、エレノアは手をつけていなかった。

 

(結婚式の時にずっと素数を数えていたのは私との婚姻が本意でないからだと思ったけど、もしかして緊張していただけだったのかしら) 

 

 アーノルドの放つ言葉は辛辣だが、その行動は常に自分を気遣っており、何不自由なく過ごせている。使用人も実家にいた時よりも質がよく、エレノアの傷を見ても嘲ったり、虐げる人間はいなかった。何より、彼が自分に向ける思いは真っ直ぐな好意に溢れていて、そんな感情を向けられたことがないエレノアは甘ったるいほどの愛情にひたすら困惑していた。


(どうしてアーノルド様はそんなに私が好きなんだろう)

 

 アーノルドとはあの夜会が初対面だった。傷跡が出来てから、引きこもりがちになったエレノアはパーティに誘われることもなかった。あの日の夜会に参加したのは主催者が婚約者の家だったからだ。傷跡ができる前は色んな催しに誘われたが、その頃のアーノルドは社交界に出れるような立場ではなかっただろう。

 面識がないのに、あそこまで自分を想ってくれるアーノルドはエレノアにとって得体のしれない存在だった。

 

「そんなところで突っ立って何をしている」

 

 アーノルドのことについて考えていたら、いつの間にか本人が部屋に入ってきていた。驚いて、肩がびくっと跳ねる。


(ああぁ、エレノア様驚かせてしまい申し訳ありません!!ノックしても反応がないから何かあったのかと思ったけど何もなくてよかった…それにしても驚いているエレノア様もお美しい…陽の光を浴びて、妖精のごとくの可憐なエレノア様を見られるなんて死んでもいい…好きだ…エレノア様…)

 

 素っ気ない言葉と冷たい態度。それに反してデレデレな内面との違いにエレノアは顔が引き攣りそうになった。

 

(もう、そんなことで謝ったり、褒めたりしなくていいから!)

 

 常にこの調子のアーノルドに慣れてきたと思ったが、そんなことはなかった。力を入れていないと変な顔になりそうで、必死に澄ました表情を保ちながら、アーノルドを見つめる。。


「これを見ていたのか」


 アーノルドはエレノアが自身の贈答品を見ていたことに気づく。開封された様子のない包装を前に、アーノルドは秀美な眉を顰めた。


「何故、一つも手をつけてない。気に入らなかったのか」

(お、おお、お気に召しませんでしたか!?エレノア様に似合うよう、厳選に厳選を重ねた特注品なのに!!しかし、エレノア様はお優しいお方。遠慮なさっているだけなのかもしれない。そういう謙虚なところも好きだ…)


 取り乱しながらも褒め称えてくるアーノルドの内心に出来るだけ反応しないように意識しながら、火傷痕の残る口角を動かす。


「私のような醜女に、このような美しい物は似合いませんから」


 アーノルドからの贈呈品を受け取れなかった理由。それは、アーノルドの贈るものが全て美しい物だったからだ。自身が貰うには勿体無いほど、煌びやかな装飾品や華やかなドレス。醜い火傷痕の残る自身がそれを身につけたら滑稽だろう。だから、こんなもの受け取れないと部屋の隅に置いて、実家から持ってきたみずぼらしいドレスを着て過ごしていたのだ。


(いくらアーノルド様でも、自分の贈り物が似合わないような女は嫌でしょう)


 何故か、エレノアを好いてくれているアーノルドでも、美しい物でも覆い隠せない醜い自分を見れば、その思いも醒めるはずだ。そう考えて、つきんと胸の奥が痛む。それを疑問に思う間もなく、強烈な怒りの感情がエレノアに襲いかかった。

 それは、アーノルドから放たれていた。アーノルドが向けているとは思えない怒気にエレノアは息を呑む。


「ふざけるな」 

(ふざけるな)


 心の声とリンクして聞こえる低い声。怯えて、声も出ないエレノアに向けてアーノルドは言葉を続ける。


「そんなくだらない理由で君は君自身を卑下するのか」

(な…!)


 くだらないと一蹴されて、エレノアも怒りが湧き上がってきた。どれだけ身綺麗にしても、醜い傷を持つ自分は変われないのだと。醜女は醜女のままなのだと今ままで思い知らされてきたのに。


(何も知らないくせに…!)


