第二十一話 目の前にある現実
時間は刻々と流れていく。もうすぐ今年が終わり、新年を迎えようとしていた。
「さすがに間に合わないか〜。あなたも運がなかったですね〜。」
木村青葉は運転席に座っている男を見て笑った。厳密に言えば男は座らされているが正しい。その証拠に両手には細い釣り糸のような硬いものが結ばれハンドルに縛られている状態なのだから。
「難しいことは頼みません。ハンドル操作もアクセルも私がやりますから〜。あなたはただ一緒に死んでくれればそれでいいんですから〜。」
隣の男は涙を流して何かを訴えている。が、口も塞がれているため何を言っているかはわからない。
「辞世の句も遺言もいりませんよ〜。私は聞く気ありませんから〜。そもそもあなたも殺された佐藤も襲った相手の言葉を聞かなかったじゃないですか〜。『やめて』と叫んでも『助けて』ともがいても、聞く気はなかったのでしょ〜う?なのにあなたの言葉だけ聞いてもらえると思うこと自体がおかしいと思いませんか〜?」
ただただ淡々と冷たく言い放つ木村に男は必死に何かを訴えている。
「じゃあ、そろそろ行きますか〜。時間ですので〜。」
木村はギアを入れずにアクセルを踏んだ。エンジンの音が響き渡る。男はバタバタと動くが体も固定されているから何もできない。
「往生際が悪いですね〜。まあ、それももう最後ですから〜。じゃあ、出発〜!」
その時だった。けたたましい音とともにパトカーが立駐車場を上ってきた。そして木村の車を塞ぐように止まった。
「青葉!もうやめなさい!」
車から降りた川井が叫ぶ。玉川も降りて車の前に立った。
「よかったですね〜。間に合ったみたいですよ〜。」
木村は運転席の男を別の糸で結び直し、首に刃物を当てながらゆっくりと車を降りた。
「さすがですね〜。玉さん。こんなに早くここに来れたということは、私がどうしてこんなことをしているのかも、この男が誰なのかも検討がついているってことですよね〜?」
木村の顔は恐ろしいほど清々しいものだった。人に刃物を向けているとは思えないほど。玉川は静かに答えた。
「あの日、お前がサラッと言った『好きな人』の話を覚えていなければ、間に合わなかったかもしれない。お前と吉川君のつながりを知っていれば、あの日に吉川君が何を託したかも大体はわかる。」
「一応、答えを聞かせてほしいで〜す。」
木村の明るい声が立体駐車場響く。他人が見れば狂気的だろう。
「俺の考えでは、お前は事件の日の当日までは吉川君が犯人だと思ってはいなかったはずだ。もしあの時点で知っていたのならお前は吉川君の自殺を阻止したはずだから。だから、吉川君がお前に何かを託すとしたら吉川君が先生を刺したあとだ。おそらく吉川君が自分のスマホの隠し場所をお前に送ったんだろう。吉川君のスマホは未だに見つかっていないから。」
木村は笑顔でうなずくと、カバンからスマホを出した。隣を見ると、川井はうなづく。間違いないらしい。
「そのスマホには『佐藤の自白』『井ノ上先生を含む全員の遺書、もしくは自分が自殺したことを証明する何か』が残っていたはず。お前に託した1つは、それを世間に公表すること。そうしないとみんなの自殺が無駄になってしまうから。」
木村は静かにスマホを操作し玉川たちに見せた。そこには吉川君たちが全員で会話する動画が映っていた。
「そして、もう1つお前に託したことがあるはずだ。それはあの日吉川君が刃物を向けた相手の特定と逮捕。あのとき『お前みたいなやつがいなければ。』と言った吉川君の気持ちをお前が一番わかるはずだから。それが今お前が刃物を向けているその男なのだろう。」
パチパチと音が響く。刃物を持ちながら拍手する木村の表情は変わらない。いつもの笑顔のまま。
