第九話 異なる角度から。
「今のお前に話すことはない。私から話を聞きたいならお前なりの答えを用意してからにしなさい。」
退院して家にいた井ノ上が玉川と川井の質問に対して答えたのがこの言葉だった。『なぜあの場にいたのか?』『犯人との面識は?』と聞くべきことを聞いた二人にとって、あまりにも冷たい回答だった。家を後にした川井はさすがに怒りを口にした。
「何ですか?あの人は!いくらなんでも失礼です。」
「ああ。何か変だった。普段はあんな人ではなかった。」
玉川もさすがに困惑している。今まで玉川のどんな質問にも穏やかに的確に答えをくれていた井ノ上とは同一人物とは思えなかった。ただ、その対応が逆に玉川の疑問の答えにもなっていた。
「井ノ上先生は何か知っている。それは間違いない。そして、さっきの返事からしても『こっちが答えを用意できたら』話してくれるはずだ。」
「じゃあ、しらみつぶしに探します!ちょっとイラッとしましたから!」
そう叫んで走り出す川井を玉川が止めたのは言うまでもない。玉川は川井を連れて近くの喫茶店に入った。
「とりあえず、今までの情報を井ノ上先生が何か知っていることを前提に整理し直そう。」
「はい!じゃあ、資料を出しますね!」
川井はカバンから資料を出した。というよりはカバンをひっくり返して机の上に散乱させたが正しい。機嫌が悪いのか管理が悪いのか。玉川はいつものようにそれを並べた。
「気になるのはやっぱり二日目ですよね?」
「ああ。一日目と比べて違和感があり過ぎる。確認していこう。」
玉川と川井は資料を見直していった。被害者は井ノ上先生と吉川君を入れて三名。
一人目は伊藤真30歳。三年前まで救急隊員だった。玉川も一度取材をしたことがある。真面目で正義感の強い人だった。結婚していた情報はなく、一人暮らしだったと思われる。ハロウィンに参加している感じはなかったが、子供たちにお菓子は渡していたらしい。
二人目は井ノ上寿60歳。十年くらい前に奥さんと子供を事故で亡くしている。娘が二人いて一人は独立している。三年前まで近くの大病院で外科と救急を担当していた。退職後は家にいることが多かったらしい。玉川の親とは仲が良く、玉川も記者になった頃から話を聞きに家を訪ねている。犯人と遭遇して唯一生存している。
三人目は吉川秀人28歳。川井と同期。「全てにおいて優秀で誰にでも優しい。」と誰に聞いてもそう返ってくるほどの人物。警察官になってすぐに民間人をかばってケガをした状態で強盗を逮捕し表彰されたことがある。事件当日は川井とともに民間人を警護していたが、一度目の爆発の現場対応に向かった。警察の話では現場を確認してすぐに戻ったらしいが、こちらには来なかった。その後、犯人を確認しビルに追い詰めたが犯人に刺され死亡。犯人は吉川君に射殺されたと思われる。
「とりあえずわかったことは、『井ノ上先生は理由があってあの場所にいた』ということと、『犯人と関係がある可能性が高い』ということ。だとすると先生が生きているのは偶然ではない可能性が高い。」
「ですね。でも、そうなると犯人が井ノ上さんを殺せなかった理由って何ですか?井ノ上さんを意図的に呼び出したなら確実に殺しますよね?」
川井の人の良さを感じる。そう思いながら玉川はコーヒーを飲んだ。
「考え方は二つ。お前の言う『殺せなかった』を採用するなら、考えられるのは先生が刺される直前の事件のせい。あの酔っぱらいの存在が計画を狂わせた可能性はある。ただ、そもそも計画にない酔っぱらいを無視しなかった理由がわからない。標的が先生なら酔っぱらいなんか気にしないで先生を刺しに行くべきだった。」
玉川の説明に納得できたらしい。川井は要点を手帳にメモしていく。
「で、『殺せなかった』ではないとしたら何なのですか?」
川井が話に戻ってきた。玉川は大きく息を吐いてからもう一つの可能性を口にした。
「先生を『殺さなかった』だ。『先生に生きていてもらわないといけない理由があったから』か、『先生に死んでほしくなかった』と思えるほどの関係だったか。どちらにしろこの考え方をするには…。」
「井ノ上さんは犯人と共犯で、あの時死ぬつもりだったってことですか?」
川井が自分でも驚くような声で叫んだ。慌てて口をつぐむ川井を見てから玉川は話を続けた。
「この結論には至りたくはなかったが、先生の態度からしてもこっちの可能性は高い。そして、もしそうだったのなら謎が一つ解ける。」
「何が解けるんですか?」
「犯人がどうしてあんなにも正確に心臓を刺せたのかだ。」
驚きのあまり川井はカップを落としそうになった。明らか動揺している川井を見て、逆に玉川は落ち着いてしまった。
「外科の知識がある先生なら刃物で心臓を刺すことも不可能ではないし、それを人に教えることもできる。動いている相手を刺すことができるかはわからないが、少なくとも『犯人がどうしてあんなにも的確に心臓を刺せたのか』は納得がいく。」
しばらく沈黙が続いた。店員に飲み物のおかわりを注文した頃、ようやく川井が口を開いた。
「…。玉さんはそれでいいんですか?」
川井らしい質問だった。玉川は少し間を開けてから答えた。
「良くはない。ただ、これを疑わないと話が進まない。疑うだけ疑って、この考えが間違っている証拠を見つけるしかない。」
「玉さんらしいですね…。」
川井はつぶやいて小さく笑った。
「どちらにしろ知りたいのは、あのとき何があったか。それを知るにはあの時いた、酔っぱらいか絡まれていた女性のどちらかに話を聞くことだけど。」
「どちらも所在不明なんですよね。青葉が言うには『気づいたときには現場にいなかった』でしたから。」
二人でしばらく考えを巡らせていた。しかし考えても状況が改善するはずもなかった。
「何か解決の糸口があれば…。」
玉川がそうつぶやいたとき、川井の携帯が鳴った。メールだったらしく、川井は内容を確認して…。
「玉さん!これ!」
興奮気味に玉川に画面を見せた。
『木村です。お久しぶりです。事件の夜に酔っぱらいに絡まれていた女性が玉さんに話したいことがあるそうです。連絡先を聞きましたので会ってあげてください。』
「木村…。一人で事件を追っているのか?」
さすがに驚いた玉川に川井は表情を変えずに言った。
「何にしろ、糸口には変わりません!」
玉川は頷くとすぐに行動を開始した。止まっていた時間が動き出し感じがした。