 エレノアが怒りをぶつけそうになった瞬間、アーノルドの心が叫んだ。


(どうして、貴方は自分を大切にしてくれないんだ!!)

(え…)


 自分のことを思って怒るアーノルドの心の声に膨れ上がった怒りが急速に萎んでいく。


「そもそも人の美醜は容姿によるものだけではない。人の価値観は千差万別。人の数だけ、美しさは変わる。私が見てきた中で、貴方は誰よりも美しい人だ。貴方の美しさは傷跡で色褪せるようなものではない。そのままでも美しいが、より貴方を彩りたくて、贈り物を用意したんだ」

「ーーーーーー」


 アーノルドの言葉にエレノアは何も言えなかった。ただ、声を奪われたように、口を開いて、呆然とアーノルドを見つめている。

 

「商人として鍛えられた私の審美眼は中々のものだと自負がある。そんな私が貴方を美しいと断言するのだから、貴方は顔を隠さず胸を張れば良い。…だから、できれば私の贈り物も使ってもらえたら嬉しいのだが……」


 そう言い切るアーノルドに、じわりと胸の奥から何か熱いものが溢れ出そうだった。


(どうしてこんな時だけ、言葉と心がいっしょなの……)


 エレノアにすり寄るための虚辞で、心に無い「美しい」を言われたことはあった。けれど、アーノルドの言葉は本当に美しいと思っていることが伝わってくる。彼が嘘をついていないと分かるからこそ、その言葉がエレノアの心に染み渡っていく。


 胸がギュウっと締め付けられて苦しいのに、不快では無い。むしろ、嬉しいと心が歓喜に満ちている。苦しいのに嬉しい。そんな感情は初めてで、エレノアはクシャクシャになっていく顔を隠そうと、下を向いた。


(え、エレノア様!?や、やはり不快でしたか!?エレノア様にとってナイーブな問題だと分かっていたのに言ってしまった……本格的に嫌われたかも……でも、自分を卑下にするエレノア様を見たくなかったんだ。貴方はこんなに素敵な人なのに……貴方は世界で一番素敵な人なんだと分かってほしかったって俺のエゴだな……ううっ嫌われたく無い!!冷たい対応しているし今更かも…仕方ないとはいえ、エレノア様に嫌われるのは嫌だぁ…!!)


 通常運転の賑やかで、エレノアへの愛に溢れた心の声に、俯いたエレノアの相好が崩れる。熱い目頭から流れる涙を指で拭い、顔を上げた。


「アーノルド様、ありがとうございます。貴方の嘘偽りのない言葉、本当に嬉しいです」


 そう言って、涙を滲ませながら自然と溢れた笑顔を向ける。その表情を見て、アーノルドが硬直した。


(え、エレノア様の笑顔!?!?エレノア様の笑顔!?!?は、初めて拝見できた!!えっでも泣いている!?あ、これは悲しんでるのか!?でも笑っているし、こ、こういう時どうしたらいいんだ!?エレノア様の涙を止めるにはどうしたら…)


 内心でオロオロしているアーノルドにエレノアは吹き出しそうになった。失礼だと思いつつも、慌てふためく子犬のように見えてしまって、笑みが深くなる。


「……よかったら使え」


 絞り出すような声で、アーノルドが白い絹のハンカチを渡してきた。それをそっと受け取って、滑らかな生地を目元に当て雫を拭う。涙はいつのまにか止まっていて、流れ出しそうな気配はなかった。


「ありがとうございます。アーノルド様」


 心からの感謝を込めて、アーノルドに微笑みかける。アーノルドはふんっとそっぽ向きながらも内心では


(エレノア様の真正面からの笑顔!!!破壊力やばすぎて顔が緩む!!気絶しそう!!やばい!!倒れないようにしないと!!そっぽ向くなんて失礼なことをしてしまった!!でも、倒れたら絶対に引かれる…!!エレノア様の先ほどの笑顔で一生生きていける!!ありがとうエレノア様…貴方の存在が俺の生きがいです!!)


 と、大変騒がしくはしゃいでいたのだった。




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