「お見事で〜す。この人は佐藤の弁護をしていた須川新造さんという方で〜す。厳密に言えば佐藤の事件の共犯者になりま〜す。佐藤の犯罪は実は二人組で行われたことだったんです〜。すごいんですよ〜。この人〜。現場の証拠を捏造して佐藤の罪を軽くしてたんですから〜。」
「そ、そんな、まさか。」
川井は驚いて言葉も出ない。玉川もさすがに戸惑う。裁判記録も捜査記録も複数人の関与は記載されていなかった。ただ、木村の足元の須川は明らかに動揺しているからおそらく間違いないのだろう。
「何でそんなことをお前が知っているんだ?」
かろうじて冷静に問いかけた玉川。木村はうなずいた。
「簡単なことです。姉の事件、本当は私が襲われたんですから。」
木村の表情に哀しみが満ちた。須川はガタガタと震えている。静かな駐車場で木村の声だけが響いた。木村は静かに話し始めた。
「あの日、私と姉さんは、兄さんの、吉川さんの仕事が終わるのを待っていました。兄さんは警察官になりたてで交番勤務でした。町は今と同じように若者が叫び、表通りは人が歩けないほどでした。私は姉さんと一緒に兄さんの交番へ向かって裏道を歩いていました。私の靴紐が解けてしまい、私は姉さんに「先に歩いてて」と言って座りました。その一瞬で私は駐車場に引きずり込まれました。ナイフで脅されて今日と同じようにエレベーターで屋上へ。服を脱がされているとき、姉さんが走ってきて男たちにぶつかって。私に「逃げなさい」と。」
木村は静かに刃物を須川に当てた。
「私は叫びながら必死に逃げました。途中まで、この男が追いかけて来ていました。必死に逃げて外に出て、急いで兄さんに電話しました。兄さんは電話の向こうから「人に助けを求めろ!」と叫びました。だから、私は表通りに走って助けを求めました。でも…、」
「誰も助けてくれなかったのか?」
玉川の問いかけに木村はうなずく。
「厳密には聞こえなかったのかもしれません。新年になった瞬間で、みんなが何かを叫びながらジャンプしていたのが脳裏に焼き付いています。そばにいる人にすがりついても「邪魔だ!」と言われました。あんなに人がいたのに…。私の目線が駐車場の方に向いたとき、兄さんの姿が見えました。でも、私が叫ぶよりも先に、姉さんが上から落ちてきました…。ゴミのように…。」
気温が下がった気がした。川井は涙を流している。木村は刃物の切れない部分で須川の首をこすった。須川は恐怖で何か叫んでいる。
「兄さんは駆けつけた警察官と中に入り佐藤を逮捕。私は必死に「犯人は二人組」と叫びましたが、駐車場内にはそれらしい人がいなかったから私の意見は聞き入れられませんでした。この人は駐車場から隣のビルに逃げて隠れていたみたいです…。あとは、皆さんのご存知の通り。佐藤はこの人の弁護で軽い罪で済まされました。姉さんに強引に酒を飲ませ、佐藤自身も酒を飲み「酔っていたから記憶がない。」を押し通しました。姉さんや私を脅した刃物はこの男が回収していて現場に残っていなかったことと、姉さんの着衣に無理矢理脱がされたような乱れがなかったことで、「無理矢理立体駐車場の上まで連れて行くのは不可能」という意見が通ってしまったんですよ。そうですよね?有能な弁護士さん!」
木村は再び刃物で首をこすった。須川は涙を流して何かを叫んでいる。
「何で、何であなたの意見は聞いてもらえなかったの?吉川さんがいたんでしょ?」
川井が叫ぶ。木村の目にも涙が浮かんでいた。
「兄さんが何度も言ったのに、一緒にいた警察官が取り合ってくれなかったんです。兄さんに聞いたら、全部自分の手柄にするためにそうしたみたいだって。でも、私が調べてみたら、こいつらから金をもらっていたみたいです。」
木村は力なく笑った。刃物を軽く須川の首に突き立てる素振りをみせて。




